猫よ(18) 人間未満第一号

 高柱猫は、手を伸ばして、たったいま人間未満となったその存在の、服を、剥いだ。最初こそひとつひとつ丁寧にボタンを外していったらしいけれど、彼がやがて、右手をまっすぐに差し出した。そうすれば舞台裏から、従順な彼の手下がハサミを持ってきたという。

 観客には、背を向けて。……アイドルとしては、基本的にはおこなってはいけない構図。

 でもその場で猫を責める人間は、だれもいなかっただろう。

 もう、猫は、……ただのアイドルではなかったのだから。


 猫は、どうして人々に対して背を向けたのだろうか。……僕は、思うに、その顔はきっと、高揚だか興奮だか、しすぎていたんじゃないかと、……そう思う。


 人間未満第一号は、呻いただろうし、叫んだだろう。自分がまだ人間であるという感覚を強く、もち続けて。やめろやめろと、こんなのはおかしいおかしいと、謝る、謝るから、とでも、繰り返したのかもしれない。……でもそれはやっぱり、自分の立場を、自分がほんとうに置かれた状況というのを、わかっていなかったのだ。

 当然だけれど人間未満に人権はない。だからその場で傷つけられようが服を剥がれようが、最悪殺されようが、文句は言えないし、当然だれかが助けてくれることもない。人間であれば法律で守られる。そんな権利は――すべて、うしなっているのだから。

 そして、そういうことはみなすべて細かく、……猫と、専門家と、公権力がきちんと、事前に決めていたのだから。

 これは、人間であればゆるされる。これは、人間であればゆるされない。

 そんな塩梅で、緻密に、確実に、はっきりとした根拠をもってして――。


 椅子に手足を拘束され、猫に衣服を切られ、その立派なスーツをまるっきり剥いでしまえばまったくもって弱々しくそして醜い身体を、晒したのだろう――公衆の、面前で。やめろ、おかしい、謝るから……すべての言葉が、もう空虚だ。人間未満となった存在の言葉など、……動物の鳴き声と、おんなじなのだから。

 専門家や政治家たちは、ともかく。……進んでこの公開処刑を見に来た、観客席にいた人々は、どういう顔でそれを見ていたのだろうか。

 すくなくとも、退屈そうに、ではなかっただろう。ここで退屈になるくらいだったら、わざわざ見に来るはずもないから。

 あるいは目をらんらんと輝かせて。あるいは両手で目を覆いながらも、その下からしっかりと。あるいは軽蔑を隠しもしない視線で。あるいは同情するようでいて余裕たっぷりの上からの視線で。あるいは大笑いして。あるいはごくりと唾を飲み込んで。あるいは手を大袈裟に叩いて。あるいは指をさして――なんでもいい、なんだっていい、ともかくだいじなのはその歴史上有名な人間未満第一号が、……彼が、もはやサーカスのショーにおけるケモノとおなじ、いや、もはやそれ以下の存在として――ただ晒し者に、……エンターテインメントになっていたのだろうという、ただ、ただ、……それだけのことだ。



 人間たちの醜い感情を浴びながら、もはや人間としての名前も人権ももたなくなったその人間、つい数分前まではまだ人間だったはずのその人間未満第一号は、服を剥がれ、切り刻まれ、身体を晒され……醜い観客たちよりももしかしたらもっと醜く、なにもかもを失い、奪われた、その人間未満は、いったいそのときなにを思っていたのだろうか。

 若いころの、ひとつの過ち。でも取り返しのつかない過ちによって、そうなった彼は――。



 僕は、……気になる。いままで気にもならなかったこんなことが、自分自身がこんな劣等者となって、ひきこもりとなって、人生終了が確実となったこんなときに――やたら、やたらと、……気になるんだ。



 そして、猫はその人間未満の人間としての権利であった衣服を完全に剥ぐと、そこに覆いかぶさった。舞台袖からまた人が出てきて、上質な毛布のような布で猫の下半身を隠した。

 猫はその毛布で隠れた部分で、ある意味では規則的な動きをはじめたのだという。その頬を紅潮させて、でも、けっして喜んでいるわけではなくて――彼は復讐をはじめたのだ。そのとき。……とてもわかりやすい、復讐を。それは彼が大学一年生のときに夏の無人島でされたことの、再現――。

 もちろん、隠したのは、高柱猫のプライバシーのためだ。もちろん。趣味の悪いモニターや種々のマシンによって、人間未満のその晒されたくもないだろうさまざまな部分や感情や反応は、大々的に会場そしてネットを通して全世界的に共有、配信され、人間未満第一号はその名の通り人間未満の第一号として、世界中の嘲笑と苦笑と、遠慮すらいらない剥き出しの見下しを受けた――ばかなやつだ、惨めなやつだ、人間に値しないのに人間として振る舞っていたおぞましい生物の末路は、この通りか――と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る