7話 戸惑いの原因
どうしよう。考えろ。やっぱりあきらめるしかないのか? ……まだ挑戦もしていないのに?
「もう! ブレブレじゃないかーっ」
「一人でなに騒いでるんだ、ルカ」
「ああ……ユッテ」
部屋に籠もってしまった俺を案じてか、ユッテが部屋の扉を叩きながら聞いてきた。一人で悩んでいてもしかたないかな。俺は、ドアを開いて今朝感じてしまったモヤモヤの原因をユッテに話した。
「高級宿にするって言いだしたのはぼくなんだけどさ、本当にこれでいいのかって思ってきてしまって」
「うん、男らしくない」
「うう……」
はっきりユッテにそう言われてしまった。そうですよ、男らしくなんてないですよ。
「でもさ、ルカのそういうとこは好きだよ。どうしたらいいか一緒に考えよう」
「あ、ありがとう」
んん、よく考えると俺は八歳の女の子に何を愚痴っているんだ?
「ほら、ルカ。ちゃんと考えるんだ。きっと今は、色々な事が出来るから悩んじゃうんだよ」
「色々な事か……」
「そう。あたしもそうだった」
「ユッテが?」
「ああ、食うのに必死だった頃は選択肢なんてなかったけど。『金の星亭』で働きはじめてから色々考えたよ」
そっか……ユッテも悩んでいたんだ。
「それってどんな事?」
「あたしが居る事で迷惑かけるんじゃないか、とか色々。今だってそうだ」
「そんな事ないよ!」
「ありえるんだよ。可能性は少ないけどあたしがうまくやっているのをスラムの連中がどうこうするかもしれないし……一応親類もこのヘーレベルクにいるんだ」
忘れていた。俺が会ったスラムの子供達は気の良い奴ばかりだったし、ユッテの親類については話で聞いただけだ。
「だから蓄えが出来たらここを離れる事も何度も考えたよ」
「そんなの、父さんが追い返すさ。見なよ、あの強面」
「ふふっ、そうだな。とにかくさ……自分の譲れない部分を探すんだ。あたしは『金の星亭』のみんなが好きだから、だからここに居たいと思ってる」
「譲れない、部分」
今回の件で一番譲れないのはなんだろう? 天井を仰いでしばらく考え込む。高級宿にすること? それとも金を儲けること?
「このチャンスを最大限に生かしたいんだ。その為の挑戦がしたい」
「うんうん」
「だけど、今のお客さんも……大事なんだ。でもそれを両立させるのは……」
「本当にそうかな?」
「え」
ユッテの紫色の瞳がこっちを真っ直ぐに見ていた。そうは言っても、『金の星亭』を大きくするには……。
「……あ、そうか」
「なんか思いついたか、ルカ」
「うん。あのさ――『剣と穂先亭』を路線変更すればいいんじゃないかって」
『金の星亭』の改装もちゃんとやりたいから余計に金はかかる、けど……今なら予算もあるし。そもそも獣舎だの風呂だののオプション施設は『剣と穂先亭』の方にあるじゃないか。
「ありがとう、ユッテ! 父さんと母さんに話してくる」
「ああ、行ってこい」
俺は両親にこの考えを伝えるべく、階段を駆け下りた。
「父さん、母さん!」
「ルカ。どうしたの? ユッテちゃんが心配してたわよ」
「それがさ……その今更なんだけど『金の星亭』はこのままでもいいんじゃないかって」
そういうと、父さんと母さんは顔を見合わせた後、真面目な顔でこちらに向き直った。
「ルカ、どういう事?」
「別に高級路線にするのは、『金の星亭』じゃなくてもいいんだ。『剣と穂先亭』なら経営者が変わるから違う宿になるのも納得して貰える……んじゃないかな」
「どうしてそんな事を急に言いだした。経営路線の変更は、父さんは反対していないぞ」
ちょっと慌てたように父さんはそう言った。違うんだ。
「そうじゃなくて! その……結局、ぼくもさ。好きなんだ。今の『金の星亭』が。父さん、父さんもそうなんだよね」
「ルカ、そういう面は無くは無い。でも一度挑戦すると決めたんだ。今更後戻りはしないさ」
「うん、それはそれでやるんだけど。『金の星亭』じゃなくてもいいって思って」
そこまで言って俺は両親に頭を下げた。ごめん、土壇場でこんな事を言い出して。戸惑う気持ちも分かる。
「ぼくはきっと欲張りなんだ。だから今のお客さんも、新しい挑戦も両方やりたい。だから……」
「ルカ、ちょっと落ち着け」
「父さん」
「父さんと母さんは別に反対してないぞ。ルカ、ルカの考えは分かった」
父さんの手が俺の頭に置かれた。節くれた大きな手が俺の髪を梳いている。
「ルカ。バスチャン親方にもう一度見積もりを出して貰おう。人員はこのままで問題ないな?」
「うん!」
そんな訳で、急遽予定を変更して『金の星亭 別館』として『剣と穂先亭』の改装への舵が切られた。バスチャン親方にも頭を下げて再見積を出して貰って、改装まであと数日といったある日。俺はふいに思い出した事を父さんに伝えた。
「ねぇ、そう言えば父さん」
「ん? なんだルカ」
「ゲルハルトさんが言ってたんだけどさ、『金の星亭』が出来た時、『金の星』の本拠地に泊まれるってワクワクしたんだって。ぼく、それ聞いて今のお客さんを切る訳にはいかないって思ったんだ」
「そうか……」
父さんは俺の言葉を聞くと、ふいに立ち上がった。そのまま階段を上がって行く。しばらくして戻ってきた父さんの手には居間に飾られていたタペストリーが握られていた。
「暖炉の上にこれを飾ろう」
「父さん……」
『金の星』の痕跡はこの家にほとんど無い。唯一残っていたのがこのタペストリーだ。それでもお客さんの目には触れない居間に飾ってあった。父さんの中でも、何かが変わっていっているようだった。
急激に変わっていく『金の星亭』。変わるのは建物だけじゃない。そこにいる俺を含めた皆だ。……ルカ。もう、閑古鳥が鳴いていたあの頃とは違うぞ。
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