第4話 慣れ親しんだ決死の一戦
この世界には人の理を超えた自然の産物がある。
一般的には魔術・魔法と呼ばれる類のものであるが、これは地域や種族によってそれぞれ呼称の異なるものの為、一概にどういうものと定める理屈が無い。
またそれを使用する為に必要とするエネルギーにも様々な名称が付けられ、またそれぞれが全く譲らないせいで一向に決められていない現状にある。
人間という種族の中で最も親しまれているもので呼べば魔力、エーテル、マナ、MP等が当たる。
そしてこれは生命に流れるものでもあり、感覚を掴むことが出来れば波長から個人を特定することも可能となる。『気配探知』という技術の一つだ。
常人であれば二、三年。才覚に恵まれれば数ヵ月程度で習得可能な技術を、異世界人は基本スキルとして当たり前のように扱いこなす。異世界人が嫌われる理由の何割かは、この常軌を逸した非凡の身にある。
そうなると異人狩りに必須なのは『気配遮断』。主に暗殺者が好んで使う自身への封印技術。身体から外部へ放たれる一切の情動や情緒といったものを内に閉じ込める技無くしてこの仕事はこなせない。
「ふぁぁ~あ」
だからこそ、こうして間抜けにも大欠伸に口を開く異人、殺害対象『イヌイカズヨシ(この世界ではハジメと名を改めていた)』の後方十数メートルの接近にも勘付かれる様子が無い。
明るい時間帯からずっと引っ付いていた五人の獣人少女は宿で留守番。この夜更けが、男が単身で動く唯一の好機。
ハジメはこの時間帯に街の外れにある広場まで足を運び、そこで自らの力を色々と試しているらしかった。
事前にリーゲルから受け取った情報によれば、ゲームなる手段によってこの世界へ現れてから半年は経過している。異世界人としてどれだけ経験を積んだかまでは不明だが、警戒するには充分過ぎる時間だった。
「ふーむ…?」
広場の中心で立ち止まったハジメが、灯りも無しに視線を斜め上へ固定する。見据える中空には曇天の空以外に何もない。
シュテルにはそう見えた。実際には違うのだろうが。
「このスキルほんと何?……説明書きも適当すぎだろ…」
呟きながら眼前の空間に指を伸ばし先を弾く。何の変化も確認できないシュテルの存在など知らぬまま、ハジメは虚空に目を走らせる。
背後は取った。あとは仕留めるだけ。
この世界の住人が相手であればそうとも楽観視できた。だが敵が異人であるならば一切の油断は許されない。たとえ喉元に刃の切っ先を押し付けた状態だとしても、奴等はそんな状況から平然と戦況を覆して見せる。
最善は意識の外側から一撃で殺すこと。
慎重に、慎重にタイミングを計る。
呼吸、視線、筋肉の動きからその時を見極め、そして。
(ここ)
腰から引き抜いたダガーを放る。
投擲にしても勢いの足りない短剣は、しかし空中でその姿を掻き消してしまう。
「…、!?」
現れた短剣は距離を超え、ハジメの首元から埋没させた刃を覗かせる。
シュテルの扱う魔法の一つ、転移の術法。
通常は生物を術者の知り得る場所へ飛ばす移動手段の一環として扱われるものであり、こうして攻撃の用途で使われることはまず無い。
だが異人狩りを長く続けるシュテルは知っていた。この転移による物質割り込みの性質を利用することで、異人が多用する堅固な防御壁を容易く突破することが可能であるということを。
だったのだが。
(僅かに躱したか)
首の中央、脈と骨を同時に断てる座標で放ったはずの転移短剣は、刹那に反応したハジメの動きによって右側を裂く程度で役目を終えていた。
即死でなければ駄目だ。異人はこの世界の常識を超えた再生能力ないし術を保有している者が大半であり、意識が残っているなら瀕死でも蘇生する可能性は否めない。
気配遮断は最早無意味。突然の出血と激痛に困惑するこの機を逃さず追撃に徹する。
「…ぃ、で、ェ、…なあ!!」
振り返るハジメは痛み以上に敵意を優先させた瞳でシュテルを捉え、指先で宙を叩く。
地面が鳴動し、大地が槍となってシュテルを狙うもこれを真上に跳んで回避。
「なんだ…!?赤マーカー…ってことは敵かコイツ!」
(透化発動)
電脳異人特有の『視え方』によってシュテルの存在を完全な敵と認めた直後、次の魔法を起動させ姿を視覚的に消す。
「無駄だ!」
何も無い空間から小瓶を取り出したハジメの目は的確に消えたシュテルを追い掛けている。やはり異人相手に真っ向からの透化は通じない。
だが問題無い。そもそも目的はそこではなく、
(爆ぜろ)
「ぐぅっ!?」
ハジメの背後に転移で配置させた火球を起爆。片手に持っていた小瓶を破壊する。
透化はあくまで意識をこちらに向けさせる為だけの囮。異人とて人間であるからして、注意さえ逸らせれば子供でも使えるような初級術の発動すら誤魔化せる。
並列思考や自動迎撃の能力を持つ異人であればこれも通じなかった手だが、どうやら此度の電脳異人はその力を持たなかったようだ。
火球の爆裂によって割れた小瓶から零れるのは薄緑色の液体。推測するまでもなく、傷を瞬時に癒すポーションの中でも最上位の霊薬。
当然この世界では一滴でも家が買えるほど高価なものだが、異人なら持っていたところで不思議には思わない。
「くそ、不味い…」
「……」
追撃。それはさらなる攻撃を当てることに非ず。
既に初撃でもう、普通なら死んでいいはずの致命傷。生き長らえているのは異人特有の生命力からだろう。
それも長くは保たない。異世界人は神から召喚・転移・転生させられるケースが多いと聞くが、それでも神じゃない。
同じ人間という土俵の上にいる以上、血を流し過ぎれば死ぬ。心臓が止まれば死ぬ。呼吸が出来なければ死ぬ。
だから致命傷さえ与えればそれでいい。
死ぬまで待つ。治させることなく、死ぬまでただ踏み止まる。
(死ね。早く死ね)
「こっ、の野郎ォォおおおおおお!!!」
空身だったはずのハジメは、いつの間にか利き手に長剣を握っていた。俊足で間を詰めるシュテルのダガーは鍔迫り合いすら許されず、触れた瞬間に剣身が熔けて両断された。
次。腰のベルトの差してある別のダガーを抜く。
「コイツ…ッ」
「―――!」
とても片手で扱えるはずのない両刃の長剣を振るうハジメの暴威がシュテルを刻む。
羽織る黒衣の端が斬り飛ばされ、頬を裂く。
両者共に剣術の覚えが無い身でも、圧倒的な切れ味とステータスで押し続けるハジメに分があった。
ジリ貧の敗北は目に見えている。それでもシュテルは攻撃の手を止めない。
隙を見ては回復薬の小瓶を虚空から取り出すハジメの阻害だけに注力して命を懸ける。
一振りの直撃で簡単に生命を散らされる
異常だ。この男は普通じゃない。
(なんだコイツ、何考えてっ…!?)
異人の男、ハジメには分からなかった。
昼夜を問わず狂ったように続けていたゲームの世界に取り込まれ、そこで夢に見た獣耳美少女達とのハーレムを築いたことでファウードでの定住を決めたハジメには、この殺意の出所が分からなかった。
ここまで恨まれるようなことはしていない。
確かに少しは粋がった行為をしたかもしれない。
でも殺されるほどのことではなかったはずだ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。
意識が薄らぐ。視界が明滅する。
多量の出血によるものなのは明白。
だが治療が出来ない。
必死の攻撃を続けるハジメの猛攻にまるで怖気づくことなく皮一枚で命を繋ぐ黒衣の男に翻弄されて、首の傷から止め処なく流れゆく血液を止められない。
ハジメには分からなかった。
「…ぁ、あ……!」
「―――…………っ!!」
それも道理。
ただ一度の必死を抗うだけの小僧に、幾百幾千の決死を乗り越えた男の真意など、知る由もなかったのだ。
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「…はぁ…はあー……ぜぇ、はっ…!」
息荒く乱れた呼吸を繰り返すシュテルの眼下に倒れ伏す少年。
自らの血溜まりに沈むハジメの絶命を何度も確認して、ようやく深く息を吸い狂ったように鳴り続ける心臓を落ち着ける。
異世界人との戦闘は極端に二つ。
奇襲による即殺か、気付かれてからの死線か。
今回は後者だった。
だから異人狩りは短命が多い。志願するにも相応の理由を掲げなければならない。
覚悟。意志。実力。
どれが足りなくても彼らは長生きできない。
《ヤドリギ》に歴戦の異人狩りが多く在籍しているのは、ただ手放しで喜べるものでは決してないのだ。
それだけ多くが、自らの命を投げ打ってでも異世界の来訪者を皆殺しにしたいという、強い想いを抱いているということなのだから。
だから異人は敬われる一方で憎まれ恨まれる存在であることを裏付ける。
シュテルもまた、そんな私情に駆られて動く一人に過ぎない。
私事であったとしても異世界人を殺し続けなければならない男は、光を喪ったハジメの瞳を指で降ろしてやった。
それがせめてもの弔い。
「……悪いとは、思うよ」
そうして、いつものようにいつもの言葉を口にして、シュテルは黒衣を翻して踵を返す。
今回はあらかじめリーゲルに頼んで後始末の要請はしてあった。指定していた時刻も間もなく。じきに派遣された掃き屋が処理に来るだろう。
裂傷は深くない。五感に異常も無く、五体も満足。
上等だ。
(三日あれば動ける。『次』は、それからだ)
殺した異人に用はない。次に見据えるは生きた異人。
世界の定量を超える異分子を滅ぼす。
顎から滴る血を拭う余力すら惜しんで、シュテルは傷だらけの身体を引き摺るようにしてその場を離れた。
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