春の意図

 ……どうにか、する?

 来栖春が?

 人間未満などではないだろうに全裸で土下座などさせられている――とんでもない光景を見せてくれた、そんな彼が?



 学生時代にも泣いてばかりで閉じてばかりだったという、あの若者が、……これから、いまさら?



「どうにかって――」

「いや……私にはね、彼が考えなしにこんなことやってるようには、思えないんだよ。……春はあれで修羅場を乗り越えているぞ?」



 にやりと、不敵に寧寧々は笑った。疲弊した顔のなかにも、……希望のようなものを入れ込んで。



「春ならば、なにか考えがあるはずだ。……大丈夫だよ、春は一度、犯人たちには勝ってるらしい。そのときもね、ずいぶんと欺いたらしいんだ。騙されているふりをしてね――」



 寧寧々の話は――どうやらいま優先して、聞く価値がありそうだった。



 寧寧々によれば、春は以前、南美川家に用事があって行ったらしい。その際に、やはり彼ら――南美川真と化、そして具里夢と叉里奈によって危険な目に遭った。椅子に縛りつけられ、精神年齢が下がる薬を飲まされたが、薬の効果が切れてもなお精神年齢の下がったままの演技を続け彼らを欺き、どうにかこうにかで、脱出してきたのだと。


 人犬となった、南美川幸奈が教えてくれたのだという。


 正直なところ。

 来栖春が、そこまで大胆なことをするようには思えなかったが――しかしこの状況で寧寧々が冗談を言うようにも思えない。細部はともかく、おおむね寧寧々の言ったことは真実なのであろうが――しかし。



 ……弱いふりをして、ひとを欺くこと。

 それは、だれにでもできる芸当ではないことは、視野が広く人付き合いも広い寿仁亜はよく知っている――プライドが、邪魔をする。優秀性が人権を担保し、傲慢なふるまいさえも許可してくれるこの世の中では、……そもそも弱いふりをすること、媚びへつらうこと、従うことじたいが――劣等者のみがやらねばいけないことと、されているから。



「……では、来栖くんと犯人たちは、もともと知り合いだったということですね」

「まあ、そうなるな。詳しいことを私も知っているわけではないのだがな」


 となると、個人的な動機である可能性も出てくる。

 そもそも南美川家は、春を捕らえたのだ。いったい、なぜ? なんのために?


 その理由の心当たりを寧寧々に訊いてみたが、寧寧々は首を傾げて、さあ、と言うのみで――本当に心当たりがないのかはわからないが、しかし、いずれにせよ自分の頭で考えねばならない問題であることには、変わりなかった。


 素子が、準備室から各人の好みそうな飲み物を持ってくる。各人に飲み物が行き渡るなか、寧寧々は礼を言って、素子からそれを受け取った。冴木教授や寿仁亜のもとにもホットコーヒーが行き渡り、ほかの人々のもとにも飲み物が行き渡る。

 飲み物のよい香りで、部屋があざやかに満たされる。相変わらずリアルタイムで垂れ流される、文字通り見ていられないほどショッキングな公園内部の映像とは、不釣り合いなほどに。


「欺くのが得意なんだな、きっと彼は」


 寧寧々はホットコーヒーに口をつけ、小さな子どものようにふうふうと息を吹きかける。


「ピュアに見えるがな。あれで意外と、純朴ではないのかもしれない」


 なるほど――寧寧々の言うこともたしかに、……いったんは、仮説のひとつとして頭の隅に置いておく価値があった。

 来栖春というあの若者はたしかに、なにか、他人に見せないものを秘めている印象がある――他人に見せないもの、というのが、つまりは作戦であるかもしれないだけだ。


 ……とは言え。

 寧寧々の言うことをすべて、心底呑み込んでしまってもいいものかという懸念は、いまもあった。


 実際、画面に映し出されている彼は――あまりにも情けなく、他人の言うことにそのまま従っているだけの、……弱い、弱い存在なのだから。



 ……しかし。

 逆に、そうでなければ詰みなのだ。



 彼が、なんらか目的をもって行動していると――すくなくともそっち寄りの思考で話をすすめていかねば、このまま、……自分たちは敗北するのみ。

 それもまた、事実で。その事実は、研究室にいまどっかりと、実体はないが暗く巨大な影のように、横たわっていた。

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