爆発
来栖海の当時言っていた、高校なんかいくら行っても、お兄ちゃんのようになるだけだから、無駄だ、という主張は、もちろん空を見れば当てはまらない。
空は、高校にきちんと通いバスケットボールと学業に励み、その後の人生への礎にした。
そんな姉を見ていたから、海も高校を堅実に選んだはず。
それなのにどうして急に、しかも高校に入ってから、やっぱり無駄だと言い出したのか。当時の海いわく。
――お兄ちゃんも、高校を卒業すればそれなりの大学に行くんだと思ってた。あたしよりは、頭がよかったはずだし。でも結局、なに? 行き着いた先はひきこもりのニートなの?
春は、高校卒業後とくになにもせずに、ひきこもっていた。
学校にも職にも行かず、どこか公的な施設にも通わず、ただただ、ひきこもっている。
かなりの危険信号であると言えた。
そのような生活を続けていれば早かれ遅かれ人間未満堕ちになる。ショッキングなできごとだ。家族が、動物になっていくというのは。
しかし、家族からすれば、人間未満堕ちにならない場合のほうがかえって厄介かもしれない。もうまともな人間になれる見込みのない人間を、延々と養い続ける。延々と。延々と。自分たちが頑張って稼いできた社会評価ポイントや収入を、だくだくと与え続けながら。
水をやり続けているのに花が咲くことはない。その花は既にしおれているのだ。息を吹き返すことはない。なのに水を与え続けなければならない。水を手に入れてきて。苦労して手に入れてきて。感謝をされることもない。花は、沈黙している。花は永遠に沈黙している。
咲く前に枯れてしまったのだから。
そんな生活に嫌気がさして、最初は自ら本気でかばっていた家族を、やがては倫理監査局に差し出す者も珍しくない。よくある話だ。もう我慢ならないと、その日までだくだくと水を受けるかのようにかばわれていた家族は、ある日突然、人間未満に成っていく。
――お兄ちゃんのせいで世帯の社会評価ってどんどん下がってるんでしょ。お父さんが稼いできた社会評価ポイントでカバーしてるって聞いたよ。それって、お兄ちゃんがお父さんの社会評価ポイントを奪ってるってこと? 信じられない。
正確には、海の理解は少しだけ違う。
劣等な家族、とくに子どもに対して、自身の社会評価ポイントを根拠にスペシャル・サブジェクティブで評価してかばうことは、そう珍しいことではない。たとえその人間にたいして評価する点がなかったとしても、評価をするのだ。
この子は優しい子で。この子は頑張ることができて。この子は独特の感性をもっていて。など。など。などなどなど、と。そんなだれに対してもできるような評価を――でも主観的な評価だから否定できないラインの評価を、して。
ほんとうは優しくもなく頑張ることもできず独特の感性などもっていないのだ。
けど、かばう。家族だから。わが子だから。かばうのだ。
ひとひとりぶんの、人間に足る社会評価ポイント。充分な水準のスペシャル・サブジェクティブを生み出せるために、その根拠として自身の社会評価ポイントを獲得するのは、たしかに、容易いことではない。
すくなくとも中流以上、優秀か劣等かぱっくりと二分すればつねに上位にいられないと、ひとひとりぶんの社会評価ポイントを維持することは、無理だろう。
その点では、来栖咲良が仕事に励まなければならない理由が、たしかにひとつ増えたと言えた。
春の存在により。
瑠璃は一般シュフということで、職には就いていない。この機に専業シュフに切り替えるのもありではないかと、アドバイスも受けたらしいが――考えてみます、と返した後、話はストップしていた。
そうなるとたしかに咲良が世帯の人間の社会評価を確保し続けなければいけない。
評価をし続けなければならない。働き続けなければならない。休むことなく。トラブルを起こすことなく。
――お兄ちゃんの面倒って、いずれあたしが見なくちゃいけないわけ⁉
海はそうも言っていたらしい。
そればかりは、わからない。たとえば咲良と瑠璃が他界した後、春がひきこもりを続けていれば、面倒を見るのは空か海になる。
もちろん、その時点で存在を放棄することもできる。親と違って、自分は面倒は見れないと。そうすればすぐに人間未満堕ちの手続きがなされる。それで、おしまいだ。
ただその場合には近親者の同意が要る。兄弟姉妹は、必ず同意をする近親者として位置づけられている。義務を負わされているのだ。
しかしそれを知ったとき、海は、更に憤ったらしい。
――見捨てるって、判断も、あたしにさせるの!?
……たしかに、まあ、見捨てるという判断にも、コストがかかるのはたしかだ。
――わけ、わかんないよ。だったらお兄ちゃんはなんのために高校に行ったの? ひきこもりになるために行ったの? じゃあ……じゃあ、あたしだって、高校なんて行かずに好きなことやったっていいじゃん。
海は、論理的になにかを言いたかったわけではないのだろう。
いろいろ記録は残っているが、寿仁亜が思うに、海が言いたかったのは結局のところ感情だ。
それも、重要な、無視できない感情。
兄が、人間未満にどんどん近づいていることへの、落胆。
その感情に、自分自身がおそらくは小学校六年生のときに社会適応指導教室を「卒業」してからずっと我慢してきた、いろんな気持ちがあわさって、爆発してしまったのだろう。
自由にやりたかったにちがいない。社会評価、などというものがなければ。
社会評価的には、当然、アイドルを目指すより高校に行ったほうがまっとうだ――ほんとうにプロのアイドルになれるならば、まだしも。
――お兄ちゃんのせいであたしの人生もめちゃくちゃなんだけど!?
人生が、めちゃくちゃ。
それはどこまでが海自身の問題で、どこまでが春の問題だったのか。
ただ――追究したって、仕方がない。
海は海で、問題を抱えていて。
それが、おなじ家庭にいた春の存在により、爆発したことだけは、たしかだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます