素晴らしき文化

 傷口に塩を塗る、と最初に思いついた人間は、どうして思いついたのだろうか。


 変な問いかもしれないが、長い歴史のなか、だれかが思いついたことは確かだ。たとえば河豚や毒キノコには毒があるとわかるのはだれかがそれを食べてしまったからであったり、植物や動物を育てて食するのはだれかが思いついて始めたからであったり、腕や手を切り落としても人間がすぐに死ぬわけではないと知られているのはだれかがやってみたからであったり、なにごとも、最初に思いついて実行した人間というのがたとえ名前は残っていなかったとしても存在する。


 河豚や毒キノコを食べてしまうのはわかる。魚やキノコが食べられるという前提があれば、見た目にはそこまで変わらないそれらを口にしてみるのは取り立てておかしいことでもないし、でも実際にそれで生涯を終えた人間というのがいたのだろう。動物や植物を育てて食べてみようと最初に思った人間はすごいと思う、だから人間はいまこんなに数が増えたのだろうしいまでは常識以前の常識になっていることだけど、それでもいちばん最初に思いついた人間というのはいたはずだ。

 どういう気持ちだったのだろうか。命を落としてしまったにしろ、後世の常識の基本を築いたにしろ、すくなくともその時代ではまったく新しいなにかを思いついた人間というのは、どういう気持ちなのだろうか。興奮につつまれているのか、それとも案外心のなかは静かなのか。

 僕は、そういう特別な側の人間ではない。だからいくら想像したってわからないし、虚しいだけだとわかるのだけど、……傷口に塩を塗った人間の気持ちというのは、たぶん、河豚やキノコの持つ毒を証明した先人や食糧生産の基本を築いた先人とはまた違った意味で、考えても考えてもわからないし、たぶん今後もわからない。

 それは、わからないという言葉で表す軽蔑や嘲笑ではない。そんなこと、僕にはする権利がハナからなくて、他人の傷口に塩を塗ってみようと思えることも、きっと人権をきちんと持っていることの証だったのだろうから。


 他人の傷口にふと、塩が入ってしまったのだろうか。あるときふと、ひょんなことで。それで痛がる相手を見たのだろうか。

 そのとき、彼か彼女かわからないが、その人間はどうしたのだろうか。善意で、慌てて塩を払いのけてあげようとしたのだろうか? それともニヤニヤして痛がっているさまを見ていたのだろうか?


 いちばん最初に、傷口に塩を塗った人間の反応は、わからない。けれども僕にはどうしても、根拠も合理的な理由もないのにその人間が塩を塗り込まれてもがく人間をニヤニヤと、笑って、エンタメにしていたのではないかと思えてならない。


 傷口に塩を塗る痛みを知ってから、人間は一種の技術としてその性質を利用するようになった。

 たいしたものだ、ほんとうにたいしたものだと思う――ひとは、ひとに痛みを与える技術にこと欠かない。旧時代の最後、高柱猫が嘆いた時代には多少うしなわれた。ひとがひとに痛みを与える意義と技術が、忘れられた。

 けれども彼のおかげでその素晴らしき文化は復活した。拷問、その洗練された技術を彼は好んだ。厳密にはすこし意味合いは違う――ひとは、ひとにはけっして拷問などしてはならないのだ。いかなる理由があってもしてはならない。痛みを与えるとは、人権を侵害すること。人権をもっている人間に痛みを与えるなど言語道断、そんなことをする人間は、もはや人間とは言えない。

 人間ではなかったヒト、人間未満に痛みを与える。

 人間未満は劣等だから、言葉で言ったところでわかりやしない。獣を扱うのといっしょだ、基本的には痛みを与えて、ときたま甘やかして言うことを聞かせる。

 いわゆる、アメもムチも。

 人間未満に対して、拷問の技術は大層活用できて――素晴らしい、素晴らしいことだったと、……中学や高校でだれしもが教わるだろう。




 ……ああ、ほんとうに素晴らしいよ。



 そんなどうでもいいことを考える。どうでもいいことを考えていなければ、意識が、心がもたなかった。

 痛み、というのは否応ない。とくに肉体的な痛みはそうだ。精神的な痛みならば痛まない、と言いたいのではない。精神的な痛みは慣れてしまう、麻痺させてしまう、よくも悪くも。

 けれど肉体的な痛みは主張する。限界なのだと主張してくる。そんな、悲鳴を上げるかのように存在しないでほしい、……主張しないでほしい、痛覚。

 その点、精神的な痛みというのはもしかしたら、弁えているのかもしれない。僕という存在の立場を。だけども肉体はずっと弁えない。弁えることができない。ある程度訓練でどうにかなるものなのかもしれないが、しかし――拷問、という文化があることからもわかるように、人間は、……痛みにたとえ多少慣れたとしてもそこから、さらに、理性を失わせるほどの、……意志をくじけさせるほどの痛みを与える技術を、発展させてきたのだから。


 実際、痛みになど慣れない。すくなくとも僕はそうだ。自分が人間に値しないと、とっくにわかったのに――痛みの感覚じたいは生々しく、いまでも、人間だったころのように主張してくる。まったくもって、不便なことに。


 だから、きっと、人間未満となったのちに肉体的な痛みを受けるのは、……その痛みじたいは人間だったころと変わらないから、きついこと、つらいこと。そういう理屈で、できているのかもしれない。



 やっぱり、うまいこと、できている。



 ここまで思考を、言葉をつらねないと――いや、つらねてもなお、……すでにボロボロの身体に鞭打つように塗り込まれる塩は、言葉では言い表しようのないほど、つらかった。

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