そして七日目、某研究室

対策本部は、動き出す

 結果としていま、春は銀次郎に助けを求め、銀次郎はそれに応えようとしている。



 在学中にもその後いろいろあって、春とは、けっきょくNecoプログラミング入門だけの縁には留まらなかった――なにせ春の就職まで面倒を見てやった、と銀次郎は自負するのだ。


 だが春はけっきょく銀次郎にとって弟子というポジションにはならなかった。

 たしかに春のプログラミングは興味深い。独自のセンスがあり、可能性を感じる。しかしそれが即、王たちに並ぶほどの突き抜けた優秀性に結びつくかというと別だった。

 それに、春自身が銀次郎の弟子となることを望んでいないようだった。弟子になるということは当然、師匠ができ、兄弟弟子ができるということだ。たとえば木枯木太なんかも他人との関わりには否定的なほうだ――だが必要であれば関わる、という決定ができる程度のものである。……春の場合は、他人と関わることを拒絶していた。だれかがおなじ空間にいるだけで――ひどく緊張していることが、いつも伝わってきた。


 春は極端だとしても、コミュニケーション能力に難のあるNecoプログラマーは珍しくない。プログラマー同士でチームを組んで仕事をするには不向きかもしれないが、ひとりでコツコツとプログラムをやらせれば強い。

 ただ春の場合はやはりチェックをするメンバーが必要という点を考えねばならなかった。そして春のプログラミングのチェックは、銀次郎が頭を悩ませたほど難しい。チェック不足は大きな事故に繋がりうるが、そのリスクが極端に高い。だから独立して個人経営プログラマーになると不利なタイプだろうと思った。そのためには、チェック要員が揃っている企業がよい。なるべくならチェック要員だけで構成されるチェック課があるようなところが。

 そのコミュニケーション能力の不足を補う潤滑油のような社員がいてくれれば、能力を存分に発揮できるだろう、と――もっとも他の社員と関わらなければいけないことを春は望ましいとはけっして思わないとも、わかっていたが。

 そうなってくると、やはり、優良な企業に絞られてくるのだった。一流だったり大手だったり、あるいは新しくとも将来有望な企業であれば、チェック課もコミュニケーション担当の社員も配置している。春のようなタイプのプログラマーにとっては働きやすい環境といえた。

 弟子と認定するには不足していても、卒業時点の春はたしかに一流企業や大手企業で活躍するに値する能力を持っていた。


 だが春が最終的に、対Necoアクセスプロセス社に入社したのはもちろん春自身の力だ――銀次郎がなにをしたところで有利になるものでもないし、そもそも当然だが有利となるように計らうことなどありえない。その気になれば素子に頼めば学生の優良企業への就職率を百パーセントにしてくれるだろうが、それは銀次郎のポリシーとはまったく反するのだった。



 もったいない学生だとは、正直思った。

 彼自身が。もっともっと伸びたいと思えば、伸びることのできた学生なのかもしれない。

 だが彼自身が望んでいなかった。

 優秀になることを。

 だれしもが、少しでも優秀になることを望む世のなかで――彼がどうしてそこまで頑なに自信を持たないのかと、銀次郎は訝ったこともあったが、……それこそプライベーティなことだ。それ以上、口を挟む権利もその気も――なかったのだった。


 就職させて、卒業させて。

 それでおしまいかと思っていた。

 春のことは、ずっと覚えてはいた。やたらと印象深い学生ではあったが――毎年いろんな学生が入学していて、さまざまな優秀な学生がいて、王たちや教員になった教え子のように現在も生きた人間関係として交流がない限りは、卒業した学生にそうそう構っていられないというのも銀次郎の本音だ。

 実際、春のほうから連絡もよこさなかった。


 だからこそ、今回のような大きな事件のときに春が助けを求める対象が自分であった、……すくなくともそう認識されていた、ということに、銀次郎は妙な居心地の悪さのような、意外性のようなものを感じて――ともかくこいつを助けなければ俺の恥だ、という気持ちが、沸き起こるのだった。




 素子が先導して、新時代情報大学の職員たちや公的機関から派遣されてきた職員たちが部屋を整えた。ソファを片付けたり、コピー機の位置をずらしたり。

 すでに明け方。

 最低限の準備は、整った。


 対策本部として、基地のような部屋になる。


 銀次郎のデスクを中心に、ぐるりと取り囲むように王たちのデスクが配置された。円卓の配置だ。天井から見て、アナログ時計の十二時の位置に銀次郎。時計回りに、寿仁亜、見槻、木太、ジェシカと並ぶ。それぞれのデスクをつなぐと正五角形の形になる。

 銀次郎のデスクはもちろん、弟子たちのデスクにもすべて最新型のコンピューターとアクセサリー装備が完備された。

 銀次郎のデスクから見て真正面、部屋の真ん中には映像を映すためのスクリーンが下ろされ、公園事件に限定したチャンネルの動画が流され続ける。これにより、いつでも最新情報を入手できるということだ。最新型のスクリーンはクリアに動画を映した。


 ソファやコピー機がなくなったおかげで、円卓をあとふたつ設置することができた。銀次郎から見て左手の円卓には、寧寧々たちが座る。右手の円卓には、可那利亜の呼んだ物理学や数学などの専門家たちが揃っていた。

 壁に沿うようにベンチと簡易テーブルが設置される。素子や職員たちはここで座って作業ができる。


 他にも、部屋がいくつか貸し出された。隣の部屋を準備室としてひとつ、同じフロアに広い部屋がふたつ。必要であれば更に用意すると大学側は言っていた。隣の部屋はひとまず休憩室として活用することにした。睡眠スペースを設け、あたたかい飲み物やスープの出てくる自動マシン、時間を決めて一日最低三回はビュッフェスタイルの食事を出すことにした。これも素子が先導し、大学の職員に食堂のシェフやコックやメイド、外部の睡眠専門家などが休憩室の管理にあたる。

 長丁場になるだろう。一日、二日で解決するとも限らない。非常事態だからこそ、適度な休息が必要だ。現代社会では常識であるそのことを、銀次郎はよくわかっていた。だからこそ休憩室の充実も素子に頼んだのだ。



 準備は、整って。

 集まったメンバーが、みな所定の位置に座って。

 銀次郎は、部屋をぐるりと見渡した。



「なんとしてでも公園事件を解決する。Necoで異次元空間が記述できるということは、Necoを悪用したやつがいたということだ。Necoは社会のためにある。なんの目的か知らねえが、非社会的な目的にNecoを利用することを、俺は許せねえ。力を貸してくれ。以上」



 ひとびとは、ぱちぱちと拍手をした。

 嵐の前の静けさにも似た、一種の覚悟をもって――そして次の瞬間から、すべては、対策本部は、……動き出す。

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