第11話 ゴルティアにて、少し過去

第11話1章・ゴルティアにて、少し過去


【1】


 ゴルティア首都南部。

 高級住宅街と呼ばれるその地域で、一際目立つ館がある。そっくり同じ館が、ひとつの敷地内に並んで建っているのだ。

 ただ片方はかなり小さめのものである。

 この双子……と言うよりはそっくりな兄弟の館にはとある貴族の一族が住んでいる。


 この館や此処に住む貴族には色々と噂話があるが――それはまぁ別の話。

 噂好きの暇人の金持ちでもあるまいし、本妻と妾が自分の産んだ子を跡取りにしようと散々争いをした挙句、両方とも死んでしまう、と言うような話を聞きたい訳もないだろう。


 主人も死んで、残された子供たち――子供と言うような年齢では無かったが――は、巧くやっている。


 結局は、兄の方が家を継いだ。


 彼は父が残したものを精一杯利用している。

 父が趣味の一環として行っていた他国からの個人輸入をもっと大規模なものへと変えた。



 そして、もう一人の子。



 彼もまた、まぁ、結構気楽に、やっている。



 小さな館。それの中を覗き込めば分かる筈だ。

 巨大な天窓から覗くとすぐに分かる。

 館の中は天井と壁をぶち抜き、大きな広間になっている。

 しかもどう見ても人が住むようなものではない。

 少なくとも、人が住む場所には藁は敷かないだろう。


 入り口近く。

 藁の中で一匹の風竜が翼を休めている。

 全身に古い傷跡が見える。すべて塞がっているようだが、余程深い傷を負ったのか。鱗が再生し切れていない。


 細長い身体を藁の中に伸ばしている風竜に、ブラシを掛けているのは若い男だ。

 シャツの袖を肘まで捲り上げ、額に汗を浮かべてまでブラシ掛けを行っている。竜の鱗はとても堅い。大の男が力いっぱいやっても、竜にとっては気持ち良い程度だ。

 現に、男が手を休めると同時に風竜は長い首をもたげて、「おわり?」と言わんばかりの表情を見せる。


 男が苦笑。

 寄せられた風竜の鼻面を軽く突く。


「そろそろ終わりにさせて下さいよ。筋肉痛になってしまいますよ、僕」


 ブラシを持っていない方の手を軽く開いて握る。


「筋肉痛になったら手綱も持てませんよ?」


 それは困ると言わんばかりに風竜は男の手からブラシを奪い去る。器用にブラシを口に咥え、強請るようにじっと男を見た。。

 ブラシ掛けが終わったら遠乗りの約束。


 それをこの風竜は心から楽しみにしている。

 

 男は風竜――いや、片割れの仕草に笑い、ブラッシングの為に外しておいた鞍と手綱に近付く。

 

 鞍も手綱を付けるのにも慣れたものだ。


 用意はすぐに完了。

 早く出かけようと強請る風竜は、男を押し倒す勢いで擦り寄って来る。


「待って、待って下さい」


 風竜の顔を笑いながら押し返す。


「そんなにはしゃがなくとも大丈夫ですよ。すぐに出発しますから」


 まだ朝方。

 これなら今日一日はたっぷり一緒に過ごせる。

 風竜はそれが嬉しくて仕方ない。



 それに今日はとっておきのプレゼントを用意した。

 きっと、喜んでくれる。

 わくわくする。

 自然、翼を動かしてしまうのを風竜は止められなかった。



 その風竜の耳が異音を聞きつける。

 軽い、足音。

 この小さな館――いや、今は竜舎と呼ぶべき建物の前、軽い足音の主が立った。


 男も気付いたようだ。

 顔を上げる。


 入り口の方に視線を向ける。


 両開きの巨大な扉がゆっくりと開いた。


 小さな人影が、見えた。


「――シヴァおじさま、こんなところにいたぁ」


 可愛らしい少女の声に、風竜は低く威嚇の声を出した。






【2】






 扉の隙間から駆け寄ってきたのは、まだ5、6歳ぐらいの少女だ。

 くるくると癖のある髪の毛を肩の上ぐらいで揃えて、前髪は軽くカチューシャで止めている。着ているワンピースはシンプルなものであるが、一目で高級品と見て取れる布地を使っていた。


 少女は可愛らしい顔をしている。

 ただ、この幼さでも隠しきれない気の強さが、貴族然とした顔立ちに強く現れていた。


 男――シヴァは少女の出現に笑みを浮かべた。


「ミーシャ」


 両腕を伸ばし、少女を迎える満面の笑み。

 満面の笑みと言うか、完全に鼻の下が伸びている。

 デレデレ。


 少女はあえてシヴァの腕の中に飛び込まない。

 彼の前に立ち、両手を腰に当てて、つん、と顎を上げた。不満そうな表情。


「だれもいないの。ひどいと思わない?」

「兄さ――お父さんとお母さんは?」

「お父様はお仕事の打ち合わせ。お母様はラミアおば様のところの刺繍教室へお出かけ」


 つまんない、と、唇を尖らせる。

 少々舌足らずの声だが、幼い年齢よりもずっと口が回る。


「ミーシャ、とってもたいくつなの」


 顎を下げ、上目遣い。


「おじさま、ミーシャに御本を読んで?」

「え?」

「お父様がくれた本、むずかしい言葉がたくさんなの。ミーシャ、ぜんぜん分かんない! 教えて、おじさま」



 シヴァの瞳が背後を見た。

 いまだ低く威嚇を続ける、己の片割れ――風竜のココを。


 


 ココから言わせて貰えば、彼はこの少女が大嫌いだった。

 まだ若い人間のメス。

 初対面でココを見て、「可愛くない」と言い切ったのも気に喰わないが、それ以上嫌なのは、このメスはシヴァを自分の所有物か下僕のように思っている。


 シヴァは誰の所有物でもない。

 あえて言えば、ココの片割れだと、そう伝えたいのだがこの少女は飛竜の言葉や感情などまったく理解しない。


 ココなど大きなトカゲとしか思っていない。


 そして、更に更に、一番嫌なのは。




「――うーん……」


 こちらをちらりと見て、シヴァが本当に迷ったような声を出す事だ。



 シヴァはこの少女に徹底的に甘い。

 本当に甘い。異様なほど甘い。

 何度このメスの「おねだり」でシヴァとの時間を奪われた事か。

 

 同種族のメスにオスが甘いのはどの種族も一緒だ。それはよく分かる。

 しかし、このメスは小さ過ぎる。子を産めそうにない。そんなメスに優しくする理由が分からない。


 

 ココはシヴァの服を引く。

 

 遠乗りの約束。

 先約が優先。そうに決まっている。


 ミーシャがココを見た。

 こういう時だけこちらの気持ちが分かっているようだ。

 一瞬。

 本当に一瞬、竜と少女の瞳の間で火花が散る。



 短い距離を飛ぶように、シヴァの身体に抱きついてくる。


「ねぇ、おねがい、おじさま。お父様のお仕事が終わるまででいいの。……ね?」


 潤んだ瞳で上目遣い。シヴァの服をぎゅっと握る小さな手。

 さすが幼いながらもメス。オスを惑わす手管をよく心得ている。


 しかし、上目遣いならこちらも負けてない。


 服をもう少し強く引いて、シヴァを見る。

 

 シヴァは可愛い姪っ子と愛しい片割れを交互に見やり、見やり――







 可愛い姪っ子に笑顔を向けた。



「分かりました。午前中だけですよ」

「やったぁ。おじさま、大好きぃ!」


 ぎゅ、とますますシヴァに抱き付く。

 


 そして、シヴァに見えない角度で、べっとココに向かって舌を出してきた。



 このメスガキ、本当に食い殺してやろうか。




「――ココ」



 シヴァに呼ばれて牙を剥き出していて顔を慌てて直す。



「御免なさい、午後から出かけましょう? あまり遠くには行けませんが――」


 話が違う。

 遠乗りだ。遠くに行かなければ遠乗りじゃない。近乗りなんて言葉は無い。


「ねぇねぇおじさま、早くぅ!」

「あぁ、はい!」


 袖を引かれて、シヴァが片手でココに謝罪する。


「兄さんが戻ってきたらすぐにココの所に来ますから!」


 御免なさい、が最後の言葉。


 シヴァはミーシャに引きずられて、竜舎から出て行った。




 


 そして、残されたココは。




 ぺたりと、床に突っ伏した。

 物凄い敗北感を味わっている。

 竜騎士を盗られた。人間のメスに盗られた。しかも、まだ子も産めない様なメスに盗られた。


 何たる屈辱。


 これ以上の屈辱があるか。



 目の前に転がっていたブラシをがしがし噛んでみるがすぐに飽きた。その気になればブラシぐらい壊せるが、壊した所で何の意味も無い。

 シヴァは新しいブラシをすぐに用意するだろうし、ココがへこんでいたら思い付くだけの方法で慰めてくれる。


 だが、きっとすぐにあのメスはやってきて、シヴァを連れて行ってしまうだろう。



 また寂しい思いをさせられる。



 一緒に生活しようと言われた。

 嬉しかった。

 暗くて狭い所が苦手なココの為に、こうやって室内に居るとは思えないほどの広さの竜舎を、別宅を改造して作ってくれた。

 嬉しかった。


 嬉しい時が強ければ、寂しい時はもっと強くなる。

 そんな事、草原の上でふらふらと遊んでいた時には気付かなかった。



 ココは口を開く。

 声帯を震わせる。

 風竜の鳴き声ではなく、人の真似をして覚えた音を、出す。



「タスケテ」



 シヴァはこの聞き取り難い声を理解し、助けに来てくれた。


 耳を澄まして暫し待ってみるが、誰も来ない。




 もう一度鳴こうとして止めた。




 声は届かない。




 此処を出ようと思った。


 こんな哀しい思いをするぐらいなら、シヴァにさようならを言おうと思った。


 草原に帰ろうかと思ったが、今更野生に戻れる自信は無かった。

 誰か風竜を傍に置いてくれるような人間は居ないだろうか。

 庭先を貸してくれる人間でもいい。野生次代は雨風ぐらいそのままで防いでいたのだし。


 竜の言葉を理解してくれる人間が居れば良いけど、そうはいかない。

 こちらから示さなければ。


 ココは扉へ近付いた。

 繋ぎ目の部分を頭突きし、弱め、牙で噛んだ。

 さほど苦労は無く扉は外れる。

 扉を踏みつけ外へ出て、ぐるりと周囲を見回した。

 竜舎のすぐ近くに物置小屋がある。物置小屋の前には塗料の入れ物が放置されていた。


 シヴァの兄のターヴァが、「本棚を作る」と言って日曜大工を始めた残りだ。

 巨大な筆も見える。


 これだ、と、ココは考える。



 倒れた扉を咥えて引きずった。

 筆を咥えて塗料を付ける。


 ぺたり、と。

 筆を扉に置いた。



 字は分かる。

 難しい言葉は書けないが、簡単な言葉なら。



 思ったより随分と簡単に字が書けた。

 壊れた扉いっぱいに描かれた文字。



 『だれかひろってください』



 良い出来だ。

 これなら人間たちも見て分かるだろう。

 口に扉を咥えて、翼を広げる。

 風竜は細身の体格ではあるが、巨大な翼を有する飛竜。結構な重いものを運べる。勿論、顎の力もそこそこある。



 後は目立つ場所に行けばいい。

 人が多く行きかう場所。

 ならば、やはり広場か。


 ココは真っ直ぐに広場を目指して市街地へと飛んでいった。

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