五日目
朝は寒く
ひととおりのことを終えたら。
いつのまにか、眠っていたみたいだった。
眠る直前にはちらりと、なにか奇妙な夢を見なければいいな、と思ったけれど――その心配がないほど、眠りは深く、沈黙の時間に僕をいざなっていたようだった。
まっさきに思ったことといえば、寒い、ということだった。
頭が、冷える。足先も。布団もかぶらず寝てしまったのか? それにしたってあまりにも、寒い。どうしてこんなに。これでは、室内ではないみたいだ――と思ったところでああそうだここは室内ではない、とやっと思い出して僕は見開くように目を開けた。
朝の広場が、広がっている。まるで現実世界そのままに。
広場の隅のベンチに、そうだ、僕たちは居場所を見出だしたのだった。
僕は広場のほうを向く格好で左向きの仰向きになり、背中から南美川さんの全身を抱きしめて眠っていたようだった。
南美川さんはまだすやすやと寝ている。短い四肢を投げ出すようにして、耳と尻尾をぐにゃりと弛緩させて――外の朝の光のもとで見るこのひとの横顔は妙におとなの女性らしくて、まじまじと見ているのが申しわけない気持ちになって僕は思わず目を逸らした。
朝。それも、けっこう早い時間帯なのかもしれない。空気には朝特有の眩しさとともに、早朝特有のちょっと白い
おのおの、ブルーシートやピクニック用のシートを持っているところはそれを敷いて、持っていない場合には上着やカバンをせめてと下敷きにして、どれもない場合は草の上に直接、一見すると倒れてしまったのだろうかとぎょっとするような体勢で、軽く百人以上いるひとたちは休んでいる。
この、寒さだ。僕はふだんから肌を露出しない、できないという性分で、そのおかげというのも変な気がするが事実黒くて分厚い服ばかり着込んでいた――肌色が見えているところといえばマフラーを外した場合の顔の下半分と、手袋を外した場合の指くらいなので、このなかではそうとう防寒ができているほうだと思う。もっとも、もちろん、結果的にということだ――ここにいるひとのおそらくすべてが、こんなふうに外の公園で夜を明かすことになろうとは思ってもみなかったはずだから。
その僕でだって芯から凍える寒さでこうやって目覚めたわけだから、……ほかのひとたちにとっていったいどれだけ堪えたことだろうか。
……風邪を引くひとが出てきても、あるいは持病かなにかが悪化するひとが出てきても、なんらふしぎではない。さらにおそろしいことに、いまここでもし体調を崩すひとが出ても、Necoインフラにつながっていない以上救急通報さえできないのだ――それは同時に警察通報もできないことをも意味すると僕は気づいて、……いまさらながらに、ぞっとした。
……南美川さんの、赤い傷跡の残る白い背中がすうすうという寝息とともに小さく上下している。
手袋を外して、その背中に触れた。つるつるとしていて、すべすべとしていて……生きものの背中と思えないくらいに、陶器みたいな触り心地。
その冷たさに、まず手がびっくりした。だからこんどはその腕を、頬を、おなかのあたりも確かめた。やっぱり、冷えてる。すさまじく。犬としての毛が生えているところはともかく、ほかはほとんどこのひとは全裸なのだ、全裸で外でひと晩過ごすことになったのだ――申しわけなく思う気持ちが、……勝手に、このひとの背中を手のひらで撫でさせていた。
「ごめんね、……僕の服を貸してあげればよかった」
そうは、言ったものの。
じっさいにそうできたかどうかというと、僕は、……そうはしたいのだけどと思いながらも、なにか、心のなかで、……決定的に躊躇するものを感じる。
いつも思う。
いつものことながら。
僕は、肌を露出したくない。
ほんとうならば顔だってすべて隠したい。でもそれはかなわない状況のときのほうが多いから、顔や、指先くらいはすこしは仕方ない――つまりはほかのところは、すべて、徹底的に、隠したい。……夏だって、そうしている。
こうやって他人とおなじ状況に置かれて、もしこうして隠せなかったらと思うと愕然とするものがある。僕の肌など、露出してはいけないのだ。ぜったいに、いけないのだ。なぜなら僕の身体というのは、ヘンだから。指さされて、笑われて、醜いからという理由であちこちに嫌なことをされてしまうくらいには、ヘンで、見せるだけでひとさまに迷惑をかけてしまう身体だから。……僕はそのことを僕なりに受け入れたつもりだった。だからそれから僕はずっと、高校の後半も、大学生のときも、社会人になってからも……外に出るときには身体がびっしり隠れるようにしているのだ。……ひきこもりのときには、一歩も外に出られなかったから、ある意味では関係のないことだったけれど。
南美川さんに寝床として衣服を提供することは、できる、もちろん。しようと思えば、できることだ。たとえばコートくらいならいいだろう。コートだったら、着なかったところで、露出される部分はほとんどない。しいて言えば角度や動作によっては首もとや手首が見えやすくなるのかな、というくらいだ。
そのことと、南美川さんが凍えること。天秤にかければ、南美川さんに衣服を提供しようとなるのはむしろ道理だ。わかっている。わかっている、つもりなのだけれど――。
「あなたが寒いことが、わかっているのにな」
僕の気持ちは、僕自身から一枚でも衣服が減るということに、こんなにも躊躇する――高校時代にどこまでも剥かれたから、いまは一枚でも多く、覆っておきたいのかもしれない。その気持ちが、どれだけ劣ったものだか自覚をしていてさえも――そうしたいのかもしれないと思って、僕は、……僕が、こんなときでも相も変わらず朝からどうしようもなくて、ため息をついて、せめてすこしでもこのひとがあたたまればと思い、覆いかぶさるように、抱きしめなおした。
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