そんな化け物相手になにが

 可那利亜は、次々にいろんな人間たちに電話をかけているようだった。

 おそらく、優秀な人間ばかりに。


 あらやだ、ごめんなさいねえ、お忙しいときに、ほんと、申し訳ないわ、ありがとう――そんな言葉を甘い響きで、幾度となく繰り返していた。


「……ホストでも呼んでるみたいだな」

「やあねえ、呼んでないわよお。若い素敵な男の子を呼ぶならもっともーっと、甘えた声で呼んじゃうんだからね?」

「……聞きたくねえよ、んなこと」

「ホストを呼んではいないが――」


 寧寧々が、口を挟む。


「私には詳しくないのだが、可那利亜の知り合いの優秀者たちはクラブだかバーだか。そういうところで知り合った人間も多いんだよな、たしか?」

「そうよお。それも、アングラなところばかりねえ。アングラなクラブとかバーって面白いんだから。普通に生きていたら出会えないようなひとにばっかり出会えるのよ……」


 可那利亜はひそっと笑うかのように言った――そのとき、がたんと見槻が立ち上がった。


「……俺、ちょっと休憩してきますわ」

「私もお。っていうか、ペリーと通話してくるね。デートの途中でほったらかして出てきちゃったんだからさ、フォローしてこないと」

「俺も休憩いただきます」


 見槻が部屋を出たのを皮切りに、ジェシカも木太も、部屋を出ていく。

 素子が笑顔で送り出す。


「食べ物もお隣のお部屋にございますのでー」

「はーい、ありがとう、素子さん」

「……どもっす」

「あとでいただきますわー」


 部屋には人が減り、ほんのすこしだけ静かになった。

 ……そして、ほんのりと明け方の気配が近づいてくる。


 素子が飲み物を淹れ直し、部屋に残っている者――つまり銀次郎、寿仁亜、寧寧々、通話中の可那利亜の前に置いた。不作法なく、秘書としてまったくもって正しく。それぞれの飲み物の好みを既に周知した上で。


 可那利亜が通話しているあいだ、銀次郎はホットコーヒーの深い色合いを、睨み合いでもするかのように見下ろしていた。視線を外していたから、寿仁亜と寧寧々がどうしていたのかは知らない――だが気配がほとんど動かなかったことから、たいしてなんにもしていなかったことは間違いない。せいぜいが、ホットコーヒーと睨み合う程度のことだったに違いない。


 可那利亜の通話は、10分と経たないうちに終わった。


「みんな来てくれるわ。でも、早いひとでも日が昇ってからになりそうよ」


 そもそも、明け方だ。

 連絡がついただけでもすごい、というところはある。

 銀次郎と王たちの関係は、すぐに連絡がつくという意味で特別だから――あるいは可那利亜と呼んだ人間たちのあいだにも、そういう関係があるのかもしれないが。


 ぽつんと、奇妙な沈黙が浮かび上がる。


「……みな、仮眠や食事はいいのか。もうすぐ、六時になるが」


 寧寧々がぽつりと言ったが、だれひとり、仮眠や食事に向かう者はいなかった。だれからも返事がないことを、詫びる筋合いもないのに詫びるかのように寿仁亜が控えめな声色で言い出す。


「僕は大丈夫です、お気遣いありがとうございます……冴木先生、それにお二方も大丈夫なのですか?」

「俺ぁいいよ。もう、寝る気になんねえ」

「あたしは徹夜は慣れてるのよ、夜遊びでね」

「素子さんは?」

「いえいえ、とんでもないですー、私はこの時間はお仕事ですのでー」


 と、いうわけで。

 銀次郎の研究室には、出ていかない、休憩も取らない、かといって互いにリラックスするわけでもない――そんな奇妙な空間が、生じたままに続いていた。


「……奏屋先生のお呼びになった専門家の方々が、この事件、そちらの専門の立場から分析もしてくださるのだと思いますが――」

「やあだ、お若い寿仁亜先生、あたしのこと、先生だなんて。そもそもあたしは先生と呼ばれる立場じゃないのよ。ただ、お薬を開発しているだけで、だれかになにかを教えているわけじゃないわ」

「……ですが、専門家でいらっしゃる以上は、先生とお呼びしたほうがよろしいかと」

「寿仁亜――本当に、堅苦しいのはいらないんだ」


 寧寧々が口を挟んできた。ちゃっかりと、……寿仁亜、と口にして。


「可那利亜のことはカナと、私のことはネネと呼べばいい。私もカナも本当に、先生やらなんやらそういうのは苦手でな。ぜひそう呼ぶように頼めないだろうか。……春も私のことはネネさんと呼ぶよ。そう呼ばせたんだ。だから、寿仁亜にもそうしてほしい」

「ええと……」


 寿仁亜は戸惑いを見せた、――それはどこまで社会的なもので、どこまで本心なのかは、計り知れないが。

 そして絶妙な間のあと、はにかみを見せる――よくよく熟考した上で、ではぜひ厚意に甘えさせていただこう、との意志を相手に的確に伝えられるような様子で。


「……では、ネネさん、カナさんと呼ばせていただきます」

「うん、ありがとう」


 寧寧々はぶっきらぼうで化粧気のない顔に、わずか――笑顔のようなものを見せた。銀次郎からしたらそんな表情はちょっと、……意外だった。


「あたしも、寿仁亜くんって呼んでいいかしら? 若い子と、堅苦しく話をするのは苦手なの」

「ええ、もちろんです、どうぞご随意に」

「うふふ、よかった。……それで? いいわよ、話してちょうだい、寿仁亜くん」

「ありがとうございます。――奏屋先生のお呼びになった専門家の方々が、この事件、そちらの専門の立場から分析もしてくださるのだと思いますが、僕も僕なりに分析したいのです……なぜ来栖くんはこのタイミングでプログラミングを停めたのか。具体的には、来栖くんはいまどういった状況に置かれているのでしょうか……?」

「……んなの、どんだけ考えたって、わかるのかよ」


 銀次郎はあえて、突き放すかのような声色で言った。

 腕を組み――視線の先には、公園事件のニュースが流れている。

 依然、進展はないと。……虚無だけがただ、ひろがる。


 ……Necoで、時空を切り離し、異次元空間を創れてしまうような人間。


 いったい、どんな化け物なんだよと銀次郎は思う――控えめに言って銀次郎は、そんなやつには、出会ったことはもちろん、……見たこともない。

 そんなすごいやつがいたならば、Necoの専門家ならすべて把握していると言っても過言ではない銀次郎のもとに、とっくに評判が届いているはずなのに。

 そんな化け物、社会のどこに潜んでいたのか――。


 もちろん銀次郎は超優秀者だ。

 王たちも、超優秀者だ。

 ……来栖春もうまいこと特性が嵌まれば、優秀者程度にはなれるかもしれない。


 だが――そんな、化け物相手に。


「……どうしろってんだよな、ったく、来栖……どうなってんだよ……」


 自分たちが束になっても――はたして、かなうというのか。


 ……来栖春だって。

 異様なところを持ち合わせ独特なプログラミングのできる学生ではあったが、しかし――Necoで新世界を創ってしまうような化け物に、いったいどう対抗しようというのか、さっぱりわからない、正直なところ、……曇った未来しか見えないのだった。


 

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