モデルとしての高柱猫

「……たぶん、だけど」



 僕はあの青年の顔をしっかりと思い描きながら、しゃべる。……いつも小さな微笑を浮かべて、一見穏やかで礼儀正しく、不機嫌そうなところなんて想像できないけれど、だからこそ――やった行為と照らしあわせればどこまでも底知れない、人間。



「化くんの目的は、こんどは南美川さんや僕を閉じ込めるということに留まらない。……そこでほんとうは僕のこともヒューマンアニマルにして南美川さんとつがいにしようと思っていた彼の楽しみは、僕たちが逃げたことで、いちど中断されたんだ。それはたぶん化くんにとって、……衝撃的なことだったんだと、思う」

「そうね、化ってむかしからなんであれ失敗したことなんてなかったから……シュンが反撃したときのあんな慌てた顔も、わたしの前では見せたことがなかった」

「だからこそ心に残ったはずだ。……あれよりももっとひどいことをしなければと彼が思っていたとしても、おかしくはないね」



 空を、見上げる。

 いまはどうやら虹は出ていないらしい。でも。……いつあらわれるかなんて、わからない。

 この会話は聞かれていたってなにもおかしくない。この世界にとっては外部の、――南美川化のその耳にリアルタイムにダイレクトに入っていたって、なにも。



「……ねえ、南美川さん。化くんは、Necoにかんしてはどのくらい詳しかった?」

「え? えっと、そうね……わたしや真とおんなじで、最低限の教養はあったわ。でもそんなに詳しかったというわけでもないみたいよ。必要最低限は用いるけど、ほんとにツールとしてつきあってる……そんな感じだったわ」


 なるほどね、と僕はうなずく。


「じゃあ、高柱猫については? 興味を示していたときは、あった?」

「えっ、そっちのベースについては、あんまり覚えがないけど……」

「たとえば小さなときとかさ」


 南美川さんは、考えてくれる。


「そうね、思い返してみれば……あの子がほんとうに小さなとき、おおむかしの高柱猫の演説の加工映像にハマっていたときはあったわ。といっても高柱猫の映像なんてだれでもちっちゃなときいちどはハマるものだし、あんまり気にしてなかったのだけど……」


 猫のキャラクターが強烈で、エンターテインメントとしてもおもしろい。またいまとなっては信じられない価値観ばかりの旧時代において、彼はいまの価値観につながることばかり言っていたので、新しいことはかくあるべきと教育教材にもなっているくらいなのだ。

 だから、この社会の人間はいちどやにどは彼の映像を観たことがある。


 ただしそれは相当の程度で加工されていて。たとえば猫自身の容姿は、とある一定時期を過ぎたあたりからかき消されていたり。そのほかにもテロップや切り貼りなどの編集がふんだんになされていて、……でもそれは猫自身が望んで監修した加工らしく、そこに含まれている意味内容を重視すべきとされる現代社会では、たいして問題にもされない。


「でも……たしかに、すごくたくさん観ていたことはあったわ。あんなにちっちゃかった子が、とても集中して。こっちが、心配になるくらい」

「いちばん観ていた映像はなに?」

「どれも多く観ていたみたいだけど……『人間の再定義の提案』も観ていたし、『軽々と人権を乗り越えるための方法』も観ていたし……」


 そのへんは、Necoの映像の鉄板だ。


「いちばん熱心に観ていたみたいなのは、そうね……『楽園化計画の福音』かしら」


 ああ、と思った。

 合点が、いったのだ。


「あれはNecoの映像のなかではそこまでメジャーなものではないね。明るそうなタイトルに反して、雰囲気が暗いし、けっこう……えぐいことも、やっている」

「そうなの? わたしはちゃんと観たことがないわ……さすがに『人間の再定義の提案』や『軽々と人権を乗り越えるための方法』は通して観たことがあるけれど……」


 Necoの専門家でもなければ、そのくらいがふつうだと思う。


「化は、その映像に影響を受けたっていうの? でもあの子は、いろんなものにふれていたから――」

「うん。だからもちろん、たくさん影響を受けたもののひとつに過ぎないだろうね。……でも化くんにとってNecoは、いや高柱猫はモデルにはなったはずだ」

「モデル?」

「人工知能に成ったひとりの人間として」



 青空は、広い。



「……たぶん、彼も、それを目指している。人間として生まれながら、人間を超えた存在になることを」



 風は、世界すべてを貫くようにまっすぐに吹く。……不自然なほど。

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