ネコの当たり前の判断
ネコは、かわいい声で確認するのだ。
『そこにいる、南美川幸奈さんや、奏屋繭香さんたち、計十二名のかたの、合意ということですよね。来栖春さんに服を脱がせる等の劣等者行為を強いるのは?』
『そうでーす。ねえ、みんなもねえっ、そうだよねえっ』
クラスメイトたちが、そうでーす、と答える声は、ふしぎなほどハーモニーだった。
『それに……トップの峰岸狩理さんも、でしょうか?』
いちおう確認、という感じで、ネコがおずおずとかわいらしく訊く。
彼は振り返って、そういうこと、とひとこと短く、でもたしかに肯定して。彼の婚約者の顔をちらりとうかがうように見やると、あとはくるりと背を向けて勉強に戻ってしまった、……止めてほしかった。
南美川さんは、そうだよね、とやたらと嬉しそうな顔で言った。
そして、続ける。両手さえ広げて――。
『ここにいる、みんな、みいーんなの合意に、決まってるじゃない』
『そうですか。そうすれば。ここにいる、みんなと呼ばれるひとたちと。来栖春さんの、相対的優秀値をあわせれば――』
ぴこん、とかわいらしい音がした。まるで幼児番組にでも採用されるかのような、間抜けにさえ聞こえる音。
でもそれはいまの僕にとっては恐怖を感じさせるものだ。だって、なぜなら。それはネコの判断が決まったことをあらわす、社会的な音だから。もう後戻りのできない人工知能の判決が決定してしまったあかしだから――。
『来栖春さんに、劣等的行為を強いるのは、認められますね』
……気がついたら。
膝が、わずかだけれど、震えているのだった。奥歯が、あまりうまく噛み合わないのだった。それらを抑えようと拳をぎゅっと握っても、その拳に力が入りすぎて、かえって、全身が震えるのだった。
心臓が、ばくばく鳴っている。息苦しくて、呼吸が荒くなって。
全身の血液が、酸素が、僕の代わりに悲鳴をあげているかのようだ。
たとえば、きっと。
無実の罪で、死刑や、人権剥奪刑が決まったひとは。こんな気持ちだ――。
南美川さんが、ネコの取りつけられているスピーカーを見上げて、そこに向かって言う。
「そうよねっ。やっぱり、そうなるよね? シュンは劣等者だもんね。劣等者には、なにをやってもいいんだもんね?」
『なにを、ってまで言われちゃうと、困りますけどお……だいたいのことは、おっけーですよっ』
「服を脱がせるくらいは? いじめるくらいは?」
『それくらいなら、ぜんぜんセーフです、にゃんっ!』
……それくらいなら?
人間として当然の権利を僕はいまネコに否定された。
この社会の、人間としての権利を守る、人工知能インフラに。
……いままで、なにか誤解をしていたのかもしれない。
人工知能は自分を守るものだと思っていた。
もちろん、劣等者には、その権利がないことはわかっている。でも。思わないじゃないか、ふつう。自分が劣等者になるだなんて――。
『ほかに聞きたいことは、ありますかっ?』
『だいじょうぶよ。ありがとっ、ネコ』
『にゃーん!』
……そうして、人工知能は、口をつぐんだ。
南美川さんは、こっちを見た。
ゆっくり、ゆっくりと。心底ひとを見下す笑顔を見せて――。
「……そういうことだから。もう、逃げられないのよ?」
「……いやだ。いやです」
「選択肢をあげる。このまま、自分でおとなしく服を脱いで、そこにきちんと畳んで、置いて、正座して、えらいねって褒めてもらうか。それとも、クラスのみんなに脱がせてもらって、それから、もっと、……痛い目に遭うか。どっちがいいかしら?」
「……痛いの……も、……いやです……」
……容赦なく、蹴られる、殴られる。
あの痛みは、もう、……勘弁だって、思ってしまう。
「そう……だったら、どっちを選ぶべきかは、わかるんじゃないかしら。自分で脱げば、痛いことは、しないであげる。でも、もたもたしてると――」
「脱ぐ、脱ぐ、……脱ぎますからごめんなさいっ」
あはは、と南美川さんが笑った。
金切り声みたいな声で、笑った。
「……やーね。シュンったら、そんなに脱ぎたかったの? 変態みたいね……」
南美川さんはクラスメイトたちのほうを振り返って、同意を求めた。
くすくす、と女子たちのあいだに笑いが起きた。にやにや、と男子たちは馬鹿にしていた。そうだな、変態だな、と野次を入れてくるひとも、いた。
「シュンがそんなに、自分で脱ぎたいって言うなら、見てあげなくもないわ。みんなも、そうでしょう? ……そうよねえ、ありがとう。ねえだからシュン感謝してね? わたしたち、放課後遊びに行きたいんだから。だから早く脱いでよ。……そんな脱ぎたくて脱ぎたくてたまらないって変態に、つきあってあげるんだからね?」
ちがう、ちがう、……ちがう……。
でも気持ちは言葉にならない。
言葉にしてしまったら、もっと痛い目に遭うかもしれないから。
だから嗚咽を漏らすしかない。
涙と、悔しさと、よくわからないごちゃごちゃにまみれながら――はい、とうなずいて、……制服のブレザーの第一ボタンに、ふれる、そのことしか、いまの、僕には、できない。
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