3話 禁書庫の主

 ――カツカツ、カツカツ。教室に先生の板書の音が響く。牙猪の部位の特徴を書き終えると講師の先生はぐるっとそこに丸印をつけた。


「はい、ここテストに出ます」


 ……言った。言うかなって思ったけど。こっちの世界の学校でも先生は「テストに出ます」って言った!


「アレクシス……テストに出るってさ……」

「うん、ちゃんとノートにとってるぞ」

「いや、テストに出るって言ったんだ……」

「ルカ……?」


 ああ、いまいちこの感動が伝わらない。当り前か!……それにしてもテストね。冬を迎えて学校ではまもなくテストが始まる。それが終わったら、約一月の休みに入る。冬休みだな。テストの憂鬱とその後の休みへの期待。随分、味わっていなかった感覚だ。と、言ってもうちの場合は冬が稼ぎ時だから自分とこの手伝いで終わるだろうけどさ。


「……テストかぁ。勉強しないとなぁ」


 教室を移動中にやっぱりぼやきが出てしまう。テストの内容についてベルマー先生が資料としてみんなに見せてくれたのは中間試験の解答用紙、というより小論文の解答用紙だった。つまり記述式って事だ。分からなかったら鉛筆転がして丸じゃすまない。ちゃんと理解していないとダメなんだ。


「図書館にでも行ってみようか」

「……そうだね。その方が集中できそう」

「うちもなぁ……邪魔ばっかり入るもんなぁ」


 そう言いながら、アレクシスがガリガリと頭を掻く。アレクシスの父親……クリストフさんはまだ反対しているのか。もう四ヶ月くらい経つんだからいい加減諦めればいいのに。うちもテスト勉強できるようなプライベートスペースは無いに等しいから、図書館で勉強するのは良い考えだ。資料もあるだろうし。


「じゃ、放課後に行ってみよう」

「そうだな」


 そう言いながら廊下を曲がったところで、俺達は出会い頭にぶつかりそうになった。


「気をつけろ!」

「ごめんなさい! あ、ラファエル」


 状況を飲み込む前に、日本人の悲しい性で俺が謝ったのはラファエルだった。よーく考えれば、見通しの悪いところで不注意なのはお互い様だよね。なんか損した気分。


「ルカ・クリューガー」

「……なんで毎回フルネームで呼ぶの……?」

「そんな事はどうでもいい。もうすぐテストだな」

「うん。頑張ろうね」

「僕は、お前に絶対勝つからな」


 うーん、相変わらずの負けん気だ。この間のバザーで売り上げに勝ってもまだ俺への敵愾心は薄れないらしい。そうして勝手に勝利宣言をして去って行った。


「どう思う? アレクシス。アイツ、いくらなんでもしつこくない?」

「……ああ。きっとブレスレットの販売を教会がはじめたのがお気に召さないんだろう」

「あれか。……なるほどねぇ」


 バザー単体での売り上げは確かにラファエルのクラスの勝ちだった。だけど、俺達のクラスの出店内容はバザーの後にも実績を残したんだ。それも、今後もずっと続く……。


「――そいじゃあ、一生懸命勉強しますか!」

「おっ、やる気か?」

「出来る努力はなるべくね」




 放課後。荷物を抱えて、アレクシスと共に図書館へと向かう。廊下はどんどん人気が無くなり、シンと静まり返っている。


「ここかぁ……初めて来たな」


 扉を開くと、古びたインクと革と紙の匂いが満ちた空間が広がっていた。ああ、あっちにもこっちにも、本。本。本が一杯だ。


「うわぁ……広い!」


 広々とした空間に、背の高い書棚が並び本がぎっしりと詰まっている。確かジギスムントさんは元はギルドの資料室みたいな事を言っていたっけ。一生かけても読み終わらないだろう本がそこには並んでいた。


「ルカ、静かに」


 横に居たアレクシスが口元に指をあてて囁いた。いけない、ここは図書館だ。やっぱりこっちの図書館も静謐に満ちている。ただ……テスト前だというのに、なんだか人が少ない気がするけどな。


「おやぁ、見かけない生徒ですね」


 突然後ろから、声をかけられて振り向くと枯れ木みたいに細くて珍しいことに眼鏡なんてかけた男が立っていた。


「……どうも」

「私はここの司書のヘルツです。どの様な本をお探しでしょうかね」

「いや……静かな所で試験勉強がしたくて」

「それはっ! もったいない!」


 司書だというヘルツさんは唐突に大声を出した。しーっ! ここは図書館! 一斉に本を読んでいた生徒がこちらを向いた。ほら……。


「ここにはね、領主館以上の蔵書を有しておりましてね、言わばヘーレベルク一の知の結晶とでもいいましょうか」

「はぁ……」

「ですから! 自由に閲覧できるここの学生であるあなた方は、非常に恵まれている!」


 だから、いちいち声がデカいんだよ! 先程まで満ちていた静寂はこの司書さんのおかげで霧散してしまった。


「しかし、この本の海から必要な情報を探すのは大変な事でしょう。そこで、私の出番なのです」

「あのー、試験勉強をしに来たんです。本当に」

「一体、なんの勉強を?」

「とりあえず、今日は食肉の授業の勉強を……」

「なるほど! ちょっと待って下さい」


 司書のヘルツさんは小走りに棚の間に消えて、しばらくすると数冊の本を抱えて戻って来た。


「それでしたら、この辺の本が参考になりますね。ほら、図解入りでわかりやすいでしょう?」

「確かに……」


 ペラリとめくった本には魔物と希少度や使用部位、食味などが図とともに書いてある。ふーん、この魔物はよく採れる上に美味しいのか。……ん?


「あの……魔物の魔力とお肉の美味しさは比例しないんですか?」

「うーん、一応の目安になりますけどね。ほら……高価な珍味ってものは美味しく感じるでしょう!」

「あー……なるほど」


 牛肉も鶏肉もどっちが美味しいかなんて厳密に決められないものな。そういうものか。


「あっ!」

「今度はなんですかっ」

「良いものがあります!」


 再び、ヘルツさんは書庫の奥へと消えていく。その後ろ姿を見ながら、俺とアレクシスは顔を見合わせた。ふぅっ、とアレクシスはため息を吐いた。


「人が少ない訳だな」

「分かる気がする……」


 あの声のでっかい司書さんの洗礼を受けたら、大概の生徒は足が遠のいてしまうだろう。相談を受けるのが司書さんじゃないのか? アグレッシブ過ぎるだろう。ジギスムントさんは前に「詳しすぎては、商売に向かない」と言っていたけど、そのタイプの人間なんだろうな。


「これです、これこれ!」

「これはまた分厚い本ですね」


 でっかい本を抱えてヘルツさんが戻って来た。満面の笑みを浮かべて。


「これはですねー。教会から禁書とされて多くは燃やされたので、とっても貴重なんですよ」

「それはそれは……」


 俺は稀少本には興味がない。ホントに困った。この手のマニアの人にはどうやって接していいのやら。薄ら笑いを浮かべながら一応、本を開く。


「この本の著者はですね、『魔物は魔力を持つ、人間も魔力を使う。つまり人間も魔物の一種だ』という人間魔物説を唱えたのです」

「へぇ……」


 ありがたい、解説付きだ。さすがにこの分厚い本を読んでいたらテストどころじゃなくなる。


「そこまでは良かったんですけどねー。最終的に『人間も同じ魔物なのだから魔物を殺すのは止そう』とまで言い出してしまって」

「……どうなったんです?」

「こうです!」


 ヘルツさんは最高に楽しそうに自分の首を締め上げた。過激論で絞首刑ね……そんなに笑顔で語るものでもないよ。


「……ありがとうございました。その本はいいです。こっちは借りていきます」

「そうですかー」


 そそくさと本を持って俺とアレクシスは奥のテーブルに移動した。それから数日間、時折この風変わりな司書さんの突撃を受けながらテスト勉強に勤しむ事になった。

 図書館は、静かに!

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