疲労
影さんは、いや、……司祭は、そのまま。
いやしのサクリィとやらの続きを、はじめた。
相変わらずひとびとがぞろぞろと並んでいる。
ひとりひとりの話を、司祭は真面目に聞く。ただしその時間は、ごく短時間。
そうして命運が決まる。
冷たい池に投げ込まれるか、いまもそこに輝かしく見える休息の旅館か、どちらかに――振り分けられる。
橋のこちらがわには、並んでいない、僕たちや、葉隠さんたち。
僕は葉隠さんにすみませんとひとことお詫びを言ってから、立ち上がった。……黄金色の光でサイコ技術みたいに身体を吹き飛ばされるなんてむちゃくちゃだけれど、でもいま、じっさいにそのことが起こったのだ。
……南美川さんはしばらく葉隠さんを見上げていたが、やがて遠慮するように、その胸からちょこちょことした動きで下りてきた。そうして僕の足もとにやってきたので、……僕はしゃがみ込んで、その身体を胸に抱いた。
いま。
僕と南美川さんはしゃがんでいて、葉隠さん、守那さん、黒鋼さんは、立っている。
葉隠さんはまだ納得しきれていないようすで、細い目、いやこれでもかというほど鋭い目で、サクリィの、ようすを、見ていた。
「……おかしいやん。どうしてみんな、騙されてしまうん。いまやるべきことは、みんなで解決策考えることで……あんなあからさまなエサにつられることやないやろ。しかも二分の一の確率やで? 馬鹿馬鹿しいって、思わんの」
「でも、あの、あのね雪乃。私には、わかる気がするの」
問いかけるように、葉隠さんは視線を守那さんに移した。守那さんはちょっとはにかんだ顔で、……でもなぜだろう、暗く見えるようすで、視線を伏せてそう言っていた。
「たとえ騙されているんだとしても。たとえ二分の一の確率でひどい目に遭うんだとしても。……とにかくいいからこの疲労を取りたいって気持ちなら、私、わかるな。だってほんとうに疲れたでしょう。昨日からもうずっとこんなんだよ。寒いし、夜はすっごく凍えるからまともに眠れないし、食糧にも限りがあるし、休息なんてぜんぜん、できないの。ねえそうでしょう、雪乃だって、そうでしょう。おかしいよ、こんなの現代社会で、おかしいんだよ。……現代の人工知能社会で、こんなに疲労するなんて、想定されてないよ」
守那さんの言う通りだった。人工知能社会――人工知能にあらゆることを管理してもらうこの社会では、当然各人の健康や疲労具合も、その対象に入る。血圧や心拍数などの基礎的なところから、一般には明かされていない範疇まで、人工知能は、社会人や社会人になる見込みの子どもの健康を、一心にモニターしている。そうして健康事故が起こらないようにしているのだ。
普段の生活で。病気のサインがすこしでもあればすぐにアイディーナンバーに連絡がくるし、過度の疲労も連絡がくる。旧時代の、心身ともに健康面が荒廃していたころとは違い、いまはとにかく健康というものには当然、重い価値が置かれている。
だからすこしでも病気や過労のサインがあれば、すぐに然るべき医療機関にかかるし、そうでなくとも休養するのだ。人工知能の指示した最低日数は、きっちりと。
……だから現代人は疲れない。
すくなくとも、疲れきってしまうことはない。
なぜなら、その前に、人工知能が対処してくれるから。
もちろん、これらは制度上の話だ。実際には、穴もある。……もしこの機能がほんとうにほんとうの意味でシンプルに役割を果たしているならば、僕は高校時代、あんなにボロボロになることはなかっただろう。抜け道もいくらでもあって、南美川さんたちはそういうのをいじるのだって得意だったのだ。……人工知能を、ごまかすこと。
けれども制度としてはたしかに存在するのだ。
社会に存在する制度を、明確な意図をもってしてごまかす、遮断することと。社会に存在する制度がそもそも存在しないかのようになるこの状況では、……当然ながら、論点が違う。どうすべきかも、どうすればいいのかも、異なるはずで――。
「……そうだね。美鈴の言う通りだと思うよ。私だって正直めちゃくちゃ疲れたし。……子ども時代にゴミを漁って駆け回ってたときよりもなぜだか疲れたくらいでさ」
黒鋼さんも、言葉を、話をつなぐ。
「考えたんだけど、状況が不透明だからかもしれないね。だってここからまたさらに、なにがあるのかわからないんだよ。もっとしんどい目に遭うのかも。だったらいまのうちにもっと体力を温存していきたい、と思うのは必至でしょ。……私だってこの体力で正直もつかどうかは不安だ」
……いまにも、倒れてしまいそう。
そう、いまはそういう状態なのだろう、ここにいるほとんどのひとたちが、……そういう極限状態でいるのだ。
僕と、そして、……南美川さんは。
身体的な疲労は、あの雑木林ですっかり取れてしまったけれど。
当然。ここにいる、……いやしのサクリィとやらを受けていないひとたちは、そうでは、ないわけで――。
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