第九章(中)さらなる異変と、混乱と、疲労と、ひとびとの不信と。

デッドライン

 南美川化と、おそらくは南美川真によっても、書き換えられた世界で。

 南美川さんが、戻ってきた。



 僕はずっと芝生に座ったままパソコンを相手にしていた。もちろん正確にはパソコンというハードツールを媒体にしてどうにかNecoにコンタクトを取ろうとしているのだ。でもじっさい僕のしている作業というのはパソコンのブラック背景に白文字の背景を、……Necoと連絡の取れない限りはただのオールディなモニターであるパソコンを目の前に、これまた、オールディなキーボードで入力を続けること、ということになる。



 そのあいだ。

 後ろではつねにカル青年とカンちゃんさんのどちらかあるいはどちらもがいて、あれやこれやと気を焼いてくれた。


 カル青年のほうが積極的で、よくも悪くも全面に出てきて、よく言えばいろんなことに気がついて気を配って気遣いをしてくれる、悪く言えばお節介というタイプのようだった。


 それに対してカンちゃんさんのほうは控えめで、悪く言えばそれは消極的で関与しないということになるのだろうが、僕はそのことをあんまり悪くは思わなかった。……もっとも、一種奇異とされるほどの積極性も優秀者のひとつの特徴だとされるほどの世のなかだ。あんがいにカンちゃんさんも生きづらいのかもしれないと僕はふっと思って、だから、僕はそのことを悪く思わないのだろうと自分で自分の気持ちをより分けて分割してたしかめてみた、……そうしてみたら僕の他社に対する評価なんて相変わらずなんて自分勝手で自己中心的なのだろうと、内心苦笑せずにはいられなかったけれど。


 ……とにかく、彼らのどちらかはつねに僕のサポートに回ってくれた。


 正直なところ、それは、助かった。

 たとえば。僕がこの公立公園では現状唯一Necoインフラのプロフェッショナルらしいということで、けっこういろんなひとが話しかけてくるのだ。

 そういうときには、たいてい彼らのどちらか、あるいは両方が対応してくれたのだ。カル青年は明るく気さくに、カンちゃんは慎重に。


 じつのところ。僕は作業中に話しかけられるのが苦手だ。

 僕のキャパシティが低い、つまりは僕の劣等性のせいだから、もちろんほんらいはひとのせいにするべきことではないんだけど、それもわかっているんだけど――職場ではそのへんの対応はすべて杉田先輩がやってくれていたことを思って、それも、内心、苦笑した。



 そういうわけだから、ふだんとまったく違う環境での作業でも、比較的集中することはできた。

 ただ、やはり作業は難航している――というよりまだ言えないけれど、さきほど私ネコの尻尾をつかめたのがいちばんの成果というくらいで、ほかには、ほとんどなにひとつ掴めていないのだ。


 Necoインフラに、オープンネットからアクセスしてみる――Neco人工知能圏の人間であったら、だれしもが可能なはずのごく単純で原則であるその機能。それさえまったく機能しない。沈黙して、エラーすら吐き出さない。エラー画面をソースに還元してよくよく解析してみると、そこにはたしかに、他者の介入のあとがあった――たしかめられたのは、それが、……せいぜいだったのだ。

 南美川さんのお散歩をひとにたくしているあいだに、僕ができたことといえばほんとうにそれだけのことで――。



 だから。

 頭をかきむしっていた僕は、南美川さんが悲痛な叫び声のように僕の名前を呼ぶ声を聞いて、ああ、と気だるく自分の無能と自分の判断への自信のなさを、あらためて自覚することになる。




「シュン! シュン、ねえっ、シュンっ」




 南美川さんの素肌の首に取りつけられた赤い首輪。鈴が、リンリンリンとなる。……僕がふだんつけてあげているときより、ずいぶん首輪がきつくなっている気がするのは、気のせいだろうか。……あれって取りつけがきついとけっこう呼吸も苦しいから、できれば余裕をもってつけてあげたほうがいいんだけどな。

 でも、まあ、そこまで期待するのはある意味では酷かもしれないと――僕は、そのリードの持ち主の表情と、……ちょっと聞いただけではあるけれど僕自身も南美川さんにされたことを思えば充分想像可能なその関係性を思って、小さく、ため息をつこうとして――どうにか喉元でその感情を押し殺した。




「なあ、お行儀よろしゅうないなあ、人犬わんこの幸奈ちゃんは」



 葉隠雪乃。

 このうえなく満足そうに、ニヤニヤとして。





 首輪をきつくしたのも、そのリードの範囲を狭めたのも、いま南美川さんがリードがピンと硬く伸びきるほどこっちに僕のところに向かおうとしているのに、その拳にリードの端をぐるぐると巻いて厳重に離さないのも、すべて、わざとだろうと――当然僕にはわかったから、ため息を押し殺したのだ、……無闇なことを、このひとの、このひとたちの前では――できない。

 ……このひとたちになにかを頼まなければならないことは、また、あるだろうから。不本意にも。ほんとうに、歯がゆいことに。



 僕にはやることがある。Necoにどうにかアクセスしなければならない、この改変されているらしい世界をどうにかせねばならないという、つまりしてそういうことだ。

 ……ちょうど、南美川さんのお散歩のノルマを開始して四日目だった。ネネさんとの約束は、十四日間きっちりと歩き続けて、そして最終日のその日に判断をくだすというもの。




 つまり、僕は。

 あと十日、……南美川さんのお散歩のノルマはもちろん、きちんと果たしつつ。それまでにどうにかしてこの世界を改変される前に戻さねばならない――気が遠くなるし、正直、不可能でないかという思いのほうが強いけれど、そうしなければ、……僕がそうできなければ、南美川さんは、おそらく当分、いや、もしかしたら、少なくない可能性で――人間の身体に、戻れないのだから。





 あと十日間で僕が、……僕がすべてをどうにかできなければ、南美川さんが人間に戻れるチャンスは潰れてしまうのだから――。

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