その目

「……アンタ、なによ、その目」



 その目、と言われても。

 わからない。……いつも通りの、つもりだ。



「その目……その目よ。前から、気に入らなかったの。おどおどしているくせに、劣等者のくせに……キモい、シュンって、とことんキモい。――そんな目でわたしを見るのをやめなさいよっ」

「……家は……家に、いるときに、連絡してくるのだけは……やめてください」

「やめないわよ、でもアンタはそれやめてよね」


 もう、なんだか、……むちゃくちゃだと、思う。

 思うけど――むちゃくちゃだよとは、言えない。いま。僕は。いまの僕の……立場では。


 まー、まー、幸奈、落ち着きなよ、と言いながら、奏屋さんが南美川さんの肩をぽんぽんと叩いた。劣等者がキモくてムカつくのわかるけどさ、こいつにそんなん言ったって、しょうがないよ――そんなことを、明るい調子で言いながら。

 ……そうね、そうよね。南美川さんは、すうはあと深呼吸をすると、奏屋さんに向かってちょっと笑った。ありがとう、と言いながら。


 そして、南美川さんは、僕に視線を戻して。

 その目を、目を細めた。


「だいたいシュンはそんなこと言える立場にないでしょう? 優秀なわたしたちが、劣等なシュンを、どうにかしてあげるって言ってるのに」

「……どうにか、って……」

「昨日、考えたのよねー。みんなで」


 南美川さんは、奏屋さんをはじめとしてクラスのひとたちを振り返って、見回した。ねー、と奏屋さんは袖の余る手を振って笑顔で返し、ほかのクラスメイトたちも、そうだ、そうだね、とどこか満足そうにうなずいている。

 そして南美川さんは、僕に視線を戻し。足を組みなおして、見下すように、口もとだけで笑った。


「劣等者のシュンをどうにかしてあげる、メニューを」

「……メニュー……?」

「そうよ。それをこなせば、卒業までには多少はましになれるんだから」


 卒業まで。

 その言葉が、唐突に頭をガンと殴ったようだった。

 ……卒業、それは、いまはまだ、はてしなく思える。けれど。そうか。そうだ。頭では、わかっていたつもりだったけれど――僕はこの学校で、この教室で、卒業までのあと二年近くを、過ごす。研究者志望クラスは、二年生から三年生に上がるとき、クラス替えが、ないから。

 中退という選択肢は、もちろん、ない。いや、現実的にはその制度は存在する――けれども実際には、ありえない。だって。学校を中退なんかすれば――劣等に、なる。ほかのひとがもっている学歴をもっていないということは、それだけ、劣るということであって。だからみんな、がんばる。すこしでも、上に上に、ランクの高い学校に行こうとして。

 このクラスだって、つまりはそういうひとたちの集まりなわけだ。研究者志望クラス――国立学府に、進もうと。

 そんなの、社会の当たり前なんだ。

 そんななかで――ランク以前に、中退なんかしたら。

 よっぽど秀でた一芸でももっていないかぎり、つまり、僕のような特筆すべき能力のない人間は、……人生、お先真っ暗だ。


 だから、だから――中退という選択肢はありえない。だけど。そうか。この教室で。……あと、二年間。そんな気の遠くなるような時間を――。


「……ねえ、ちょっと。聞いてるの?」

「……はい」

「あら。いい子の目に、なったわね」


 だから、なんだ、その目の話は。僕にはなんのことだか、ぜんぜん、さっぱり、……わからない。


「いい? いまから、メニューの内容を、説明するからね。ようく聴くのよ? ちゃんと聴いてなかったら、そうね、ふふ、……お仕置き、しちゃうんだから」


 南美川さんは、楽しそうに笑う。けれど僕にはわからない。いったいなにが、楽しいのか、そんなに、おかしいことなのか。含み笑いを、できることなのか。わからない。わからないけれど――戯れに揺らすその赤いハイヒールを見たら、もう逆らっちゃいけないんだってことは、……わかる、頭より先に、心と身体がわかりつつある。




 そして、僕は、メニュー、について、その内容について、聞いたが――。





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