すべて
……すべて、すべてのことを、思う。
僕が人間であったこと。僕が人間でなくなったこと。
彼女たちは、彼女はどうしてそこまで執拗に僕をいじめるのだろうか。
そう思うことは、たしかにあった。
けれどもそんなのも些細な問題なんだろうなとやがて思うようになった。
理由なんて、事情なんて、思考なんて、べつに。そもそも。優秀者の頭のなかを、僕が理解できるわけもないのだ、きっと。そう、研究者志望クラスでおこなわれていた授業の内容が僕にはまったくわからなかったかのように――。
自分が人間であったことも。自分が人間でなくなったことも。
すべてが、鈍っていった。
あらゆることをされるうちに。
……ただ、日々を生き延びることができて、呼吸さえできれば、充分だと思うようになっていった。
ただ。
夜のつらさだけは、いつまで経っても、慣れなかった、かもしれない。
昼間、学校にいるときはいい。辱しめを、受けているときそのものは。感覚が鈍っているから。自分自身に対しておこなわれる信じられないようなとんでもないできごとたちを、それでも、まるでどこかは他人ごとのように、目の前で起きている光景のように、眺めることが、やがてできるようになっていた。
でも。
夜は、つらい。
そうはいかなかったからだ。
家に帰ると、僕は人間扱いされる。家族には、とりわけ母さんには。当たり前といえば当たり前だろう、家族は僕がほんとうは劣等者であることも、学校でどういう目に遭っているかも、なにも知らない。
ごく、当たり前のこととして。当たり前のように。――僕の名をふつうに呼び、僕に笑顔や言葉を投げかけ、ときにはちょっとした注意をしながら、でも、でも、……ほんとうにふつうの人間として、扱ってくれる。
たとえば食事どきなんかは、それだけで目に涙が滲みそうになった。
……毎回、必死で、抑えた。バレていないと――いいのだけれど。
食事やら風呂やらを済ませて。
部屋に戻ってからが、ある意味、……つらさの本番だった。
人間扱いされない朝から夕方までの一日。
一転、帰れば僕はいつも通り、いや、いままで通りの人間だ。……来栖春だ。
そのギャップがどう作用していたのかはわからない。
でも、苦しかった。
……かといって、昼間のあんな辱しめを受け続けたいわけも、ないのに。
こんな想いをするなら、いっそ自分が人間未満と確定してしまったほうが楽だとさえ、思った。
……あのとき僕は、なにを苦しんでいたのだろう。
夜の、まだ早い時間。
部屋の電気を消して、真っ暗ななかで、僕はベッドのふとんをいつしか頭までかぶるようになっていた。もちろん、背中も足も、どこもすっぽりと。……そうではないと、ぞわぞわするのだ。なにか緊張感といおうか――おまえは、人間未満だと、いつも言ってくるような、そんな、……視線ともいえない違和感ともいえない、なんともいえない感覚に、いつも、いつも、……襲われるのだ。
だから。ふとんにくるまって、せめて、せめて、……自分を守る。
守ろうとする。
でもその試みはどこまでうまくいっていたのか、わからない。
だって僕はいつもふとんのなかで極限状態に陥っていたから。
身体は震え、自分を自分で抱きしめるのが滑稽で、でもそうせざるをえなかった。その日、あるいは前日、あるいはほかの日に受けたいじめを思い返しては、震える。恐怖に、不安に、……恥ずかしさに。だからだろうか、震えているのに、全身は熱っぽい。まるで風邪を引いているときみたいに。
記憶がいちいち僕を苛む。
呼吸がうまくいかなくなって。いまにも叫び出しそうになってしまう。でも、そうすると当然、家族の耳に入ってしまう。だからぐっと堪える。ふとんを噛みしめてでも――嫌な感触。
「……ごめんなさい……ごめんなさい、僕は……」
気がついたら、僕はすすり泣いている。
無限とも思える時間のあいだ。……いっときの安らかな眠りは、なかなか僕を迎えにきてくれない。
そのあいだ、僕は、僕は、……請い続ける。
たぶん、ゆるしを。請い続けるのだ――。
すべて。そう。これが、僕にとっての、……すべてなんだと。
……ごめんなさい、ごめんなさい。……ごめんなさい……。
僕が劣等で、ごめんなさい。ゆるしてください。ゆるして。お願いですから……。
そして、気がついたら、すすり泣いたまま眠りについている。
せめて夢のなかだけでも、まともな人間でいらればいいのに、……疲れきっていて、毎晩泥のように、眠ってしまっていて。
次に、目を開ければ。悪夢のごとき朝が、またはじまっている――。
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