6話 曇り空(前編)

「おにいちゃん、朝だよー!」


 珍しくソフィーに肩を揺さぶられてその日俺は目を覚ました。うーん、と伸びをしていつものように窓を開けると空はどんよりと暗く曇っていた。


「こりゃ、雨になるかもな」


 雨が降るとどうしても床が汚れる。細く降る雨に濡れたお客さんにタオルを渡して回るのも骨が折れる。ずっと晴れの日って訳にはいかないけどさ。少々憂鬱にもなるってもんだ。


 身支度を終えて、二人して階下に降りる。ソフィーは母さんと朝食の準備にとりかかり、俺はまずは表の掃き掃除からだ。箒とちりとりを手にドアを開けて、先日新しくなった屋根を今日も眺めようと振り返った俺は仰天した。


「なに……これ……」


 目に入ったのは、壁に書かれた大きく真っ黒な文字。


――この宿は不当に利益を得ている

――強突く張りの家


 そんな罵倒の言葉が殴り書きされている。……なんの事だかわからない。うちが不当に利益を? ようやく貯めた資金でちょっとずつ改装しているような状態だぞ。誹謗中傷にも程がある。


「父さん! 母さん!」


 身に覚えはないが、とりあえず家長である父さんに一報だ。駆け足で家に入り両親を呼んだ。切羽詰まった俺の声に、ユッテとソフィーも怪訝な表情で表に出てきた。


「どうした、ルカ」

「ユッテ。それが……とりあえずコレ見て!」

「……なんだこれは」

「あら! なにこれ!」


 壁の文字を目にした父さんの目が鋭く細められた。昨日の夜見た時には無かったから、深夜のうちに書かれたのだろう。俺達が起きている間にこんな事があればお客さんも騒ぐだろうし、そうなったら父さんが出動する。


「とりあえず消すか……」

「ぼく、ブラシを持ってくるよ」


 家先で騒いでいたせいで、ご近所さんもこちらを見ている。隣からウェーバーのおばさんもやって来た。


「マクシミリアン、何があったんだい。こりゃひどいね」

「いや、さっぱり。こんなことを言われる所以はないんだが、一体誰だ……?」

「ギルドに相談するべきだろうね」

「そうだな」


 そう話している二人の間をすり抜けて、バケツとブラシを用意した。幸い何かの塗料のようなものではなく、炭か……薪の燃えさしのようなもので書いてあるので落とすことは出来るだろう。母さんとソフィーが水ですすいでいる横で、父さんと二人ががりで壁をこする。


「ふう……これでなんとか」


 しばらく格闘して、なんとか文字は読めない位に薄くなった。黒っぽい汚れが壁に残り、すっかり元通りという訳には行かなかったけれど。朝食の時間も迫ってきた為、仕方なく俺達は宿の中に切り上げた。


「おい、何だか朝方騒がしかったな」

「ああ……ちょっと、壁に落書きされちゃって」


 寝癖をなでつけながら、席につくゲルハルトのおっさんに事情を説明する。


『金の星亭』ここに? そりゃ随分命知らずがいたもんだ」

「ははは……という訳で、朝食はちょっと待って貰えますか。今大急ぎでスープを作ってるので」

「ああ、構わんが」


 朝のオペレーションも狂ってしまって散々だ。余計に慌ただしく、朝の仕事を終えてようやく登校の準備を整えた。


「ルカ、今日は俺も一緒に行こう」

「そっか、今からギルドに行くんだね」


 学校と商人ギルドは隣り合っている。……うーん、ちょっと遅刻になるけど俺も報告に付いていこうかなぁ。


「父さん、ぼくも商人ギルドに行っちゃダメかな。学校はその後で向かうよ」

「ルカ、勉強を疎かにするな。何かあれば学校に呼びに行く」


 俺が父さんにそう聞くと、ぴしゃりと答えられた。ちぇ、仕方ないな。後で報告を聞くとしよう。そうしてギルドの前で父さんと別れ、登校した……のだが。


「ルカ・クリューガー君。商人ギルドからの呼び出しです。至急向かって下さい」


 席について授業も始まらないうちに、担任のベルマー先生からそう告げられた。父さんの報告じゃ当をえなかったとか……まさか、父さんのコミュ力はいくらなんでもそこまで酷くはないぞ。あたふたと荷物もそのままに、身ひとつでギルドに向かった。

 ――そこで、俺は朝に続いて驚きの光景を目にすることとなった。


「ルカ君、この度は申し訳ない」


 通された部屋には、わずかに戸惑った表情をした父さんと俺に向かって頭を下げている副ギルド長の……ジギスムントさん。


「あの……一体……とりあえず頭を上げてください、ジギスムントさん」

「ああ、そこに座って頂けますか。事情を説明しましょう」

「は、はい」


 俺は父さんの座っているソファの隣に座った。すかさずお茶が出てくる。いつもの秘書の人だ。一口だけお茶を頂いて、呼吸を整えると俺はジギスムントさんに問いかけた。


「副ギルド長、どうしてぼくに謝るんです? 落書きがギルドの仕業だったとか?」

「まさか! ただ、まったく無関係とは言いがたいのです」

「どういう事です」

「落書きの内容から察するに、動機は嫉みの類いでしょう。まぁ、人は誰でもそんな感情を持つ物だと私は思いますが、しかし『金の星亭』は……」


 直接的に言うのを言いよどんだジギスムントさんに、こっちから口をはさんだ。


「嫉まれるほどもうけちゃいないですよ。新メニューを作ったりして集客はがんばってますけど、どこだってそうでしょう?」


 そう、そこが分からないんだ。営業努力なんてどこもしている。多少の成果でいたずらされちゃ、ヘーレベルクの街は落書きだらけだ。それこそ商人ギルドが黙っていないだろう。商売は笑顔の裏にどろどろしたものもはらんでいるけれど、信用と面子を自分からぶちこわすリスクを負う程の嫉妬って。なんだって、うちが?


「ルカ君、ひとつ『金の星亭』が他の宿と違う所を忘れてますよ」

「……へ?」

「『金の星亭』には売店があるでしょう。商人ギルドが許可した、ね」


 ふうっと息を吐いて、ジギスムントさんがそう言った。


「売店……ですか」

「そうです。実は、他の宿からも売店を作りたいという申請をいくつか受けていましてね」

「はぁ……」


 なるほど、隣の宿からもお客さんが来たりするもんな。自分の所の宿に欲しいって思う宿屋があっても不思議ではない。


「我々は、その申請を全て却下していました。当然苦情はありましたがね」

「それは……その、うちに遠慮してとか?」


 そう俺が言うと、ジギスムントさんはふっと笑った。あ、畜生。今、馬鹿にしたな。


「我々が、そちらに宿内での物品の販売を許可したのはいわば実験です」

「ですよね……」

「つまり、『金の星亭』と同等、それ以上の実績を出せる申請ならば我々は許可を出していました」

「ってことは、そんなんじゃなかったって事ですね」

「ええ、安易な後追いでの許可を求めるものばかりだったのです。我々も既存の商売は守らないといけません」


 そこまで言うと、ジギスムントさんは天井を仰いだ。


「しかし……そちらに矛先が行くのを抑えられなかった。それは我々の落ち度です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る