寿仁亜の報告(3)
そしてもうひとつには――各分野の専門家も、一応の形式上捜査にあたっている社会公務員たちも、マスコミやオープンネット、クローズドネットに至るまで、……この事件はほんとうに謎だ、と騒がれているのだということ。
虚無をどのように利用したのか、座標軸をずらしたというのはどういうことかという、犯行の手順も興味の的だが――いちばん話題になっているのは、やはり動機。
ほとんどなんにも手がかりのない、見えてこない、犯人はなぜこんな大規模な事件を起こしたのかという――動機だ。
愉快犯だ、と言うひともいる。
いやいやテロだ、と言うひとも。
あるいは、なにか壮大で崇高な理念じみたなにか、もしくはそれに似たなにかを抱いていて――危険とリスクを顧みずこのような大規模な事件を起こしたのだ、と探偵じみて推理するひとも。
どれもありえそうで、どれももっともだが――結局のところ、あきらかにはなっていない。
……虚無や座標軸の演算を利用できるほどの人間だ。優秀ではないとは、思えない。すくなくとも頭脳に関しては。
退屈で仕方ない超優秀者が、退屈しのぎに事件を起こしてみたのか。
なにか組織による集団的犯行なのか。
優秀ではあるがこの世は間違っているという危険思想かなにかを抱いた人間が、社会を変えると思って行動を起こしたのか。もしかしたら本当は優秀なのに劣等者のふりをして劣等者として認定されてきた、長期の計画犯では、と推理する人間までいた。
クローズドネットなどでは、エンタメのように有名な優秀者たちや組織などの名前なども挙げられていたが――しかし、名前を見るとますますしっくりこないのだという。
たしかに、優秀、とくに超優秀であれば、このような大規模な事件であっても一度くらいなら取り返しがつくかもしれない。つまり、もともと持っていた社会評価ポイントと相殺して、すくなくとも人権は保持できる――という意味で。
しかしそれであっても、大打撃であることは変わりないのだ。
いくらなんでも、ここまで社会的にも大きな事件を起こしてしまっては、社会評価も無事ではいられない。マイナスのトータル・サブジェクティブと、クリティカルと――いったいどのように回収するつもりなのか。あるいは、……回収できたとして、そこまでの手間にこの事件は見合うものなのか?
事件が、見合うというよりは、だから。
……きっと、動機が見合うのだと。
「動機が見合うのだと――思います」
一番弟子の、依城寿仁亜は、そう推理するのだった。
……日はすでに落ちつつある。
夜が――近づいている。きっと、また、……長い夜が。
「犯行の責任が問い詰められたときの社会評価のマイナスは……計り知れません。相互に、評価することで成り立っている世の中なのです。人間に値するのかどうか。それなのに、まるでそんなのは関係ないと言わんばかりの手口――虚無を利用することも、……同一犯かわかりませんが、いたずらに盗聴などしてくることも。虚無や座標軸の専門家に対するリスペクトもない――相当、……自信のある犯人なのかもしれません」
「……ふざけた野郎だな」
「男性であるとも限りませんが……いえいえ、承知しております、……そのような意味で先生がおっしゃっていないことは。……きっと」
寿仁亜は、微笑む。
「理解されないと、思っているのでしょうね。……なぜこんな事件を起こしたのか。手口が、なにせ、派手ですから。そっちに目を向けているうちになにか自分の目的が達成できると犯人は考えているのかもしれません――」
「目的、ねえ……ずいぶんコスパの悪いこって」
「それは、僕も、……そう思います。しかし――犯人にとっては、見合ったコスパなのかもしれない。そこまでの動機というのが……あまりにも不明ですが……こんな事件を起こせるほど優秀な犯人なのだったら他の手段がなかったのか、ということも含めて」
そうだな、という気持ちをこめて銀次郎は顎に手を当て、うなずく。……髭を剃りたい。素子は洗面スペースや簡易シャワーくらい用意していそうだ。あとで尋ねて、春からプログラミングの続きが送られてくるのに備えて髭を剃り、シャワーのひとつでも浴びたいと思った。……いつ春がプログラミングの続きを送ってくるのかもわからないのだ。
「なんにせよ犯人像を突き止める必要が、ありそうです。犯人像を突き止めるとメリットがあるのは、虚無の専門家のみなさんをはじめ、多くの方々にとっておなじ――というよりは向こうのほうがメリットが大きいらしく。……手を組む価値は、以前からわかってはいましたが、充分にありそうですね。そして、同時に」
寿仁亜は――ますます、微笑みを深くして。
「公園の内部でなにが起こっているのか――虚無に隠して、複雑な座標軸の演算に関して、……僕には、犯人が見せたがっていないように感じます。そのカーテンを。ヴェールを、剥ぐことができれば――」
……そのときだった。
……ちり、ちり、と。
小さな、ひかりのように。
黒いプログラミング画面に。ちいさくちいさく、文字が刻み込まれていく――。
「……来栖だ」
銀次郎は、口にする。
新時代情報大学の対策本部の空気は、一瞬にして変わった。
髭を剃る暇は、なくなったようだった。
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