いじめ
……研究者志望クラスの教室に、入る、いや、……担がれて、戻るなり。
好奇の視線が、僕を刺す。容赦なく。
「あ、運ばれてるし」
南美川さんが、笑った――それはまるで、こうなることが、はじめからわかっていたかのような。
無邪気な、いたずらっ子のような。……僕の惨状なんか、そこでたんぽぽが咲いているとか、その程度にしか捉えていないかのような。
そのひとことで、クラスメイトたちは僕のほうを見て、くすくすと笑った。
恥ずかしくないの。理解不能、劣等者の思考って。行動もな。当たり前でしょ。だって劣等なんだから。……劣等者って人間じゃないの、知ってる?
もちろん!
――と、もう名前をくんづけで呼ぶのさえもはばかられる、だから僕にとっては匿名とおなじのクラスメイトの男子が、頼もしく、胸を叩くかのように言った。
「はーい、ホームルームをはじめますよお。みなさん、席についてくれませんかあ」
和歌山は、僕なんか、まるで授業で使う教材のひとつであるみたいに。
人間として存在しないかのように、クラスに向かってそう言う――この教師、いつも、いつも調子がよくて、毎回研究者志望クラスに向かっていろんな態度を見せる。調整するかのように。でも、それってたぶん、……このクラスのメンバーたちに、媚びてるっていう、そういうことで。
そりゃ、そうだ。この教師は、優秀者が好きだ。
だから――僕のことは、嫌いなんだ。
そうか。
いまさらながらに、僕は劣等者なんだ。
劣等者、なんだから――。
裸で担がれているという異常な状況で、教卓の位置から、目線だけは高く、眺める教室は、でも、それでも、ふしぎなことに、あっけないほどに、普段と変わりないように思えた。
僕にとっての、普段の教室っていうのは。
小学校と中学校と高校一年のころ、隅で息を潜めていた。
二年生になってしばらくも、そうだった。そのつもりだった。
……そして、昨日は一日、教室の後ろで正座して授業を受けた。
教室というところはつねに僕に拒絶的な反応を示す。そういう場所だと、十七年のこの生涯で僕はそう感じていたんだと、こんな状況でふっと気づいた。
そういう意味では変わりないのだ。
変わりない。そう。そういう意味では――でも。
「……あははっ、せんせえー、シュンって、へんですねえ」
「そうですねえー」
南美川さんがおなかを抱えて笑う仕草をする。和歌山は、それに向かって、変に間延びした同意を返す。
この教室では、僕に。
……悪意が向けられている。
きっとそういう意味では、違う。
ひそひそ、こそこそ、くすくすと。
嗤う、馬鹿にする、……これだから劣等者は、と、ここにいる僕以外の人間すべてが、僕に対して、そう思う。
だって、そうだ。
僕は、いままでの集団において。
平凡ではあったかもしれないけれど、劣等ではなかった。
たまにだれかが劣等だということが発覚してしまって落ちこぼれていく場面に出くわしたけれど、それは、あくまでひとごと。そういうやつもいるよなって、これだから劣等者はって、僕はそう思うがわだった、僕は、僕は――研究者志望クラスへの進学を反対されたことの、ほんとうの意味が、……いまさらながらに、わかる。
優秀も、劣等も、平凡も。もっと、確固としたものだと思っていた。階段みたいに。だから僕は、のぼりたかったのだ。とんとんとん、と。優秀者への、階段を。
でも、でも、そうじゃないのだ。所属する集団を間違えるだけで――この社会では人権を奪われ尊厳を侵され裸にされて辱しめられる!
――いじめ。
そんな言葉が、いまさらながらに、頭と心に強く、強く浮かんできて、全身が、震えた。
いじめ。
それはもちろん、旧時代の辞書とは、意味が違う。
旧時代のように、理由も相手も曖昧なまま、ひとをいじめること――それは、人権意識の徹底した現代においては、許せないという以前に、ありえないこと。正当な理由もなく人間をいじめるような人間は、その時点で精神が劣等だとみなされ、劣等者になるのだから。
いじめだと疑われるような行為をした時点で、Necoに通報されて、アウトだ。
現代においての、いじめ。
それは、もちろん、より劣等な者への扱いを、さす。
もっと正確にいうならば、より劣等な者をいじめる、そのことを、いう。
教室においてだって、そういう序列はある、もちろん。僕がいままで所属してきた学校にだって、そういうのはあった、当たり前のことだけれど。
直近のテストの点数が、たとえば百点満点中相手よりも五点高ければ、その相手をパシりとして使うことができるし、十点も高ければ、相手を呼び捨てにして相手には敬称をつけて呼ばせる、とかいうことができる。
そういうのは義務教育中に学ぶのだ。社会に出てから劣等であったら、もう取り返しはつかない。人権を奪われて、終わりだ。学校のなかの劣等なら、まだ取り返しがつく。なぜなら、学校は、疑似社会だから。
そういう説明を僕たち子どもはなんどもなんども教師やおとなたちにされる。だから優秀になれ、なれと言われる。そういう意味では、僕の家みたいな――過剰に優秀にならなくてもいい、足るを知れ、平凡でいいんだ、という教育方針は、珍しかったのかもしれないけれど。
でも、ともかく僕だって、そういうのは義務教育でも学んできているし、高校はもう義務教育ではないから独自ルールだけれど、でも高校だってそういう序列を校則で明確にしているし、だから、だから、……わかっていた、つもりだったのだ。
劣等であれば、いじめられる。
わかっていた。……つもりだったのに。
「……でも、先生。助けてくれないんですか」
ああ。……二年生の進路を決めるときのあの言葉を、もっとちゃんと聴いていれば。
足るを、知ることができていれば。
……そりゃ、僕は劣等さ。そうだ、そうだよ、認めるよ、劣等なのかもしれない、劣等あんだと! でもそういうのを助けるのが教師の仕事なんじゃないか? 学校は疑似社会なんだろう? だったら、だったらチャンスをくれよ!
未成年が挽回できるように手助けするのが学校の役目じゃないのか!
僕のつぶやきが、耳もとで聞こえたんだと思う。担がれて、いるから、……僕は。
「……はあ? 助ける? だれを? なんで」
担任の和歌山は。僕が一瞬でも先生と呼んですがった、この男は――裸のままの僕の身体を、思いきり、教室の後ろに向かって、投げた。
信じられないことだった。
全裸の僕が飛んでいくとき、……女子が、ぱしゃりとスマホ型デバイスで写真を撮ったのが、わかった、そしてにやりとしていた、こんな僕を――全裸でムササビみたいに空を飛ぶ、たいそう滑稽だろうという状況の、僕を。
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