ただそこに、晴天だけがあったのだ
Necoが応答してくれなければ、正直、どうにもしようがない。
Necoの思考よろしく真っ暗なブラックボードは、しかしNecoとつながらないのであればほんとうにただの板でしかなく、だから、僕がいくら白文字をそこに刻み込んでやったって、……意味はない。なんにも、ならない。どこにも、届かない――。
僕はそれでもいちおうのすべて、すくなくとも思いつくかぎりのすべてを試した。インタープリター機能はこんなオールディなマシンであっても作動していたし、ハード的なトラブルがあったようにも思えない。マシンは順調に従順に動き、コミュニケートデバイスのアラートカラーも問題なしのグリーンになっている。管理者権限を標準的にしても、あるいは特別権限で起動させようとしても、……どれも、うまくいかなかった。
理論上は、なにも問題なくNecoが動くはずなのに――実際には、まったくもって動かないのだ。これは。……どういう、ことだろう。
あきらかにこの世界はおかしくなっている――あのふたごが、捻じ曲げたとしか思えない。
地面に座り込んだままの僕がノートパソコンに向かうだけのすがたを、だれも冷やかさなかった。ノートパソコンをクラシカルと言ったさっきのひとの声も、今度は飛んでこなかった。いや。あるいは僕が集中しすぎていて、そこまで注意を払えなかっただけか。わからない。わからないけれど、――僕の集中が、ノートパソコンにだけ向いていたことは、たしかだ。
だから、肩を叩かれたときにはびっくりした――大きく肩を震わせてしまったと思う。反射的に振り向く僕の気持ちに、苛立ちが一片もなかったといったらそれはまったくの嘘になる。思えば、実家でもそうだった。……僕は集中しすぎるきらいがある。それはけっして、能力が高いゆえの過集中とか、才能としての集中ではない。もともとが不器用で能力が低いから、集中ということをしてしまうと、マルチタスクができなくなるのだ。……ほんとうに、僕のいわゆる、クローズドのネットスラングでいうヒューマンスペック、つまり、人間としての能力というのは、低いのだ。だから肩を叩かれたというふつうだったら受け流せるようなことをされただけでこんなにも気持ちが――。
肩を叩いたのは、例の青年、……カルと呼ばれたあの彼だった。
顔を、しかめて。どこか、どこまでも不機嫌そうに――。
「お仕事中すみません。でも、もう、……いいです」
「……なにが……」
勝手にやらせておいて、勝手に終わらせるのか――しかしそう思って僕の心がざわつく前に、彼は、……きちんと述べたのだ。
ほんらいだったら躊躇するであろうところを、それでもはっきりと口を開いて、発音して――。
「この公園、切り離されてます」
「切り離されて、る……」
「ええ。外に出られません。……だれひとりとしてね」
僕は、ノートパソコンに両手を置いて座り込んだままぼんやりと辺りを見回した。
管理者の中年の女性はスマホデバイスに向かってなにごとか叫んでいる。でも、一方的な叫びで、通話が成り立っているようには思えない。
耳をよく澄ませば、木々の香りとそよ風のなかにも、あちこちから大声が聞こえ、子どもが泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
人権を制限されているひとたちは、もうほとんどが座り込み、その作業着と手枷足枷という彼らの基本的な装いのまま呆けて空を見上げている――気づけば虹の文字はなくなって、ただ、そこに晴天があった。……ただそこに、晴天だけがあったのだ。
そよ風は相変わらず心地よく、木々の匂いはたしかなものだ。
ここが、非現実だなんて話が、……まったく非現実的に思える、くらいには……。
僕は、彼に言った。
「……あの。訊いても、いいですか」
「僕に答えられることがそんなにあるとは思えませんがね」
「出られないというのは、……だれひとり出られないというのは、どういう」
「わかりませんよ。ただ、出られないんです。……正門も南門も、非常口さえ、妙なブルーの膜で覆われているんですよ――ああっ、クソッ!」
彼はなにかを思い出したのか、拳で自分の太ももを思い切り殴った。
南美川さんが、びくんと脅えたので――僕は、その身体に両手を回す。
「……外界から切り離されたような状態ということですか」
「そうなんでしょうよ! どうしてそんなことが成り立つのかわかりませんが、現に――」
「現にそうであるのだから仕方がないでしょう。……カルくん」
カンちゃんと呼ばれていたあの管理者のひとりも、気づけばそこにいて、感情の読み取れない無表情で彼とおそろいの帽子をかぶっているのだった。
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