黒鋼博士はロマンチストで

 幼い黒鋼里子が連れていかれた研究所のその研究というのは、要は競争させるという実験だった。

 さまざまな子どもたちをフィールドワークで収集して、激烈な詰め込み教育を施し、だれがいちばん優秀かと競わせる。

 なんとかいう集団における、なんとかいう目的の、なんとかいうけっこう大きな一大研究プロジェクトだったそうだ。



『研究所についての詳しいことは、私たちにははっきりとは知らされなかったけど、高柱の関係だった気はするよ。ほんと高柱って、ろくなこと考えないよね』



 彼女が黒鋼里子という名前をもらったのもそのときだそう。

 サト、と呼ばれていたから里子というのはシンプルな理屈だ。



『黒鋼というのは私を拾った研究者の名字ね。研究者のあいだで、研究対象として養子縁組をして、自分の名字をつけるのが流行ってた。いまもそうかもしれない』



 黒鋼里子はつまらなそうに言った。

 葉隠雪乃が、黒鋼里子がものごころついた瞬間の状況が雪降るなかで真っ黒な金属だからかと思った、と素直に言った。

 そうだったらなんだかロマンチックでよかったんだけどね、と黒鋼里子は言った。



『そうあってほしいって、私自身も思ったっていうか。うーん。なんだろ。っていうかぶっちゃけ、黒鋼博士が気持ち悪すぎてさー。いろんな意味で。だから、あいつの名字をもらったっていうのに折り合いをつけるために、私はちょっと無理くりにでもこの名字と私自身のアイデンティティを、っていうのは研究所以後のじゃなくてさ、研究所以前の、自分自身をつなげるためにあのものごころついた瞬間をたくさん考えるようになった、っていうのは、あるかもしんないー』





 黒鋼博士は変人揃いの研究所のなかでも飛び抜けて変人だったという。



 いくら子どものサンプルは自由に抽出していいとはいえ、貧困エリアから拾ってくるというぶっ飛んだことをしたのは、黒鋼博士チームだけだった。

 また。黒鋼博士はほかの環境からも子どもたちを連れてきていたけれど、それぞれの環境はみんな里子に勝るとも劣らない曲者だらけだった。



 たとえば、逃亡した人権制限者たちがこっそり産んだ子ども。たとえば、アンダーグラウンドの見世物小屋で働いていた子ども。たとえば、この時代いまどき人工知能圏内から外れたところで生きていた子ども……。



『かんっぜんに、周りのライバル研究者たちからバカにされてたよ。おまえいくらなんでもそんな劣等な子どもたちが、優秀な成績を収められるか、って』



 ほかの研究者たちが子どものサンプルを選ぶ基準はさまざまだったけれど、まず前提として、彼らは優秀者の子どもを選んでいた。


 知人の子どもでピンとくるのがいたら大金で買い取ることもあった。優秀者たちがつくった子どものうち余っているものを引き取ってきたりもした。なんらかのコンテストやコンクールでよい成績を収めた子どもに声をかけることもあった。



 研究者によってはこんな研究プロジェクトもいずれあろうかと万全の用意をしていたらしく、個人で人間発生所をもっている者も、そう珍しくはなかった――人間の精子と卵子をたくさん溜め込んでおいて、人間の胎児を培養していくのだ。


 現代の技術だったら胎児の時点でだいたい優秀性がわかる。まだ精度は不十分だけれども、でもある程度の人生シミュレートだって、できてしまう。


 優秀とされる人間から高額な対価で買い取った精子と卵子、あるいはたまにはコスパ重視やら変わり種やらってことで、平凡な人間から安く大量に仕入れた精子と卵子、劣等者にはした金をやって気まぐれのように集めた精子と卵子、ときには異常者や人絹制限者の精子や卵子、あるいは大きな声では言えないだろうけど、人間未満の精子や卵子だって――。



 現代生物学の基礎を修め終わっているわたしにはもちろんその意味がわかる。

 無難で、ちゃんと秀でている、そんな相対的優秀者を発生させるには、当然優秀者どうしのそれらをかけ合わせたほうが、可能性としてもちろん確実だ。



『人間発生所をもってるひとたちは、うらやましがられていたな。そんなん圧倒的に有利じゃん、とかゆってさー』



 でも研究者というのは夢を思いえがく生きものだ。

 たまには異常者がほしくなったりする。

 既存の人類を超えてくれるような、そんな愛しい愛しい異常者。超優秀者をも超える、なにか。そんな、得体の知れないバケモノみたいなレベルの、なにかを――。




『黒鋼博士はそういうロマンチストだった』





 わたしは、こんどはコーヒーをごくりとひとくち飲んだ。

 うん、苦い。



『……で、みんなの予想からは意外や意外、あなたが勝ったってわけかしら。黒鋼里子さん』



 わたしは、にっこりと問うた。

 黒鋼里子は、驚いた顔をわたしに向けた。



『どうしてわかるの、南美川さん』

『んー……?』



 愛想のいい、それでいて曖昧な声を漏らしながら、わたしは試しにマドラーでコーヒーを混ぜてみた。……マナー違反をしているという妙な身体の緊張が、竦みが、すぐに感じられて、すぐにやめた……やっぱりマナー違反だなんて嫌だ。




『だって、だいたいそうなるじゃない』




 ……むかしばなしとか、おとぎ話とか、とにかく物語ではよくあること。

 そうは、わたしは言ってあげなかったけど。





 生物学研究室の同期三人は、なんだかぽかんとした顔でなんでわかるのと問いたい顔でわたしの顔を見ているのだった、



『わたしのことなんかより、あなたのお話を続けて?』



 にっこりと、促した。

 すると黒鋼里子は、われに返ったように――話の続きを、続けはじめる。……容易いことだ、たぶん、あまりにも、いろんなことが。こんなにも――。

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