末路
夫婦の末路であろうあのゾンビみたいな存在たちの、あくまで人間の言葉を用いた、しかし人間としての会話にはもはや聞こえないやりとりは、続く。
「じゃあどうするどうするどうするのよ」
「ころすころすころすころすしかないだろう!」
「ころせない! おこられるひょうかなくなる」
「そんなことないみてみろぼくたちはとけてる」
「あらほんとだとけてる」
――とけてる?
「とろけているからあかんぼうをころしてもいい」
「とろけているからあかんぼうをころしてもいいのね!」
そのふたつの存在にはなにか奇妙な合意が形成されたようだった。
見ている人間たちにとってはまったく理解できない、いや、……できたとしても、したくない、そんな理屈でもってして。
そして、その存在たちは、また踊り出すのだ。手に手を取り合って、すきっぷすきっぷらんらんらん……の不気味な歌を歌い、じっさいにふたりでそう――スキップを、しながら。
そうして、じょじょに、彼らの子どもを囲んでいく。ほとんどきれいな円形に。その円はだんだん狭まっていく。子どもを中心としたその円は、……どんどん、どんどん、狭まっていく。
動かない。
やはり、だれも動かない。
僕は葉隠さんの腕をいちおういまも強く掴んでいるが、でも、たぶん葉隠さんも向こうを凝視したまま、固まっている。
時間が凍りついていた。
あの存在たちだけが動いて、でも――それは人間の時間ではないのだ。
言うなれば、化けものたちの、時間なのだ。
……相変わらず、薄暗い。
ということは、頭上を見る気も起きないけれど、あの鯨みたいな化けものは――いまも、この広場にとっての空の大部分を占めて、そこにいる、そこに、ある……ということ、だろう。
化けものたちの動きと、歌と。
奇妙な静寂だけが、いまこの場を支配している。
そして。
おそれていた事態は、ついに起こるようだった。
夫婦はどんどんどんどん子どもに近づいていった。
もう仲よしのようだった。すくなくとも、彼ら自身がそう言っていた。わたしたちはもうなかよしね、と。そうだよなぼくたちはもうなかよしね、と。
だからその言葉をそのままそっくり受けとるのだとしたらつまりそういうことなのだった。
彼らははじめて、――仲よく、なれたようだった。
子どもは無邪気にはしゃいでいた。
きゃっきゃとはしゃぎ声を上げて、いまにもふれたいとばかり、両手両足をばたつかせていた。
……その背中は植物の根で支えられている。
だから、その子は、ゆりかごに寝ているがごとく空中の中途半端な位置でもあおむけになっていることが、できる。
夫婦の身体は溶けていく。
もともと、焼けただれたように、どろどろでぶよぶよの紫色だったものが。
落ちていく。どんどん、溶けていく。ぼたぼたと、……落ちていく音はもうごまかしようもなく。それに染まっていく芝生も、もうごまかしようもなく。
そんな、もはや人間とはとても呼べない身体をもってして、夫婦は――
「ぱーぱ! まーま!」
赤子がはしゃいだすえに歓声めいてそう言ったのが聞こえた。葉隠さんがその瞬間飛び出した。気がついたらその背中が見えていた。止められなかったのだ。たぶん掴むのが、甘くなっていた――かといって追いかける気にもなれず、僕はただ突っ立ったままその背中を眺めていた。
しかし葉隠さんは間に合わなかった。
僕が止めるにしろ、止めないにしろ、ある意味では葉隠さんの安全は保証されたのだ。ほんとうに、ある意味で、だが――。
化けものたちは一気に赤ちゃんに喰いかかった。赤ちゃんは悲鳴も上げなかった。状況を理解できる歳でもなかったのだろう。あるいは、そんな間もなく、あっというまに、……そうされてしまったのかもしれない。
ねちゃねちゃ、ねちゃねちゃと、しばらくは化けものたちが人間の赤ちゃんを補食する音だけが鳴っていた。
広場に、鳴り響いていた。
でもその音もじきにやんで――気がつけば、夫婦のすがたも、もうなかった。
彼ら自身の子どもを喰い終わったら、彼ら自身も、……崩壊してしまったらしい。
なぜだかは、わからない。仕組みも、からくりも、……この世界の原理なんてなにひとつ、わかるわけがないのだけれども。
残滓や、残骸さえも残っていなかった。……人間のバラバラ死体がさらにミンチにされて無造作にそこに積まれた、そのすっかり二人ぶんほどが、紫色の粘液に覆われて、無惨にそこには残されていただけだった――もう化けものとしてさえ、彼らは生命をもっていなかった。
……もっとも。
僕には子どもなんていないし、もつ気もないから、永遠にわからないのだろうけど。
でも。
自分たちの子どもを喰ったあと、生きているのと、そのまま肉の塊になるのと、――どちらがよいのかは、僕にはよくわからない。まったくわからないからたとえばの思考実験として母さんと父さんのことをふと思い浮かべた、……でもそれは考えるべきことではないと本能が叫んでいるかのような感覚があって、だから僕は、そこで思考を停止した。――肉の塊が発して風が運んでくる、苦いような酸っぱいような、それでいてかすかに臭うだけでなにかすさまじい、そんな腐臭を、……馬鹿みたいに突っ立って意識するだけで、精一杯だったのだ。思考は、止めた、それは――あながち間違いではないと、信じたい。
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