五章 新天地はいかが?

1話 入学

 とうとうこの日がやって来た。商学校への入学式。季節は秋に入り、近頃はぐっと肌寒くなった。俺は洗面たらいで顔を洗うと、手のひらに水をつけて髪を濡らし丁寧にブラシをかける。とは言っても天然パーマだから乾くと縮れてしまうんだけどね。それでも気になる寝癖がないかと確かめて、真新しいシャツを着込み、赤いリボンタイを結ぶ。ちょうちょ結び苦手なんだよな……ゆがんでいないかを確認して、ブルーの制服に身を包んだ。


 ――商人ギルド直轄の商学校というものに入学に際しての試験は無かった。必要なのはそれなりの人物からの推薦状だけ。基本の授業の期間は一年間。ただし成績が悪ければ留年もあり、もっと勉強したければ延長もありだそうだ。俺の推薦状は副ギルド長のジギスムントさんが書いてくれた。


「ルカ君の推薦状は副ギルド長が書きましたので、こちらを提出してください」


 売店のいつもの収支報告にギルドに行った際に、バルトさんから半ば強引に手渡された。でなきゃシスター・マルグリットを通してたいして面識もない教会の司祭さんにでもお願いするつもりだったので、それに関しては感謝しているんだけど……入学金込みの授業料を聞いて俺は苦笑いした。


「なーにが『おかしいですね、安くするのは私の仕事なのに』だよ。くそっ! あのジジイ」


 金額はきっかり金貨10枚。結局は俺がデカい態度で商学校に行くと言ったところでうちが払えないの分かっててパンフレットの値段を上げたんだ。丸め込んだつもりがただ手のひらで踊らされていたって訳だ。正直、あんまり気分のいいもんじゃない。ま、おかげで両親に負担をかけずに通える訳だけどさ。


「おお、大人っぽく見えるな」

「似合うわよ」

「そ、そう?」


 階下の厨房に向かうとすでに朝食の仕込みを始めていた父さんと母さんはそんな風に言ってくれたけど……。しつこいようだけど半ズボンなんだよな。父さんがこの俺のどの辺に大人っぽさを感じたのか問い詰めたいところだ。


 今日からは宿の手伝いは基本は夜の夕食時の手伝いだけで、朝から学校に通うことになる。本日は入学式と授業の説明なんかが中心だそうだから、割と早く帰ってこられると思うけど。


「ぼくがいない分、ユッテの仕事の負担が増えちゃうね。大丈夫かな?」

「それよりルカが今出来ることを優先しろ。今だって充分手が回ってるから気にするなよ」


 心配でそわそわしている俺をユッテは気にしないと笑い飛ばした。まったく、その通りだ。自分で選択したのだもの。そっちに集中するべきだよね。


「じゃあ、いって来ます」


 帽子を被って、いつもの肩掛けバッグを持って家を出ようとすると母さんがかけよって来た。


「大丈夫? 忘れ物とか無い?」

「まだ教科書もなにもないもの、忘れるものが無いよ」


 ああ、教会の学校に通い出した時もこんなんだったな。ほんの一年前くらいのはずなのに色々あったせいで随分昔に思える。そうだ、あの日だって俺は父さんとソフィーの手を握りながらビビりまくりだった。


「あ、そうそう。これ、お小遣いよ」

「え? 銀貨3枚も」

「ルカのことだがら、変に無駄遣いはしないでしょうけど……足りなくなったら言うのよ」

「……ありがとう」


 小さな袋に入った銀貨をバッグに大事に仕舞いながら、母さんにお礼を言う。年齢とこの制服のせいで恐らく金を使うようなお付き合いは発生しないんじゃないかとは言わずに。勉強をしに行くんだ。別にオトモダチを作りに行くわけじゃ無いし。ここは割り切って行こう。例えばビジネススクールで必ずしもオトモダチが必要かって考えたらNOだろう。




 俺は家を出て商人ギルドのある広場へと向かう。商人ギルドのすぐ隣の三階建ての建物が校舎だ。ギルドの建物よりは小さいが、そこら辺の商会の建物よりはよほど大きい。ここで商売の基本を習って即戦力に叩き上げられるって訳だ。生徒達はヘーレベルクとその近隣の商家の子息で年齢は12~14歳くらいが中心。


 ちなみに貴族とかそこまでめんどくさいのはいない。貴族は家庭教師と王都に居る他家への行儀見習いで教育されるからだ。貴族って言ってもヘーレベルクには領主にその縁故の貴族と官僚と一部の神職くらいしか居ないけどね。いくらここが魔物素材の一大生産地で金を生む土地であったとしても、迷宮ダンジョンの影響で魔物の活動が活発なこの地方に好んで居すわるお貴族様は少ないってことだ。


 その辺は俺がどのくらい周囲と浮くか心配で教会のシスター・マルグリットに聞きまくった。さすがに貴族はいないにしてもこちとらしがない宿屋の息子で7歳……もうすぐ8歳だけど、この年齢はやっぱり浮くだろうな。


 見下ろすような建物を前に大きく一度、深呼吸をして俺は商学校の校舎へと足を踏み入れた。門の前には門番がいる。そして俺のブルーの制服を見ると頭を下げた。通ってよろしい、ってことかな? さて……校舎の中に入ったもののどこへ行ったらいいのやら。


「新入生は講堂へ……って講堂はどこだよ」


 不親切極まりない張り紙を前にキョロキョロと見渡す。とりあえず大人の人は……居た。俺はゆったりしたローブ姿の若い男性を見つけて声をかけた。


「あの、すいません。講堂ってどこですか?」

「ああ、そこの中央廊下を真っ直ぐだよ。……君、生徒……だよね」


 やっぱり、そうなるよね。


「ルカ・クリューガーです。これからお世話になります」

「私はユリウス・ベルマー、一応ここの講師だよ。よろしくね」


 へぇ。現役引退した爺様が講師だと思ってたけど、若いんだな。柔和そうな顔立ちのベルマー先生に礼を言って講堂へと向かう。


「うっ……」


 講堂に入ると先に居た生徒たちが一斉にこちらを向く。俺を見て隣に耳打ちしているヤツも居る。噂話は目に入らないところでやってくれないかな。覚悟はしてたけどやっぱり浮いてるなぁ。なるべく隅っこに座って、じっと入学式が始まるのを待つしか無い。俺は膝の上にバッグを置いてうつむいた。


「久し振りだな」

「聞いてくれよ、こないださぁ……」


 生徒達は互いに顔見知りや友人もいるのか、お喋りをしながら待機している。教会の学校で見た顔は居ない。彼らがフェリクスの言うところの「頭でっかちのぼんぼん」共である。どこか街の中ですれ違ったりはしていたかも知れないけど、ここに居るのはヘーレベルクの有力商会やその番頭などの息子がほとんどのはずだ。みんな基礎学習は家庭教師ですませて商人として生きるために学業の最後の仕上げに来ている訳だ……。




 ――もうこれ、半ズボンだとか年齢関係無しに俺、ぼっち確定だわ。

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