背中の荷物

「……まだ、確証はないんだけどね」



 僕は、選ぶ。慎重に、言葉を。あるいは、気持ちそのものを――このひとはその化けものじみた青年の、関係性は変わり果てたとしても、でもそれでも実の姉だ。このひとがここまでの状況になっても、実家であそこまでのことをされても、……きょうだいたちをやはりだいじに思っている、というよりか、ひどくは思いきれない――そう思っていることももはや僕は、知っているから。



「……この世界ではインフラとしての猫が機能していない。それはおかしなことだと南美川さんも知っていると思う。人工知能というのは人工知能社会では当然あるインフラで、たとえばそうだな、水道をひねったのに水が出ない、しかもどこもかしこも――というくらいにはおかしなことだろう」

「デバイスを起動しても古典電波が飛んでいないくらいにはおかしなことだわ。古典電波ほどベーシックな電波インフラがなくなってしまっては、わたしたちの生活は成り立たないもの」

「そう、……いいたとえだね。それくらいおかしなことがこの世界では起こっている。まだほかのインフラはたしかめていないけれど、……すくなくともすでに人工知能インフラが機能していないという時点で、すべてがおかしい」

「そのせいで、ほかのインフラに支障が出てなければいいわ……」


 あくまでも僕に散歩させられているといったていの南美川さん。こっちを見上げるわけでもなく、まっすぐ前を向きながらつぶやくようにそう言っていた。



「……化ちゃんと、真ちゃんがやったのよね、だって、それって」



 声色も四つ足の歩行も気丈だけれど、その耳だけが、……ああ、やっぱり感情に伴ってわかりやすく萎んでいく。



「人工知能インフラを止めるだなんて、なんでそんなことしちゃったのかしら。人工知能インフラはほかのインフラのベーシックインフラでもあるわ。それを止めちゃったら、お水も出ないかもしれない、通信もできないかもしれない、……病気のひとが出たって救急に連絡することすらできないし、犯罪が起こったってだれが犯人だかわかんなくなっちゃう。そんなこと、どうして、あの子たち……」



 ――わたしのことで、そこまで。

 南美川さんのつぶやいた言葉に対して僕は返す言葉をいまなにももっていなくて、……すこしうつむくのがせいいっぱいだった。




「わたしもお姉さんとして至らないところがたくさんあったんだわ、きっと。でも。それでもね、どうしてって思っちゃうの。あの子たち、どうしてそこまで追い詰められちゃったの……」



 つくづく、僕は思う。



 きょうだいというのは複雑なものだ。僕自身、姉ちゃんと海のことを思い出す。姉ちゃんとも海ともけっして親しかったわけではないし、気安くもないし、僕の部屋に来たあともそれでなにか劇的に変わるということはない。

 でもそれでも恨みきれない――もちろんこの時代でこの社会だ、きょうだいというものにはさまざまな事情がつきまとうことも知っている。たとえばそれは、……冬樹さんの家の事情のように。積もりに積もった姉への割りきれない気持ちで、彼女を人犬にさえ堕として子どもが成長するまでの長年にもわたって飼い続けている彼女――。



 ……南美川さんも、思えばそこまでのことをされた。

 けれどこのひとは、このひと自身は、……このひとのほうからは、きょうだいのことを突き放しきれない気持ちがあると、僕はすでに知っていたから――だからこそ僕は慎重になるんだ、……この気持ちに、これからなさねばいけない説明とその表現に。




 南美川さんには責任はない。この行為を、……いわば世界規模のハッキングをおこなったのはあくまで南美川化と南美川真であり、南美川さんが悪いわけではない。


 でもたぶん南美川さんは自分のせいだと思うのだろう。どうせこのひとの、ことだから。背負わなくていいものまで、勝手に背負い込もうとするのだろう――人犬にされた背中を見るとあらためて思う、その素肌は剥き出しだと。不自然な体勢にされたがゆえに身体もあちこちが凝るとネネさんも言っていた、……そしてその背中にはたぶん、僕には想像もつかないほどの、……もう下ろすこともできない大荷物も、載っているはずなんだ。

 だから。それを増やすことはない。すべては無理でも。肩代わりすることもほんとうの意味ではできなくても。せめてそれをいたずらに増やさないようには僕は善処しなくてはならない――。

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