世界は早く動物園になってしまえばいい
「……ねえ。化。ねええってば。聞いてる⁉」
真の激しい声で、化は自分の思考からもどってきた。穏やかな表情は、崩れない。はっとしたときにはっとした顔をするほど、化は、遺伝子的に古い存在ではないのだ。
「あ。うん。真ちゃん。なに?」
「なに、じゃないわよお、さっきからさああどうすんのって言ってんじゃん、Necoの専門家のやつらにバレて動き始めたってことはさ、バレちゃうかもしれないじゃん」
「バレ、ちゃう、かな」
「だあかあらあっ」
真は、貧乏揺すりを始めた。むかしから。苛々するときの、自分の思い通りにうまくいかないときの、真の癖。
「いちから説明するからねいい⁉ あたしたちがっ、Necoを使って物理法則からなにから宇宙を模倣していちから記述してさああゲームプログラムみたいに創ってさあ、……座標を指定してNecoに無理やりそれ呑ませてさあ、あいつらのいる公園を指定して、公園のなかをあたしたちの新しい物理法則で動かすようにしてさあ、一般的なハードの代わりにレトロゲーム機っぽいやつ使って、操作してさあ、あとは用意したサクリィゲームのシナリオ通りに結末を迎えるまで展開させてくでしょ。ねえ、合ってるよねあたしの考え!?」
「……うん」
化は、ちょっとだけ、ほんのちょこっとだけたじたじとする。
……真ちゃんはどうして、ここまでエモーショナリィになっているのだろう?
当たり前のことを。ただ当たり前に、繰り返して――。
「座標軸をずらしたように見せるのもフェイクでしょ⁉ 座標軸をずらしたんじゃなくて、座標を指定してあたしたちのプログラムをかぶせて、指定した座標の内部は別世界になるように。でしょおお!?」
「うん。でも。実際に、虚無は発生したよ。……Necoが、ちゃんと、わかってくれるか、ちょっとだけ。心配だったけど。Necoは、ちゃんと、わかってくれて。公園のなかは、別次元のものに、なったから。Necoも。やっぱり。わかってくれるんだって。ぼく、うれしかったよ――」
「そんなのはどうでもいいんだってばあ!」
真は、フォークを持った拳を叩きつけるかのように、上方から思い切り振りかぶって、スクランブルエッグにフォークを突き刺した。ずしゃずしゃ、ずしゃずしゃと、細胞ごと殺すかのようになんどもなんども突き刺していく。……もう死んでるのに。
「フェイクだってバレちゃったかもしれないじゃん、座標軸をずらすんじゃなくて閉じ込めてそのなかでシナリオを展開させて結末を迎えさせるっていうのがバレちゃったかもしれないじゃん、どうすんの、どうすんのよおお、バレちゃったら、どうすんのっ!」
ざくっ、と。
音が鳴るわけないのに化の耳には、……真が、スクランブルエッグにとどめを刺した音が聞こえたような、気がした。
「……犯罪なんだからね!?」
真は、うわああっと読み上げるように声にして両手で顔を覆って、そのままダイニングテーブルに突っ伏した。右手のフォークは離さずに、ダンダン、ダンダンダンとテーブルを突き刺し続ける。そんなことしたってテーブルは、……死にはしないのに。
「いくらあたしたちが優秀でもっ! これはもっと、もおーっと規模の大きな犯罪なんだよ!? テロをやってるんだよ!? いままでみたいにっ! お遊びで、済まない! ――あたしの社会評価ポイントじゃ補えないかもしれないっ! そしたら、そしたら、どうすんの、どうすんのよおお、化、ねええ化えええ!」
化は、穏やかな笑顔をくずさない。
……くずす理由もない。
大丈夫。今日もすべてが、思う通りにまわっている――。
「大丈夫だよ、大丈夫、真ちゃん」
化は隣に座る真の肩を、優しく、とんとん叩いた。
……真が涙でぐちゃぐちゃの顔で、化を見上げてくる。
どこか、すがるかのように。……いちばんめの姉と似た顔で。
あ。かわいい。
「大丈夫……ぼくとふたりでやっていれば、絶対にだいじょうぶだよ……」
「うっ……ううううっ……」
真は、嗚咽を漏らし続けている。化はもっと、……真に優しくしてあげる。
「いざとなったら真ちゃんは」
穏やかなチェロのような声で、伝わるように、しっかりと。
「ぼくが、すべてを尽くしてでも、たすけてあげるから」
化は。
ひとを超えたもの、すくなくとも、超えうるものとしてつくり出された。
幸奈は、ラッキーで優秀な人間がうまれれば、と。
真は、真に優秀な者として。
そして化は――いかようにでも化ける者として。
化から見て。
真は半分、人間ではない者となった。
けれど――。
化の能力はもはや従来の人間を超えつつある。
化ももうずっと、長いこと、……自分が、まわりの能力がずっと低い人間たちとおなじ存在とは、思っていない。
だから。
だからね、と化はにばんめの姉に言い聞かせるかのように、心で思う。
……いきもののかたちに、もう。こだわることはない。
真がどうなったところで。
化はたすけてあげることができる。
そう。
いちばんめの姉のように。
彼女はけっきょく人間としてはどうにもならない存在だった。社交性もなくて、自分だってそれなりなのに、もっと下のひとたちを無駄に消費していく。
でも化はむしろ、そこにこそ希望を感じるのだ。
だからこそ化は――彼女を、かわいくしてあげることができたのだから。
世の中が、早く動物園と化してしまえばいいと。
化は真実、そう思う。従来、人間とされていた存在を、彼らが彼ら未満とみなす者たちをそれより下位の存在に貶めて、ぽいぽい、ぽいぽい、処分していくかのように。……化は彼らを早いところかわいい存在にして、動物園に、してしまえばいいと思う。
世界は早く動物園になってしまえばいい。
そうすれば逆説的にめぐりめぐっていずれ、……自分と同じいきものに、めぐり会えるかもしれないのに。
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