警察という機能は

 寿仁亜は、話し続ける。

 銀次郎に対して。この場にいる全員に対して。


「そもそも、来栖くんのプログラミングをチェックしていましたが……問題なく動作するという意味では、きりがよくとも、なぜここで途絶えさせるのか。彼ほどきちんとプログラムを構築できる能力があれば……もうすこし大局的に、きりのいいところで区切ると思うんです。彼の意志であれば」


 ジェシカが発言する。


「ねえ寿仁亜先輩、それ、私も思った。彼のプログラミングってとっても美しいのに、今回の区切りは、美しくないよ」

「さすが、アンジェリカだね。アンジェリカの目から見てもそうなのか。ということは、やはり――来栖くんの意志で途切れさせたわけでは、ないのかもしれない。彼は、なんらかの理由や事情で……やむなく……」

「なんらかの理由や事情って、なんだよ」

「……それがわかれば、公園事件の大きな解決の鍵になるかもしれませんね。僕が申し上げるまでもないでしょうが、今回の事件は時空が切り離されたという事件自体の性質に限らず、犯行の手段、動機や犯人も――見当がついていません」


 銀次郎は、黙った。

 ここにいる他のだれも、発言できなかった。

 ……寿仁亜の言っていることが、まったく事実だったからだ。


 少しの沈黙のあと、銀次郎は腕を組んで不機嫌そうに言い出す。


「……社会公務員たちは。なにをしてんだよ」

「それにつきましては、僭越ながら私からご説明をー。専門家のみなさまがたには、ご専門に集中していただきたいので、状況の把握などはよろしければ私がすべて、させていただきます」


 素子は部屋の隅にきれいに立ったまま、にっこりとした笑顔で説明を始めた。


「みなさまご存じかもしれませんが、今回の事件では社会も大きく動いております。メディアでも報じられている通り、物理学者や応用数学者のみなさまがたが全力を尽くしてらっしゃいます。そしてあまり大きく報じられてはいませんが、社会公務員のみなさまは必死で事件の捜査にあたっていらっしゃいます。……ですが、事件の解決には程遠い、というのが現状らしいですねー」

「ソースはどこだ、その情報は」

「優秀な社会公務員で今回の事件の捜査にあたっているかたに少々つながりがありますので、そちらのかたから、リアルタイムで情報をいただくお約束をとりつけましたー。先生の社会評価ポイントを少々、お借りしましてー。事後報告となってしまいましたが」

「いつものことだ。それはもう、いい」


 素子が銀次郎の社会評価ポイントを素子の裁量で動かしているのは、弟子である寿仁亜たちには慣れっこだが、今日はじめて銀次郎の研究室に呼ばれた寧寧々や可那利亜には驚くべきものだろう。とくに可那利亜などは思い切り怪訝な視線を向けてきたので、言いわけみたいに銀次郎は片手を振ってそう言った。


「はいー、ありがとうございますー」

「つまり、どういうことなんだ。社会公務員のやつらは、なにをやってんだ」

「要はですね、彼らは『事件の解決に関してはまったく無能である』――ということらしいですよ」


 素子は、相変わらずにっこりと言ったが。

 銀次郎を含め、この場にいる人間たちは多かれ少なかれ面食らった顔をした。


「……おい、素子。その発言、大丈夫なのか。名誉棄損なんじゃないのか」

「ご心配には及びませんー。だって、この発言、私のつながりのある先程の社会公務員の方のものを、そのまま繰り返しただけですもの」

「繰り返しなら、大丈夫なのか……」


 銀次郎は少々心配だったが、素子がにこにこしているので、そうなのだろう――と判断することにする。大丈夫だ。素子は、たとえ多少の社会評価ポイントや資産をいったんつぎ込んだところで、いちばん大事なところでは、……間違えない。


「――いまや警察、という機能が実質的に解体してから、時が長いと。大変僭越ながら、みなさまはご存じでしょうか?」


 銀次郎は腕を組み、答えない。Necoの歴史には詳しいが、……他の歴史のことは、あまり知らない。というよりか――興味をもったことも、なかった。

 ……現代社会では、専門性さえあれば生きていける。

 専門がまだ見つかっていない、高校くらいまでならともかく――専門が見つかったというのに自分の専門に関係ないことを学ぶのは、愚かだと。……それがこの社会では常識だ。


 この場にいる他の人間も、専門性が高い人間ばかり――プログラミングに、生物学、化学応用薬学。


 だから、警察や公務員の歴史なんか、知らない。

 興味もない……。

 そんな、しらけた雰囲気にも似た空気が、一瞬流れかけたが。


「――はい。僕は、知っています」


 素子に負けず劣らずの明るい笑顔で言い出したのは、寿仁亜だった。


「警察が実質的に機能していたのは、二十一世紀なかごろ――半世紀近く前まで。Necoが社会的にインフラとして機能し始めてからは、……事件、というものがそもそも非常に減りましたよね――つねに社会を監視できるわけですから」

「ええ、おっしゃる通りです」

「警察、という名はしばらく残りましたし、社会公務員がその機能を継ぎはしました……けれど、いまほとんど彼らに仕事はない。……それは、そうですよね。Necoが監視システムで上げてくる報告を、ただ確認していればいいのですから。二十一世紀のはじめまでとは異なり、いまや彼らの仕事は――どちらかといえば、社会公務員のなかでそう優秀ではない方々が担当するものとなっている。……そういうことですよね、素子さん?」

「ええ、本当に本当に、おっしゃる通りです。さすがは、依城さん。大学の先生のご説明はすばらしく的確でわかりやすいですわ」

「いえいえ、滅相もありません」


 水平的な学びを好む彼は、歴史についても、ひと通りのことを修めていた。

 ……しかしそれは、この社会の優秀者にとっては、珍しいことだ。

 秘書である素子のように、ある意味では広く知ることこそが専門性――という立場の人間を、除けば。


 銀次郎は。

 ……Necoが社会的にインフラとして機能し始めたのが二十一世紀なかごろであるとは、知っていても。

 それが警察の機能の解体につながるとは知らなかったし、興味もなかった――そしてそのありようが、……この社会の優秀な、とりわけ、超優秀な人間にとっては、当たり前だった。

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