10話 車輪の行く末(後編)
自宅に戻り、ドアを開けると物々しい空気が漂っていた。がらんとして客は一人も居ない。見れば、客席テーブルに知らない人と父さんが対峙して座っていた。売店に残っていたパンフレットがテーブルに置かれている。冒険者ギルドの職員か。
「マクシミリアンさん、だんまりはやめてください」
ほとほと困ったように、その男はぼやいていた。父さんはうちの中に職員の男を通した後は、俺が戻るまで時間稼ぎをしてくれていたようだ。お願いした通り、ウェーバーのおばさんもやって来ていて事の成り行きを見守っている。
「ルカ、帰ったか」
「はい、父さん」
「……ちょっと! マクシミリアンさん!
サクラだけど、野次馬が居ることでそこまで強い態度に出なかった男だが、父さんの態度にとうとうじれてパンフレットを掴んだ。俺はそいつに向かって手のひらを差し出す。
「6枚ですから、銀貨12枚をいただきます」
「なっ……」
男は絶句した。みるみるうちに怒気で顔が赤らんでいく。
「そりゃあんた、当然、売り物には代金を払わなきゃなんないよ」
それを見ていたウェーバーのおばさんが口を挟んで加勢する。
「何を言っているんです! 勝手に商売して勝手にこんなものを売って、冒険者ギルドとして許しておくわけにはいきません!」
「商人ギルドの許可はとってある」
父さんは憮然として答えた。俺も差し出した手を引っ込めたりしない。
「それにそれは『金の星亭』ではなく、商人ギルドに権利があります。これを見てください」
俺は、手にした契約書を職員に見せた。パンフレットの内容は商人ギルドに所属し、その複製と販売は商人ギルドの権利であるという正式な契約書だ。
「だから、それは商人ギルドの商品です。勝手に持って行かれては困ります」
「ふざけるな! 糞ガキが」
「糞ガキというのは俺の息子のことか?」
父さんが立ち上がった。見下ろされただけで男は椅子ごと後ずさった。
「――出直してはいかがです? それとも場所を移しましょうか? 貴方には少々荷が重い案件でしょう」
声がして見れば、宿の入り口にあの男が立っていた。窓の外には二頭立ての馬車が見える。
「どうもはじめまして。私は、商人ギルト副ギルド長のジギスムントです」
「な、なんで副ギルド長がここに……」
「ここの売店の許可をしたのは私です。今日
よく言うよ。タイミングを見計らっていたくせに。グッドタイミングだ。副ギルド長が出てきたからにはいかにもぺーぺーなこの男では話にならない。
「――っ、いいだろう。冒険者ギルドまで来い! 逃げるなよ!」
男は取り繕うことも忘れて、宿を飛び出していった。逃げたところで何になるというのだろう。あと、ここ俺の家だし。
「……あれが、冒険者ギルドの使いですか。クリューガーさん、貴方舐められていますよ」
「否定はできんな。俺も歳をくった、ということだ」
父さんはふんと鼻を鳴らした。母さんが副ギルド長にとりあえずお茶を出した。
「どうぞ……申し訳ありません。ご足労いただきまして」
一口、お茶を口に含んだ副ギルド長は片眉を上げた。ごめんなさい。正真正銘、粗茶ですんで。
「このルカ君がね、面白い話を持ってきたもので……ちょっと出番を焦りましたかね。もう少し話の通じる相手なら良かったのですが」
「何、冒険者ギルドまで行けばすぐにあんたの相手は現れるだろう」
母さんとウェーバーのおばさんを留守番に置いて、俺たちと副ギルド長は商人ギルドの馬車に乗り込む。俺がちゃっかり乗り込んでも、二人とももう何も言わない。
馬車に乗るのは初めてで、案外揺れるものだなんて考えている間に、馬車は冒険者ギルドの前に横付けにされた。すると先ほどの男と、縦にも横にも大柄な体躯の壮年の男がドアをぶち破りそうな勢いでやって来た。
「マクシミリアン! お前、引退しても俺の手を煩わせる気か!?」
「よう、あんたか。わざわざ出張って貰って悪いな」
出会い頭にその大柄な男は父さんに食ってかかった。父さんと同じ位の大男だ。ジギスムントさんが小声で、あれが冒険者ギルドの副ギルド長だと教えてくれた。
「ようやくご登場ですか? クリストフ。責任者が腰が重いのは感心出来ませんな」
「ジギスムント! 貴様何のつもりだ!」
「商人ギルドですからね、商売ですよ……さすがに場所を移しませんか」
たむろっていた冒険者たちが何事かとこちらを見ている。獲物を見つけた蛇のような商人ギルドの副ギルド長。対して威嚇している熊のような冒険者ギルドの副ギルド長。両者はにらみ合いながらギルド二階の個室に入った。
ソファに腰を掛けて早速、口火を切ったのは冒険者ギルドの副ギルド長クリストフさんだ。
「そもそもだ、そちらの商売が揉め事を生んだのだ。そちらが引くのが道理というものだろうが」
「そんなことより、私がわざわざ足を運んだのです。この度の冒険者ギルドの怠慢について見解を伺いたい」
わざと挑発するようなジギスムントさんの物言いに、不遜な態度を崩さなかったクリストフさんのこめかみがピクリと動いた。
「……怠慢、とは聞き捨てならんな。女の子に手を挙げた
「お忘れですか? 私たちがご領主様より、常々言い付かっているのは『
「そんなことは百も承知だ」
俺はここぞとばかりにいそいそとテーブルにパンフレットを取り出して並べた。眉毛を精一杯八の字にして、哀れっぽくクリストフさんに問いかける。
「ぼくたち、冒険者の皆さんが安全に
「ん……それはだな……」
頭を下げるのは
「この手の仕事はどちらかといえば冒険者ギルドの管轄かとは思いますが……なに、冒険者ギルドが忙しくて手が回らないというのなら、我々商人ギルドが代行しても問題はございません」
「何をいけしゃあしゃあと……当然、冒険者の
――言ったな。言質はとった。
「そうですか……この商品はすでに『金の星亭』から商人ギルドが買い上げました。欲しいというのなら我々から買い取る必要がありますな」
ジギスムントさんは俺と同様、懐から『金の星亭』との契約書を取りだした。
「金貨30枚、300万ゲルトです」
ずいぶん盛ったな。値段を聞いた冒険者ギルドのクリストフさんの顔色がサッと曇った。
「――ここからは商人ギルドと冒険者ギルドの商談になりますから、このお二人には帰っていただきましょうか」
「……あ、ああ……」
……ご愁傷様。あれは喉元に食らいついたら離さないぞ。俺たちはジギスムントさんを残して冒険者ギルドを後にした。去り際にこっそりウインクしてたよ、あのおっさん。
「父さん、ぼく出来るだけのことはやったよ」
「ああ、よく頑張った」
ポンポン、と父さんが俺の頭を撫でた。うちに戻ると母さんとソフィー、ユッテが出迎えてくれた。母さんが俺を抱きしめる。その上ソフィーが首にかじりつく。苦しいよ。
「良かった、無事で。心配したのよ」
「おにいちゃーん……」
「父さんが横に居るんだよ。滅多なことにはならないよ」
そんな俺たちの後ろから、ユッテが問いかけた。
「ルカ! どうなった?」
「大丈夫。もう心配いらないと思う」
家族たちにちゃんと報告をしなくては。商学校に進むことも勝手に決めてしまったしな。
――後日、商人ギルドからパンフレットの権利を冒険者ギルドに売却したという書簡が届いた。あれをどんな風に扱うのかは冒険者ギルド次第だとも書いてあった。もちろん、売店の方もお咎めなしだ。どんなエグいやりとりがあったのか、推して知るべし、といったところだな。ただ、結局ジギスムントさんの懐にいくらの金貨が転がり込んだのかまでは分からず仕舞いだ。
そしてユッテはスラムの自分の住処から、『金の星亭』の住み込み従業員として引っ越してきた。屋根裏の空き部屋を整理して、ユッテの個室とした。いつも大荷物を背負っているユッテだが、私物は鞄ひとつだけ。あっというまに引っ越しは完了した。
それから、あと一つだけ変化があった。ユッテがズボンを脱いで、スカートを履くようになったのだ。もう
「ユッテ、そうしてるとちゃんと女の子に見えるね」
「またお前は……最初っから女だって言ってるだろ」
そう言いながら、ユッテはスカートの裾をペロリと捲ってみせた。
「わっ、よしなよ!」
「ほら、スカートなら丈を直せば何年も着られるだろ」
「そういう問題じゃないんだってば!」
ちゃんと女性としての嗜みも覚えて貰わなきゃな……なんにせよ、すべてはこれからだ。ユッテという新しい家族を迎えた『金の星亭』の未来も、俺の将来も。
――今回はきちんと、後悔の無いように進もう。時という馬車の車輪は、前に進んだら後戻りは出来ないのだから。
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