どうしよう
自分が、劣等。
自分の家の、自分の部屋。夜。
まだ、そう遅くない時間ではないと思う。でも、わからない。
なんにも知らない家族といっしょに晩ごはんを食べたあと、僕は、ぼんやりとしていた。
部屋の電気をつけないで、ベッドに寝転がるわけでもなく、勉強机に座って、かといって普段みたいになにか動画やコンテンツを流すわけでもなく、薄いカーテン越しに入ってくる向かいの家の明かりでうっすらと輪郭だけは掴めるこの部屋と自分自身、それだけを感じながら、いや、……感じようとつとめながら、ぼんやりとしていた。
ぼんやりとしていた、という言いかたは、もしかしたら間違いなのかもしれない。
自分の気持ちを感覚を感情を、できるだけぼんやりとさせるように――していたのだから。
……自分が、劣等。
……きょうの、……教室でのあのできごとは。
過ぎ去ってしまえば、悪夢みたいだ。もしくは、変態の
だって僕は今日も家では、こうやって、人間をやっている。
おかえりと迎えられて、制服から私服に着替えて、ごはんの時間になったら呼ばれ、ごはんを食べて、部屋に戻って、お風呂の時間になったらまた呼ばれ、そうしていまは自分の部屋でこうして座って過ごす、……それだけのことができるほどには、当たり前に、人間だ。
人間だ、そうだ、僕は人間なんだ。
そうやって自分を納得させようとするぶんだけ――同時に、反対のほうに、心も揺れる。
……いやいや。
あんな仕打ちをされた人間が、僕が、劣等が――まともな人間なのか、って。心の声が。……叫んでいる。
人間だ、僕は、人間だ……。
思うたび、記憶が、襲いかかる、――教室という公の場であんなふうに馬鹿にされあんなふうに笑われ、――そして衣服という最低限の人権まであんなことをされてそのうえあんなことまであんなふうに!
「……うっ」
喉の奥がしぼんだような、汚い声。ほかでもない、僕の呻き声なのだった。
僕はそのまま頭を両手で抱えた。
気がついたら、呼吸が荒くなっている。はあ、はあ、という過剰なそれらを頭と心で俯瞰しながら、僕は、僕は、ひたすらに勉強机の表面を見下ろしていた。――小学校に入るとき、両親が買ってくれた勉強机。いっぱい勉強しなさいねと母さんは言っていた、そして僕は飛び抜けて優秀というわけではなかったけれど母さんのその言葉通りにしたし、中学ではそれなりに勉強をがんばった、高校でも、そうだった、そんな思い出のつまった勉強机が――いまこんなにも他人みたいな顔で、僕を、……苛む。
「……うう……」
勉強机の表面に、水滴が落ちる音がした。
大粒の、雫。それを涙と僕は認めなければいけないのだろう。でも、……認めたくなかった。こんなの身体の生理現象だって、せめて自分に対して、言い張りたかった。高校生にもなってこんなふうに涙を流すなんて――。
でも。
ぽた、ぽたり、と。雫の落ちるさまは、僕のそんな自己欺瞞よりも、もっと、もっと、……きっと、僕の本心なのだろう。
いちどあふれてしまうと、止まらなかった。
「……うう……うっ……」
ぐるぐる、めぐる思い。
どうしよう。……どうしよう、って。
「ううう……」
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
僕は、どうしよう。
「……うああ……」
どうしよう、どうしよう、劣等になっちゃったよ、僕、どうしよう。
世界でいちばんやってはいけないこと、許されないことを、してしまったみたいだよ。
どうしようどうしようどうしよう。劣等者になってしまったら、人生、おしまいなのに。
「……うっ……ひっく……どうしよう……」
母さんごめん。父さんごめん。姉ちゃんと海にも、迷惑かけるだろうと思うから、ごめん。
家族に、劣等者が出てしまっただなんて。
そう。僕はたぶん、劣等者になってしまいました。
所属する集団を間違え、すごく偏差値の低い存在になってしまいました。
「……どうしよう……」
助けて、とは。
……言えなかった。
心のなかで思うことすら、できなかった。それは、……許されていないと、思ったから。
ただ、ごめんなさい、ごめんなさい、どうしよう、どうにかしなくちゃと――頭を抱えて涙を流して、この晩はほかに自分の部屋でなにひとつすることなく、眠気が自分自身の身体を支配するまで、ただ、ただただ、自分のなかで――考えて、ぐるぐるさせるしか、できない、……できないんだ、僕には。ああわかっていた、わかっていたさ。でも――僕はやっぱりこんな存在なんだってわかって、やっぱり、……キツい、あまりにも。
それだけで、ただそれだけで、夜が更けていく。……もうにどとこなければいい、朝が、近づいてくる。
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