そうしてぐるぐる思考しているうちに

 ……どうにか、しなきゃ。



 南美川さんがこんな状況においても示してくれた他者への思いやりで、僕はそんなしっかりした気持ちを抱く。いまあるべき気持ちを、なすべき行動を、意識できた気がする。



 肥大した顔で植物にされた人間は、まだ、いまだに、……その人間の残滓を貪り喰っている。でもそれはそれといまは強く割り切って、動くしか、ないのだ。

 もうすでに最悪のことは起こってしまった。そのことは、とてもわかる。すごく思う。起きなければよかった、と思う。そんなイフ世界を思い描くことが僕には、僕たちにはできる。でも、起こってしまった。仕方ない、と言い切れるには心の整理がまだついていない。でも、行動することならできる。気持ちがたとえまだついてゆかなくとも。

 これ以上の被害者が出ないように。

 これ以上――だれも植物化せず、だれも被害者にならないように。

 僕たちが、どうにかして、……どうにか、するんだ。



 人権制限者たちはすがるようにこちらを見てくる。影さんのことも見るのだが、僕のことも見るのだ。見上げてくるのだ。せめて枷を外してあげたらどうだろう。口枷だけでも外せば、言葉もしゃべれるようになるからいまこの状況がよくわかるかもしれないし、危険なときに叫んだりして助けを求めてもらうこともできる。そうだ、いっそ足枷や手枷も、非常事態ということで外したらどうだろう。人権が制限されているひとに対しては管理上そういった拘束を課すのはもちろん僕も常識として知っているけども、いまは非常事態だ。仕方ないと思う。だからそうしてあげるといいと思う。影さんに、提案してみようか。ほら。そのひとも。――どうしていいかわからないと、途方に暮れたようにぼんやり、ただぼんやりと立ち尽くしている。


 南美川さんだって僕を見てくれている。ほら、どうにかしましょうよって、励ましてくれている。そのことがとてもわかるから、僕だってどうにかしなくちゃいけないと思う。思ってるのだ、わかってるのだ、それくらいのことは。



 ほら、どうにかしよう、どうにか。

 どうにかして、どうにか、……して。

 どうにか。ほら。――あそこでいまも肥大化した吐き気を催す歪な顔面がわけのわからない粘液やらそのかたまりやらをボトンボトンと落とし続け、にたにた、笑ってるじゃないか。

 どうにか。……どうにか。




 どうにか、できるのか?




 雷のように唐突に前触れもなく無力感に襲われた。頭上から無差別に撃たれたかのような無力感だった。一瞬自分の心が操作されたのではと疑うくらいの強烈な、無力感だった。いやこれは僕の心だ。間違いなく、紛れもなく。僕の感情だ。……こんなにも生々しくて、リアルで、それでいて……いつも通りで。


 もうなにをしても無駄だ。こうなってしまった以上は、どうあがいたって。それならなにかを、いやいっそなにもしないほうがいい。


 他人とコミュニケーションを取ってまでどうにかする必要はないのだ。

 他人とコミュニケーションを取ること、それは、――ある意味では、僕がもっとも恐れているものなのだから。




 ……けっきょくは、僕はそこなのか?

 このような悲惨なことが起こってさえ、なお。

 僕は、そこを気にするのか。

 たとえばひとと相談すること、作戦を練ること、話し合うこと、決めること。それらすべてには当然だが、コミュニケーションという僕にとっては途方もないコストが、伴ってくる。


 でもこんな状態だ。

 隔離されただけではない。

 ひとが死んだ。ひとが、化け物みたいにされた。

 なにもかもが異常事態だ。

 こんなとき。――こんなときには。ふつうの、人間だったら。後のことも先のことも、あるいはふだん抱えているコンプレックスなんかさえ、どうでもよくなり――その状況の緩和と解決のために、全力で行動できるものなんじゃ、ないのか。




 まあ僕はふつうの人間ではない。劣等だから。でも、でも、僕はここまで、……異常事態においてさえ、まともに行動できないのか。けっきょくは、つまるところ、……そういう存在でしかないのか。




 僕は傍目にはただ突っ立っているように見えただろう。そして視線を胡乱うろんに雑木林のひとつひとつの木々やここにいるひとたちに彷徨わせていただけ、と。そうかもしれない。僕はなにもしていなかったのかもしれない。いや、事実なにもしていないのだ。自分のなかで永遠循環論法みたいにぐるぐるぐるぐるしていただけだ。だから。ああ。でも、違う。ここから僕は行動するのだ。どうにかするのだ、この状況を。南美川さんだって励ましてくれた。あきらかにこの状況はヤバい。どうにかするひとが、どうにかしなければならない。だからどうにかするのだ。どうにか。どうにかする――




 唐突に、空気が切り裂かれた。




 僕のとてつもなく劣等的でどこまでも取るに足らない、つまらない思考は、背後の叫び声によって強制的に中断された――なにか得体の知れない獣が空気を地面を震わせるほど咆哮した声だった。

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