福祉の光も、届かなかった場所から

 葉隠雪乃が驚いたようすで、そんなんで、どうやって育ったん、と尋ねた。

 そんなん、なんて物言いはあんまりにも直截すぎる気はしたけれど。でも、感覚的には同意なのだし、その言いづらいことをそんなにふわっと鈍く言ってくれるならまあ、助かるくらいだわ、って――わたしは、やっぱりようすをうかがっていた。





 黒鋼里子はむしろ、よく訊いてくれた、とでもいったように自嘲めいて、唇を歪めて――。





『ものごころついたら、そこにいたのね。気がついたら、もう孤児だった。住所というのも、もったのはずっとあとだよ。中学相当の学校に、入ってから』

『でも、そんなん、いまの福祉やったら許さんはずやん、旧時代じゃあるまいし、いまの福祉はしっかり、できてるんやし、そんな子がおったら、ほっとかへんはずやん――』

『建前はねえ』





 黒鋼里子は、どこか、のんびりと返したのだった。





『だってこう言っちゃいいかわかんないけど葉隠さんだってべつになんら悪いことしてなかったわけでしょ。ほら、あの、なんだっけ、さっき言ってたさあ、Necoの末端管理者だっけ?』

『うん、そうよ、もちろんよ……悪いことやあらへん』

『でも、こう、ご近所から煙たがられていたわけでしょ。違う?』



 まるで、もくもくと発生する黒煙を、手で払うようなそんな仕草。

 わたしの深海の視線は、葉隠雪乃に移った。どう、出るのかな。気分、害するのかな。

 でも、そんな気配もなく。葉隠雪乃は、あごに手をやって真剣な表情で考え込んでいたみたいだ――。



『そうやなあ。よう考えてみれば、そないなことになるんか。たしかにな。本音と建前いうて、その文化、古都のほうが激しいくらいやな』

『古都だと自然すぎて葉隠さん自覚なかったのかもね』



 黒鋼里子は、からかうように言った。……見る、見る、わたしはこのひとたちの、仕草やありさま、ようすを、見る、とにかく見る。





『あんなエリアには福祉の光なんか届かないって』





 福祉の、光――わたしはとっさにカフェオレを口のなかに染み込ませた、甘い、甘い甘い甘くて甘くって、……福祉の光とか、それ、よく劣等者が言いけがましく使う言葉だって、わたしだってそのくらいの知識はあった。





 そして、黒鋼里子は、語りを続ける。






 生まれたときには貧困エリアにいたという、黒鋼里子。



 はじめての記憶は、雪の日だという。

 たぶん、三歳か、四歳くらいのとき。



 ぐったりと、仰向けになって。

 とっても冷たい金属を、背中全面に感じながら。

 真っ黒な空。降ってくる真っ白い細かいつぶつぶを見て、不可解に感じたんだそうだ。





 雪以外は、空も、倒れている場所も、すべてが冷たく、真っ黒だった。

 手を伸ばしたら、雪はあたたかかったという――もっとも後年そのことは、出会うひと出会うひとみんなに否定されたみたいだけど。





 そして、周囲には、折り重なるようにして子どもたちがいた。

 体温どうしが、ふとんになっていたと感じた。そう、黒鋼里子は、言った。







『もうちょっと大きくなって、耳で覚えた言葉を使いこなせるようになるころの年齢になったら、だいぶ人数減ってたから、たぶん、半分以上は途中で死んじゃったんだろうね』



 そんなことも、さらり、と言う――たしかにそれは、ちょっと、……ひとを困惑させるの、わかるわ。





 そんななかでも黒鋼里子は成長していった。

 すくすく、すくすくと、成長していった。



 名前も、自然とできあがっていった。

 ただしまだ名字と名前がしっかりあって、というような名前では、なくて。

 まるでヒューマン・アニマルどうしみたいな名前だ。

 単なる、あだ名みたいな。



 黒鋼里子はそのころには、サト、と呼ばれていた。

 どうしてかは、本人も覚えていないという。

 ただ気がついたら、なぜだか、周囲の子どもたちにサトと呼ばれるようになっていた――だから、それを自然に受け入れた。



『由来は、いまでもちょっと気にならなくは、ないんだけどねー。なんで、私サトだったんだろ? って』



 黒鋼里子は、首をかしげた。

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