3話 お隣さん視察

 その翌日。午後の仕事を一通り終えて、ごろりとノートを握りしめながらベッドに横になる。事業譲渡されたとして、無事に運営できるかどうか。そもそもお隣とはいえ、チラッと覗いただけで向こうの宿の事って全然知らないんだよな。


「そうだ、『剣と穂先亭』に泊まってみよう」


 良い考えじゃないかな。うちとの違いを簡単に体験できるし。よし、父さんと母さんに聞いてみよう。

 

「お隣に泊まる?」

「うん、それで向こうの経営方針を見てみようと思って」

「そう、じゃあ今日は夕飯はいらないのね。分かったわ」


 あっさりと両親の許可を得て、意気揚々と俺はお隣の扉を叩いた。すぐにウェーバーのおばさんが顔を出す。


「おや、ルカ。どうしたんだい」

「泊まりに来ました。部屋、空いてますか?」

「へっ?」


 気の抜けた声を出したウェーバーのおばさんだったが、訳を話すとすぐに気を取り直して部屋へと案内してくれた。


「じゃあ、ルカ。夕食になったら呼ぶからね」

「はーい」


 おばさんが部屋の扉を閉めた後、ゆっくりと室内を見渡す。


「へぇ……」


 シンプルな室内はこざっぱりしている。試しにキャビネットの裏側を覗いたが穴なんて空いていなかった。当たり前か。その当たり前が出来ていなかったんだけど。うち。

 今度はベッドに倒れ込む。寝心地が大きく違うって訳じゃ無いんだけど、うちの使い込んだシーツより真新しい。


「さって、下の食堂でも覗いてこよう」


 俺はベッドから身を起こすと階下へと向かった。館内はうちよりやや広いくらい。間取りは大体うちと同じ感じか。部屋数がちょっと多い位だろうか。掃除も行き届いていている。裏庭もうちより広いな。


「おや、ルカ。夕飯にはまだ早いよ」

「ちょっと厨房を見ててもいい?」

「ああ、構わないけど」


 厨房の中には、ウェーバーのおばさんと男性の従業員がもう一人。無言の連携プレーで仕事をこなしている。


「……これ、うちが出来るのかな」


 うちは基本的にパート勤務のリタさんが作り置きしたものを出す。簡単なものなら追加で作る事もあるけど。

 そのままぼんやり、宿の中を見て回っているうちにお客さん達が仕事を終えて帰って来た。


「女将さん、これ洗っておいてくれるか」

「あいよ、そこ置いときな」

「水をくれないか」

「そこにあるよ」


 接客自体はなんていうかぶっきらぼうだ。だけどウェーバーのおばさんは笑顔で気持ちが良い。


「ルカ。何を食べるんだい?」

「うーん、おまかせで!」


 夕食時、そう言うとシチューとパンとサラダが出てきた。お味の方は……うん、美味しい。けどリタさんの料理が負けているかって言えばそうでもない。


「どうだい、おや……全部食べたのかい」

「ぷふー。くるしい……」


 差があるっていえば盛りがいい。出されたまま全部平らげたら胃がパンパンになってしまった。


「ありがとう、ごちそうさま」


 そう言って部屋に引き上げた。重たいお腹をさすりながらベッドに腰掛ける。なんて言うか……差が微妙だ。これで泊まり賃は銀貨二枚。


「微妙すぎる……さじ加減が難しい」


 シーツとか備品の類いはいいとして、ウェーバーのおばさんと同じ様なサービスをそのまま出来るかっていうと疑問だ。うちはうちのやり方があるけど、金の星亭のサービスをそのまま移植したら……お客は戸惑うぞ。これは結構大変かもしれない。


「うーん、元々こことうちはお客が被っているんだよね」


 それでうちは苦肉の策で料金を下げたのだ。じゃあどうするか……。俺はノートを広げた。引っ掛かっていたのはここなんだな。具体的な経営の内容になるとぼんやりしてしまう。


「そうだ、いっそ客層を分けてしまうのはどうだろう」


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。『金の星亭』の改装を進めて、内装を豪華にする。人をもっと雇ってサービスの質を上げる。微妙なサービスの変化は反発を生むかも知れない。だったらまるっきり違った方がいいんじゃないだろうか。


『その時は、『金の星亭』は高級宿になっているかも、なんて……』


 エリアスにかつてそんな事を言った事を思い出した。そう……今がその時なのかもしれない。うちにしか泊まれないお客さんに配慮して値上げを控えてきたけれど、『金の星亭』の方を高級路線に変更して、こっちは別館としてリーズナブルな値段で提供する。


「よし、よし……それで必要なものはなんだ?」


 高級宿って何をどうすればいいんだ? よく考えろ。まずは見積もりをバスチャンさんに出して貰おう。それから人も雇わないと。俺はカリカリと事業計画の草案を夜が更けるまで俺はノートに書き付けていた。


「おはようございます」

「おはよう、ルカ。おや、よく眠れなかったのかい?」

「いや、その……夜更かししちゃって」


 まったくもう、と良いながらおばさんは俺の寝癖を直した。変な感じだ。人の所で朝を迎えるのは。


「ねぇ、ウェーバーのおばさん」

「なんだい、ルカ」

「泊まってみて思ったんですけど、ウェーバーさんとまったく同じ様には宿を経営できないんじゃないかなって思ったんです」


 それを聞いたウェーバーのおばさんは顔をクシャクシャにして微笑んだ。


「そりゃそうだろうね。あたしはこれで長くやってるんだからね」

「ウェーバーさんはそれでいいの?」

「構わないさ。あんたらなら悪さしないだろうってんでお願いしただけなんだから。好きなようにやっとくれよ」

「そう……」


 そうか。ならこの計画を実行に移してもいいかな。俺は家族達にも相談をするべく家へと帰った。


「ただいま!」

「おかえり、ルカ。どうだった?」

「うん。やっぱり泊まって良かった。考えがまとまったよ。今晩も家族会議をするから!」


 母さんはやっぱり何か考えているのね、ともう諦めたような顔で頷いた。

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