ミックス
国立学府のそばには、なんだってお店が揃っている。
超優秀者として華々しく一歩を踏み出した若いひとたちに対しての、過剰に媚びた料理やサービスばっかりの。
わたしは、そんな国立学府の周辺のエリアを、愛していた。
今日はトラディショナルにおしゃれなことで有名な、コーヒープロフェッショナル型のカフェに来ている。
お昼というには遅いけど、夕方というにはまだ早い時間。人生を、わたしたちみたいに歩めなかった店員さんたちが、わたしたちのためにせっせせっせとコーヒーやらケーキやらを、用意する。
室内の快適なスペース。シック風のウッドテーブルを囲んで、わたしたち四人は、そのときにこやかに談笑しあっていた。
まずは、自己紹介。と、いったところだったけど――。
『私、
まっさきに、どこか率先して自己紹介に臨んだ、葉隠雪乃――あのときは、まだ葉隠さんと呼んでいた――の、名前を名乗った直後に言ったその言葉。
それを聞いたわたしは、思わず、あはっと噴き出すかのようにして笑ってしまった。
『葉隠さん、なあに、それ。ミックスだなんて、言葉があんまりオールディよ。ましてやわたしたち生物学専攻じゃないの』
『うんうん。正直なところその通りだと私も思う。価値観のアップデートは済ませているの?』
『そうだよね、遺伝情報のキャリアの仕組みがかなり解明されつつあるいま、ちょっとミックスって言葉は不適切じゃないかなー』
自己紹介から、あっというまにディベート体制へ。
こういうことは、国立学府の学生どうしではよくあること、当たり前のことだ。
初対面でももちろんかまいはしない。
そうやって学問的に高度な議論をすることが、学府学生が、この社会において超上位にいられるってことなのだから――。
『知ってる。ミックスも、ハーフも、ダブルも、言葉が古いなんてこと』
『そうだよねえ』
わたしは、頬杖をついて葉隠雪乃のようすを眺めた。
彼女が、ちょっとうつむいたからだ。長くてツヤのあるよく手入れされた黒髪が前髪ごと垂れている。
……わたしは、あくまで明るく、でも詰問調にならないように、注意しながらしゃべりはじめた。
『遺伝の決定はだいたいが足して二で割るもの、だなんていう思想が、簡単にまかり通っていた時代の言葉だもの。いまどきの生物学って、もちろん、わたしが言うまでもないけどさ、そんな事実ではないよねぜんぜんぜったい。そんなワードを聞いただけで、わたしたちみたいな、国立学府の学生、とくに生物学専攻は、ぎょっとしていまみたいに突っ込んじゃうよねえ。……ねっ、そうよねえ』
同意を、求めれば。
サバサバした雰囲気の黒鋼里子も、おっとりした雰囲気の守那美鈴も、それぞれどこか真剣さめいた雰囲気をもってうなずいてくれた。
わたしは、アイスコーヒーの底に沈んだ氷をスイーツ用のスプーンでカラカラとかき回す。……ほんとうはこういうのってお行儀が悪いんだろうし、ときどきママからもやんわりと注意されるけど、ひとと話すときになんだか手持ちぶさただからっていうこの癖は、ずっとずっと、抜けきらない――。
『だからわたしたちが言ってることはわかってくれるわよね葉隠さん。あなただって、生物学専攻で。そんな常識的なこと、知らないわけもない』
『うん……』
『ちょっとお、葉隠さん。そこで黙っちゃ、ダメじゃない? 建設的な議論を、続けないと――』
黒鋼里子が、もっともなことを言ったけど。
葉隠雪乃は、ますます縮こまった。――だから、わたしはにっこりとした。
『いま言ったのは一般論よ』
葉隠雪乃は、顔を上げた。驚きの感情をはらんだ表情だった。
美人だなって思ってたけど、こういう雰囲気を見ると、なんていうか……けっこう、芋くさいとこあろあるのね。
わたしはなにかあたたかいような、それでいてはるか高みから見下ろすような、気持ちがこみ上げてきて、自然と、苦笑した。苦笑、できた。
わたしは、真剣な顔をつくって。
『それでも、葉隠さんは、きっとその言葉を使って生きてきたのでしょう?』
――うーん。ちょっと、演技がかりすぎたかな。
調整、調整しなくちゃ……まるで自然に見えるかのように。
『だったら、それは、だいじにしてほしい言葉だわ』
思ってもね、……いないことを。
『だって葉隠さんにとってはきっと意味があるんだもの』
すらすらと。
『どうして、オールディで、こうやって批判の対象にもなりうるとわかっていながら、……その言葉を使うのかしら』
……すらすらと。
『ねえ、よかったら教えて、葉隠さん』
ぱきん、と音が聞こえたかのようだった。
じっさいはなにも音なんて鳴ってやしない。
ただ葉隠雪乃があのときそう形容できるような表情を浮かべたのだ。
なにか心の障壁がひとつ破れたような顔をしたのだ。
ぱきん、あっけないほどに――だから、わたしは、……そんなような音がしたような気がしたって、それだけのこと。
『わたしたち、これからずっと仲間なんだから!』
――すらすらと、言う、わたしはこういうことをするのがまるで平気で。
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