痛み
武器は天から降ってきて。
虹文字も。この世界も、なにもかも。
現実味が薄いのに。
痛みを受ける感覚だけは、本物で――ああ、うまくできてはいないな、と。
凍える、朝の時間帯らしき異常な世界で。
ひとびとは僕を殴る。殴る殴る殴る。斧や鞭や棍で。次々と。容赦なく。
全身の至るところを強打され、皮膚を音を立てて叩かれ、振りかぶったうえで骨を狙われて。
やがて、すぐに。
全身、痛くないところがなくなる。皮膚が裂ける。骨が、嫌な音を立てて、……たぶんもう何本か折れた。
……高校時代も、暴力は受けたけれど、これはけっこう、……ひさしぶりで、圧倒的だ。
身体が、痛覚が、悲鳴を上げ始める。……心では制御できない、身体の痛みという圧倒的な感覚が、逃れたくとも逃れるすべはなくこんなにもそばにある。
容赦ない痛みが、絶え間なく続く。
殺してはいけないと、司祭がひとびとに言い聞かせている。ただ、痛みだけを与えるのだと。
その結果、もし僕が正しい人間だったら神とやらが僕の正しさを証明するべく虹文字を通じて教えてくださるんだってさ――そんなつもり、……化と真は微塵もないくせに。
僕は両手を万歳する格好で拘束されているから、抵抗などもちろんできない。
ひとびとの群れの後ろで、司祭が先導している。この暴力は、正当なのだと。言い聞かせて、言い聞かせて、……ひとびとの正義の鉄槌の手が緩まないようにしている。
憎悪、軽蔑、悲嘆。ひとびとの顔はみな違うのに、おんなじ色に染まる。しかし正当な暴力だったはずのそれらはいつのまにか、いつしか――愉悦じみた、自己の正義への確信へと変わっていく。まるで、聖戦のごとく。
――ああ、知っている、これは。
高校時代にも――さんざん、やられたから。
殴られること。どんどん、殴られること。痛みには慣れた。耐えるのも、……高校時代でだいぶ、慣れただろう。けれど、鈍くなることはない。痛みは。たとえば感情みたいならばいい。悲しみも悔しさも屈辱感も、……劣等感も、いずれはすべて穴ぼこのような鈍いところに吸収されるかのように萎んでいく。なくなることは、ないけれど、痛い痛いと、……悲鳴を上げてのたうち回ることは、減っていくから。
人間というのはよくできているものだ、と引きこもりを経て感心した。
でも、痛覚はちょっと違う。殴られること。それ自体に対する感情はいくらでも慣れてくれるのに、痛みそのものは、いつまでも生々しくて、色褪せてはくれない。
……せっかく世界をつくるならば、痛覚くらい消してくれればいいのに。
化と真も、気が利かない――もちろん、わかっている。彼らが、痛覚なんて都合のいい感覚、世界をつくるときに消し去るわけがない、って。
……痛みで気が遠くなりそうだけれど、そうならなくてよかった。
これもある意味、高校時代に南美川さんと過ごしていたおかげだ。
痛みで気絶しかけたことなら、何度もあった。
でもそのたび、南美川さんは僕を起こしてくれたのだ。
まだ眠ってはいけない、って。
ときには、冷水をかけたりもして。蹴ったり、もっと殴ったりもして。
ああ。懐かしいなあ。
意地悪な声と、顔で。そういえば、それはいま僕を殴りにかかっているひとびとと、驚くくらいに似ていたけれど――。
抵抗は、しなかった。
殴られているときに抵抗なんてしたって、無駄だ。
相手の不興を買って、もっと酷い目に遭うに決まっているから。
願うのは――ひたすらにただ、早く終わってほしい、ということ。
そうして、時間など数えられない、ただただ寒くて痛い、痛い、痛みに満ちている時間がぼんやりとした思考は止められずに続いていって――ひとびとの顔がまるで満足いく雪遊びでもしたかのように火照ってきたころ、司祭が、……影さんが穏やかに、しかしその場に響きわたる張りのある声で、言い出した。
急になにか閃いたかのように、どこか興奮して――それは、そうだ。影さんはおそらく、化と真の指示、……天命、とでも言うべきなにかを、受けとりつづけているのだろうから。
「――みなさん、もっとうまいこと彼に痛みを与えましょう」
ひとびとは殴る手を止め、司祭の説明に耳を傾ける。
「みなさんの、彼への殴り方は大変すばらしいです。神も、そうおっしゃっており、そのように望まれているのでしょう。そして偉大なる神は、指示してくださいました。そいつに――もっと的確に、痛みを与えよと」
的確に、とは。
もっとうまいやりかたがあるのですね?
救われるためなら――なんでもします。
彼らは口々に言って、ざわめいた。
だって、自分たち、悪くないのに。
罪人のせいで、こんなことになってしまって。
……さばきをしないと。
彼らが、言葉には出してないことまで。
ここにいる、僕を殴るひとびとの心の声が――言葉にされずとも、聞こえてくるかのようだった。
そして、……僕を刺す。化と真の策略でしかないと、わかっていても。
慣れては、いるけれど。
ちょっと、ひさしぶりだな。……こんなダイレクトな他人の感情を、こんなにいっぱい浴びるのは。
僕はほんとうは劣等で人間に値しない。けれど人間として社会で扱われている以上、みんな僕が人間であるものとして扱ってくるから――もちろん、その奥の、こいつはほんとうに駄目だ、という感情の気配は感じとっていたって、……僕は、これまでそんな気配だけだって、あてられて、くらくらして、その場からいますぐ逃げ出したく――なっていたのだから。
高校卒業以来、ずっと。
だから、こんな、憎悪やら軽蔑やらの負の感情が容赦なく向けられているのは、ひさしぶりだし、こんなにもぐったりしながら――どこか高校時代を思い出して、自嘲するみたいに懐かしいのだった。おかしな話だけれども。
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