ゆるしのフェーズのはじまり
「起きてるぞ、コイツ」
檻を覗き込んできたのは、男性二人組。二人ともどこかで顔を見たことがあるような気がするのは、気のせいではなくて、たぶんこの、公園に閉じ込められて過ごすという非常事態のあいだに、なんどか顔を見ているのだろう。
おはようございます、良い朝ですね、とでも挨拶をすればいいのか――まさかな、と思ったら自然と口の端が持ち上がっていたらしい。きもちわるっ、ともうひとりの男性が言ったのは、つまり、そういうことなのだろう。
「あれ、男ひとりだっけ」
「だっけか。まあ、とにかく、司祭さまに連れてこいと言われてたのは、コイツだけだから」
そう言いながら、男性のひとりは上着のポケットから鍵を出した。この檻とおなじような材質の水晶でできているらしいその鍵を、鍵穴に嵌める――のではなく檻に近いところでかざすと、火花のようなものが弾けて、檻には人間ひとりが出入りできるほどの正方形の空間が空いた。
……まるで僕のさっきつくった風穴の、そのまんま四角いバージョンみたいに。
なるほど、見えてくることならある――。
しかしそんな感慨に耽る間もなく、男性ふたりは檻のなかに身体を屈めて入ってくると、僕の身体を乱暴に掴んだ。どこかに連れていくつもりらしい。
「おら、ゆるしが始まるぞ」
「司祭さまと虹の神さまは、あんなにも酷いことをしたおまえにチャンスをくれるとおっしゃっているんだ。こんなありがたいことがあるか。さっさと来いっ」
虹の神さま――また、変なのが出てきた。
どうせ、……化とか真とか、あいつらのことだろうけれど。
暴れるなよ、抵抗するな、と言われたけれど、どちらをする理由もない。……どうせ、この世界で日の明るいうちはなにをできるとも思っていない。諦めている。けれど……いまここからなにが始まるのかと思うと、ため息のひとつくらいは吐かせてほしい気持ちになった。……もっとも、そんなことをすれば、いま僕をこうしてどこかへ連行していく男性ふたりは、すぐに暴れるな抵抗するなと言ってなんらか乱暴なことをしてくるだろうけど。
朝のこの世界は、思いのほかきれいだった。地面いっぱいに広がる水晶が透き通って、きらきらしている。ひとの立ち入ってはいけない領域のように。いや、じっさい、そうなのだろう。ここはほんとうは人間の来てはいけない世界だった。それなのに僕たちが入ってきてしまった――そんな根拠もなにもない衝動的な想いが、ふいに僕の足元から突き上げてきて、……頭の先に、風のように吹き抜けていくような錯覚があった。
そう、たぶん僕は、……来てはいけない世界を、開いてしまったのだ。それだけはたぶん、たしかだ。あの双子によって――。
連れて来られたのは、広場のとくに広く開ける、ひとびとの集まっているところだった。
芝生の代わりにやはり一面水晶が広がり、どんどん明るくなる朝の光を反射している。反射は、なぜだか虹色に……通常の物理法則だったら、たぶんありえないことだと思うけれども。
数十人ほど、いる……すべてではなさそうだが、大部分のひとびとがいるようだ。これまでのフェーズとやらを乗り越えてきたひとびとだろう。あるいは疲れきっていて、あるいはギラギラとしていて。無理もない。……目の前で、いっしょに公園に来ていたひとが得体の知れない化け物に喰い殺されたりもしたのだから。わけのわからないことばかり起こって。助かるかどうかも、わからなくて……。
それぞれ、ひとりだったり、身を寄せ合っていたり。ピクニックシートを敷いていたり、いなかったり。何も持っていないひとも多いのだ……だれも、こんなに長いあいだこの公園に留まることになるとは思わなかったはずだ。
……知ってるひとは、いないだろうか。
目を凝らしてみたけれど……見つからなかった。すくなくとも、いま、ここでは。
あらためて、思う。
僕も、この世界で、死なないようにしなければならない。
そうでなくてはすべてのことはほんとうに――。
そう、ひとは、死んでいる。この世界では。死んでいるんだ。
じっさいに親しい相手を殺された彼はいまこうして、なにかに操られて、司祭だなんて役目を果たす存在として――。
「来ましたねえ。罪人が」
ねっとりとした、声。でも、その声は、……たしかに。
「影さん」
「司祭です」
僕は、男性ふたりに捕まえられたまま、振り向く。振り向くことを、制止はされなかった。
たしかに、いつのまにかそこにいたのは。
――影さん、だった。
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