第10話16章・現在、死竜編。



【16】






 翌朝。

 よく晴れた日となった。


 シズハは自室で目を覚ます。

 ベッドに入ったのは明け方だった。

 太陽の高さを確認するが、まだお昼にはなっていない。


 どうして目覚めたのだろう、と、考える。


 すぐに気付いた。

 羽音。

 巨大な羽音。

 コーネリアの翼だ。


 シズハは飛び起きる。

 昨夜帰って来た時のままの服装だ。

 少し考え、着替えずに部屋を飛び出した。




 家の前の開けた空間にコーネリアの金色の姿があった。

 毒の色は身体から抜けている。

 シズハを認め、コーネリアは自分に話しかけているテオドールへと鳴く。


 テオドールが振り返った。

 鎧を纏っている。


「目が覚めたか」

「はい」


 コーネリアの傍へ寄り、手を伸ばす。

 すっかり身体も楽になったのだろう。コーネリアは微笑むように瞳を細め、シズハの手に顔を寄せた。

 右手の傷は昨夜のうちにイルノリアに癒してもらった。傷口すらも残らない完全な回復。

 だいぶ長い間出血していたので少々貧血気味の気もするが、大した事は無い。


 死竜の件に関しては昨夜報告を済ませた。

 テオドールの方からゴルティアへの報告も終わらせたらしい。


「――死竜の亡骸を確認した、と報告が届いている」

「………」

「流石だな、ヴィーは」


 そう言って、苦笑。


「いや、ヴィーだけの力ではないか」


 ヴィー自身がそう言った。

 死竜の片割れと落とした矢はアルタットの力を借りたと。

 そして、最後の確認を行ったのはシズハだと、そう、ヴィーは報告している。

 皆がいたから倒せたと、にんまり笑って言ったのだ。


「――シズハ」

「はい」

「行くのならば十分気を付けるように」

「はい」


 笑顔で頷く。

 引き止めない父が嬉しかった。



 テオドールはシズハの笑顔を見て何故か一瞬目を逸らす。

 迷いの表情で、やがて、彼は口を開く。


「――ヴィーとは以前、会った事がある」


 敵として、と、そう続けたテオドールの言葉に驚いた。

 

「20年強……それぐらいの昔だ」


 コーネリアはシズハの腕に身を任せるように顔を寄せていた。

 金の瞳がじっとシズハの顔を見ている。

 まるで何かを確認するように。


「裏の世界を牛耳る人物が居た。その男の為に何人もの人間が死に、破滅した。――それに偶然関わってしまってな……一度は竜騎士団を辞めてまで、その男を追い続けた」


 追い詰めた男は思ったより若い男だった。


「せいぜい二十歳……。黒髪の、裏側の世界の人間だとは到底思えないような雰囲気の人物だった」


 その男が連れていたのが、黒猫だった。


「信じられなかった。一度はコーネリアのブレスを無効化された。追い詰めた筈の男を何らかの魔力で逃がされた。……それらは全部黒猫が行った事だった」



 シズハは語る父の顔を見た。


「……それが、ヴィーだったのですか?」

「あぁ」

 苦笑。「名前は名乗らなかったが……竜眼で見た魂が、今と同じだ」


 ヴィーの魂。

 そのものの本質。

 テオドールの竜眼には、ヴィーがどう見えたのだろう。


 シズハの疑問は顔に出ていたらしい。

 テオドールは軽く瞳を細める。

 過去を思い出すように、続ける。


「何も、見えない」

「……何も?」

「猫の形をした虚があった。空っぽだ。何も無い」


 テオドールは緩く頭を振った。


「……同じような状況になった人間を一度だけ見た事がある。魔法実験の失敗で精神を破壊され、人形のようになった人間だ。肉体の反射でのみ存在する生き人形。それの魂と似ていたが……ヴィーの魂はそれ以上、空っぽだった」


 なのに。


「生きている。個性を持って存在する。己の意思で呪文を操り、戦い、従った」



「何度も追い詰め――そのたびに逃げられた」


 シズハ、と呼ぶ。


「私はその男を殺した。最終的には、な。……どうやったと思う?」

「……」


 考える。

 コーネリアの瞳を見れば、彼女は柔らかくシズハを見ている。

 まるで母親のような表情。


 だが真実を教えてくれる気は無いらしい。


「……分かりません」

「猫だ」

「……猫?」


 黒猫を思い出す。


「ヴィーではなく、別の猫。毛の長い、少々大柄な猫だった。その猫が、ヴィーの力を打ち消した」


 コーネリアのブレスは男を焼き切り、致命傷を負わせた。

 二匹の猫は男が倒れるのを確認すると、何処かへ消え去った。


 残されたのはテオドールと、男。


 男は笑っていた。

 半身以上を失い、血を吐きながらも大爆笑していた。


 気に入った、と、男はテオドールを見て笑った。


「私の血の可能性が気に入った、と、その男は言った」


 お前にする、と、爆笑の中で伝え――男は息絶えた。


 シズハは父の顔を見た。

 男の言葉。

 その意味が分からない。


「どういう意味ですか?」

「さぁな。私も分からない」


 ただ、伝えておく。


「ヴィーに関係する事だ。知っておいた方が良いだろう」

「はい」


 有難うございます、と、シズハは続ける。

 そのシズハの表情をテオドールは見た。


 少しだけ寂しげに、笑う。


「ヴィーを信じているのだな」


 迷いの無い顔をしている。


 テオドールはそう呟き、笑みのまま、言葉を続けた。


「――フォンハードを覚えているか?」

「はい」


 冥王の部下だった竜騎士の片割れの死竜。

 コーネリアよりも巨大な体躯を持った強力な飛竜だった。

 冥王が勇者によって倒される寸前。竜騎士と共にテオドールとコーネリアに敗北した筈だ。


「フォンハードの片割れだった竜騎士の名は、ラルフ・ドラクロアス。――聞き覚えは無いか?」

「……」


 響きに覚えがあった。

 少しの迷いの後、シズハは呟く。


「……ミカさんの苗字」

「そうだ」


 テオドールの顔を見る。


「父さん。まさか――」

「不死の民は、始祖と呼ばれる吸血鬼の血筋によって苗字を分ける。……せいぜい十数種しか苗字がない。あの女性が、冥王の部下だった男の肉親とは限らない」


 シズハはミカとの会話を思い出す。

 死んだと言う兄。

 仕えた人を守り、戦死したと言っていた。

 一致、する。


「念の為だ。これも伝えておく」

「はい」


 ミカを思い出す。


「でも――彼女なら大丈夫です。そんな怖い存在ではありません」


 シズハは笑う。


「父さんが教えてくれましたよね。――不死の民は噂のような恐ろしいだけの民ではない。人と変わらない心を持つ、友にさえなれる可能性のある種族だと」

「間違いない」


 テオドールはシズハの言葉に頷く。


「ただ――人と変わらないからこそ、用心すべき事もある。肉親を殺されたのなら、人も復讐を考える事もある」

「……でも」


 反論の言葉が口を付いた。


「大丈夫だと思います」

「……そうか」


 テオドールの手が伸びた。

 頭を撫でられる。


「……私はゴルティアに戻る」

「はい」

「……」


 何か言いかけ口を閉ざし、更に何か言いかける。

 だがテオドールは結局何も言わずに笑った。


 頭をもう少し強く撫でて、手を離す。


 コーネリアもシズハの腕から離れた。



 飛び立つコーネリアとテオドールを、シズハは黙って見送った。


 

 別れの言葉は最後まで、互いの口から出なかった。



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