自己責任

 そして、春は公立高校に進学した。


 入試における多少のラッキーは、確実にあったらしい。彼の成績では百パーセント受かるとは保証しかねるところだった。入試問題が、論理的思考を問うというよりは基本問題の繰り返しだったのかもしれないが、そこまではデータ上からはわからなかった。

 運も実力のうち。と、いうよりは運などすべて吹き飛ばしてしまうのが超優秀者というものなので、それなりの人間にとっては、運など誤差だ。入試で少し上の学校に入ってしまえることも、もっと下の学校になることも、よくある。

 旧時代の末期においては、入試の一発勝負は運が絡みすぎてある種の不平等さがあるということで、在学中の成績をよくよく丁寧に見ようという動きもあったらしいが、いまはその揺り戻しの時代であるとも言える。

 要はいちいちひとりひとりの人間の、運のランダム性の調整なんて、やっていられないという話で――そんなところに社会のコストをかけるくらいだったら、優秀な人間がよりその優秀性に相応しい暮らしをできるように、そこにコストをかける。


 いちいち人員と時間を割いて、あなたは優秀ですか、優秀ではないですか、優秀になれる可能性がありますか、などとフォローしていくなんて。

 無駄でしかない、と考えられている。

 あきらかに優秀な人間は、最初から際立っているから。

 すべては自己責任。

 優秀になれるのも、劣等になっていくのも、詰まるところはすべて本人の責任に帰することができるから。


 在学中の成績は定期的にNecoに記録されていくが、それはたいした手間では――いや、ほとんどなんの手間でもないからだ。Necoは社会のすべてを見ている。すべてをリアルタイムで記録し続けていく。高柱猫が力を注いでつくりあげた巨大な社会監視システム、社会監視ツールのなかでは、数値的な情報をインプットして記録していくことなんて、わけもない。

 ただ、そこに人間的な判断は入れない。

 コストだから。手間だから。


 すべては数字で決まる。入試の、得点というわかりやすい数字。加えて、それを見る学校であれば、世帯の社会評価ポイントという数字。そして入学条件は学費という数字。


 原則的には入試の点数で決まるのだ。春の進学した公立高校は、家族の社会評価ポイントはほとんど加味せず学費に関しても抑えられていた。

 実際。そこに進学した、のちに非常に優秀になる――しかし家族の社会評価ポイントは最悪で本人も経済的に他人に頼りきりにならざるを得なかったという、とある人間が記録に残されている。


 彼は、名前を峰岸狩理という。

 親が犯罪者だという、とんでもなく不利な出自。犯罪者の遺伝子をもっている上に、保護してくれる親類縁者もいなかったせいで、幼少期からかなりの苦しい立場に立たされていたらしい。……まあ、それは、そうだろう。犯罪をした人間の子どもをわざわざ引き取って育てようなんて、そんな奇特な人間はほとんどいないと言っていい――たいていの場合、犯罪者の遺伝子を受け継ぐ子どもは養育者がいなくなればそのまま人間未満処分されるのだ。


 子どもの人間未満というのは市場価値が高く、だからさっさと見切りをつけて人間未満に加工してしまうことで、その子どもはリソースとしては社会に貢献することができるのだから。


 しかし、たまにそのまま人間として生きようとする子どもが現れる。

 犯罪者の息子だということで、社会評価ポイントの出発点はとんでもなくマイナス。犯罪者というとんでもない人間未満の遺伝子をもっているくせに、自分は人間として生きようとするとはなんと傲慢、なんと分をわきまえておらず、なんと愚かだということで、追加でかなりのマイナス。


 生涯、許しを乞いながら生きていかねばならない。謝罪しながら生きていかねばならない。ごめんなさい、犯罪者の子どもなのに、のうのうと生きていてごめんなさい、と。劣等な遺伝子をもっているくせに、人間になりたいなんてだいそれたことを思って実行して本当に愚鈍で、ごめんなさい、と――。


 ……唯一、道がひらかれるとしたら、生まれもった巨大なマイナスを埋めてなお有り余るほどに、社会に貢献していくこと。感覚的な、抽象的な、ふわっとしたレベルではなく、社会評価ポイントによって示していくこと。


 それを達成できる犯罪者の子どもは少ないが、峰岸狩理は成し遂げた側らしい。

 彼は高校在学時ほとんど一貫して主席をキープしていたのだという。そして国立学府にストレートで進学、化学を修め、いまでは高柱第四環境循環研究所の若き所長となっているらしい。



 ……たしかに、たまに、そういう学生はいる。

 犯罪者の子どもだということもデータでわかるし、そうでなくとも、顔をしかめられるような出自の人間である、ということはすぐにわかるのだ。


 寿仁亜はそういう学生に対してあまり差別しないが――そのぶん、相応の成果を期待するのは、たしかに、……たしかに、常識感覚的にふつうのことであると言えた。



 どこの組織でもそういうものだが、トップクラスの人間というのは記録に残されていくものだ。際立っていたり、主席だったりすればなおさら。

 春の代は、それが峰岸狩理という人物だったのだろう。峰岸狩理自身の優秀さは、際立ったものであると言えた。実際、国立学府に行ってからも成績優秀、学生時代から化学の研究分野でいくつか賞を取るなど、その活躍は目覚ましい。

 春は、そんな人間と、同期だったのだ。

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