南美川化、再来

「ふふ。笑ってる。……ぼくに、また、会えて、嬉しいんです、か。――来栖、春さん。そして、姉さん……」



 南美川化だった。――まぎれもなく、南美川化だった。

 雑木林の向こうから。

 まるで真昼の幽霊みたいに。

 真っ白なティーシャツに、ごくシンプルな水色のデニムのジーンズ、――まるで近所をちょっと散歩しに来ましたみたいな格好で、彼は、……あらわれたのだ。



 揺れは、まだ続いている。

 眩暈がしてきそうだ。気持ち悪くなりそうだ。

 実際、三人組のひとたちはしゃがみ込み、葉隠雪乃に至っては、なんなん、なんなん、気持ち悪うなってきたわ、戻しそう、などと言いながら呻いていた。ほかのふたりも頭を抱え、けっして、穏やかではないようだ――。



「――なにをしにきたのよっ、化っ」



 ずっと黙っていた南美川さんが、……このところほんとうに犬になってしまったみたいに外では黙らざるをえなかった南美川さんが、いまは、いまだけは躊躇なく――四つん這いのままでも前足を踏み出して、吠えた。南美川さんには悪いけど、リードがあってよかった――そうでなければいまこのひとは、一目散にその弟の、――得体の知れない人間のところに駆けていって噛みつきでもしてしまいそうだったから。



「なにをしに、きた、って? ふふ。姉さん。……わからない?」

「わかるわけ、ないでしょう、化、あなたのすることなんかお姉ちゃんは――」

「ああ、ぼくのこと、やっぱり、ずっと、弟だ、って思ってくれてるんだ。かわいい、弟だなって。うふふ。……姉さん、ぼく、嬉しい。だって、姉さんのこと大好きだから――」

「質問に答えて!」

「ええ。……答えて、いるでしょう?」



 南美川化は、こくんと右に向かって首を傾げた。……まるで無邪気な幼児のように。

 しかし南美川さんが呼吸を荒げたままなにも言わないのを知ると、……今度は、電池の切れた機械人形みたいに反対側の左に向かって首を傾げた。



「だって、姉さん。続き、したいよ」

「……なんの……」

「ぼく、姉さんと、えへへえ、――結ばれて、ないでしょう?」





 一瞬にしてよみがえってきた。

 あの、悪夢のような日々。

 悪夢のようで、おぼろげでもあった。

 南美川家にふたりで監禁されて、僕は、精神が高校時代に退行する薬を飲まされて、……やがて効果は切れたけど、どうにか、抜け出すために、……チャンスをつかむためにしばらくは高校時代の心のふりをし続けて、しかし、南美川さんがついに、……犯されそうになったとき、

 僕は、声をあげた、――ネコに助けを求めてそれをどうにか止めることができた、ああ、ああ、……でも、それは、狂ったこの圧倒的強者にとっては――





 たぶん、止まったのではなく、中断に過ぎなかったのだと。

 ああ。僕は。ほんとうに。……おそらくは、あまりにも、強者というものがわかっていない。




「だから、続き、しにきたの」

「化! お姉ちゃんはね――!」

「南美川さん。落ち着いて。……とりあえず、落ち着いて」




 なおも無理に進もうとする南美川さんのリードを、しっかりと握りしめなおした。行かせるわけにはいかない。いま、こんな状況で、ひとりで。……南美川さん。いまのあなたは、犬なんだ。人犬の身体なんだ、この異常事態において、もしかしたらいまだけは心は――人間として、しっかりしているのかもしれないけれど。




「――化くん」

「はい。なんでしょうか。来栖、春さん……」

「簡潔に、答えてほしいんです。この地面の揺れに関係あるのは、あなたですか」




 南美川化はにやりと笑った。相変わらず、得体の知れない小さな笑みで――。




「ぼく、たち。です」

「それは、南美川真さんや、峰岸くんも絡んでいるということですか」

「それも。だけど。それ以上に。ぼくたちっていうのは、ぼくとNeco、のことですよ……」




 地面が、ひときわ大きく揺れた。

 三人組は一斉に悲鳴を上げた。

 遠くから、ほかのひとたちの悲鳴も上がってくる。

 なのに、それなのにどうしてNecoは起動しない。






 こんなときなのに。

 社会人を守ってくれるはずの、絶対的な信頼性をもったはずの、Necoインフラは、いったいなにをしているんだ。いったい、――なにを。

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