第10話15章・現在、死竜編。


【15】





 地震のような衝撃からシズハはようやく抜け出し、動き出す。

 目の前。

 ほんの少しの先に、死竜が倒れている。

 既に身体の骨は崩れ去り、残っているのは半ば以上割れた頭部と巨大な前足の骨だけだ。

 残りの骨はばらばらと地面に転がっている。


 片方だけの紅い瞳が彷徨っている。

 炎が揺れるままに、死竜が何かを探している。


 ヴィーは弓を下ろした。


「あとは心臓を破壊しておしまい」


 アルタットを見る。


「アル、お願――」

「待って下さい」


 シズハは思わず声を出す。

 ヴィーはその言葉を予測していたように口元に笑みを浮かべる。

 細める瞳はやはり猫のよう。


「いいよ」

「有難うございます」


 礼を述べ、それから、死竜へと近付く。

 地面には骨が転がっている。

 古い骨。死竜の身体をつい先ほどまで構成していた、骨たち。

 今はただの骨だ。

 動きもしない。死竜を助けようともしない。


 死竜は低く唸る。

 威嚇の声ではない。

 死竜は既にシズハを見ていない。

 何かを探している。


 シズハは骨の中、それを見つける。

 からからに渇いた頭部。ミイラ化したそれを、持ち上げる。

 酷く軽い。大きさから推測して大人のものだと思うが、それが嘘のように軽かった。


 死竜が顔を上げる。

 地面から僅かに顔を上げるだけ。

 それだけの力しかない。


 シズハはその頭部を死竜に差し出す。


 死竜が鳴いた。


 顔を寄せる。

 小さな頭に、崩れかけた骨の頭部を、摺り寄せる。

 飛竜によく見られる愛情表現。


 死竜がシズハを見た。


 ホシイ、と、声がする。


 右手から滴る血。

 ミイラ化した頭部を紅く染めるものの、それだけだ。

 何の奇跡も齎さない。


 紅くなった手を外す。

 死竜の頭に触れた。

 

 ホシイ、と、死竜は鳴く――泣く。

 炎を宿す虚ろな眼窩から、赤黒い液体が流れ落ちた。

 ブレスによって吐き出されるのと同じ毒液。ただ、頬を伝う様はまるで涙だ。


 手に持った頭部。

 更に軽くなる。

 少しずつ崩れていく。


 死竜が泣く。


 シズハの手にさらさらと砂の感触だけを残し――やがて、頭部は消える。


 死竜は泣く。

 毒液が頬を伝う。

 伝った場所が煙を上げた。己自身さえも溶かす毒液。

 シズハの右手はいまだ死竜の顔に触れたまま。

 撫でるように指先を動かす。

 空いた左手も添えた。


 骨の感触が掌に、指に。


 ホシイ、と、シズハを見て泣く。


 顔を歪め、シズハは首を左右に振る。

 与えられない。

 

 炎が揺れた。

 ゆっくりとその炎が消えていく。


 ホシイ、と。

 最後まで繰り返し。


 死竜の紅い炎は消えていった。



 折れた骨の向こう。

 巨大な肋骨が突き刺さった心臓が、それと同時に動きを止めた。



 シズハは骨の頭を抱き締める。

 毒液に服が溶ける音がした。

 それでも構わない気がした。


 そっと背後から服を引かれる。

 顔を上げると、銀の片割れが不安そうにこちらを見ていた。


「……イルノリア」


 いまだ死竜の頭を抱きしめたまま、顔を摺り寄せてくるイルノリアに微かに笑う。



「シズハぁ」

「……はい」


 ヴィーの声と服を引くイルノリアに促され、身体を起こす。



 ヴィーが死竜の前に立つ。

 アルタットも骨を乗り越え、その横に並んだ。

 既に骨でしかない死竜を、見上げる。


「――テオの話を聞いてさぁ、死竜の乗り手が呼びかけにも反応しなかったってのが気になってたんだよー」


 死竜の乗り手は不死の民。

 彼ら独特の美学と誇りは有名だ。

 相手の竜騎士に名乗りを上げられて、無視をするなど、まずはありえない。


「それから、ミカちゃんも言ってたでしょ? 外に出ているような不死の民が、血が吸えない程度で暴れないって」


 なら――


「この死竜が勝手に暴れてるんだろうな、って思ったんだよ」



 それなら疑問はもうひとつ。

 死竜の背にあった人影は何だ。

 竜騎士の片割れになった飛竜以外、よほど人懐こい風竜でも無ければ、背を許さない筈である。


 ならば、その背の人影は。



「動けないような状況――もしくは、もう生きてないんじゃないかなぁ、ってさぁ」



 ヴィーは軽く肩を竦める。



「まぁ、死竜が暴れた理由は分からないよー。人を殺して食べるのが目的だったのかもしれない。竜騎士が居なくなって、枷が外れちゃったのかもしれない。俺にはよく――」

「血が欲しかったんです」


 シズハは小さな声で答える。


 今は何の炎も宿さない死竜の瞳を見た。

 イルノリアの頭を抱いたまま、言葉を続ける。


「不死の民は血を吸えば元気になるって、そう信じてたんです。死と病の区別も付かなかった。死んでも、血を注げば元気になってくれると信じてた」


 右手を見る。

 傷。

 血が流れる、傷口。


「申し訳ありません。――俺の勘です」


 何も聞いてない。

 ホシイ、と。

 その言葉を聞いただけ。


「でも――でも」


 顔が歪む。


「もう、そうとしか思えないのです。この死竜が、片割れの再生を望んで血を求めていたとしか、思えないのです」


 幻だ。

 空想に過ぎない。

 だが、映像が浮かぶ。


 壮年の男性。

 月が見える窓際。一羽のカラスが男の腕で羽根を休めている。

 カラスの瞳は真紅。炎のようにときたま揺れる。

 男の瞳も紅い。そして笑う口元には牙が見えた。

 男は何事かを話す。

 カラスが口を開いた。

 嬉しそうに、何かを返す。

 男が笑った。


 次の映像。

 カラスはベッドの頭板に掴まっている。

 ベッドの中には男。

 既にそれは屍体。

 動かない。

 カラスは首を傾げて男を見ている。


 カラスは屍体を男に捧げる。

 首を切られた小動物の血を捧げるのに始まり、少しずつ獲物が大きくなる。

 カラスの姿も少しずつ変わる。

 大きく、大きく、歪み行く。


 やがてそこは部屋ではない。

 月が見える屋外。

 そしてカラスは死竜へと。

 まだ幼い、人間の屍。そこから滴る血を、己の背に乗せた片割れへと注ぐ。


 浴びるほどの血を与えたのに。

 まだ甦らない。

 まだ笑わない。

 まだ帰ってこない。


 血が足りないのか。

 血の種類が間違えているのか。

 

 男の血も駄目、女の血も駄目、子供の血も駄目。

 魔物の血が良いのか?

 それとも飛竜の血を捧げようか。

 

 答えてホシイ。

 指示がホシイ。

 帰ってきて、ホシイ。


 此処に居てホシイ。



 死竜は吼えた。

 空へ向かい、紅く染まった身体で、高く高く、叫んだ。




 ――いつの間にかヴィーが目の前に。


 手が伸びて、シズハの頭を撫でた。

 それが最後。

 シズハは顔を更に歪め、俯いた。

 涙が抑えきれない。


「どの竜も、竜騎士も……哀しい未来が欲しくて、片割れを探すんじゃないんだけどねぇ……」


 それなのに。


「――哀しい竜が多過ぎるよ」


 ヴィーはそれ以上何も言わず、シズハが泣き止むのを待ってくれた。

 イルノリアも、アルタットも、傍に居てくれた。


 それでも哀しくて、哀しくて仕方なかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る