いつも通りを、歩いてみる(3)三人組の、爆笑

 ――南美川さんが、いつも通りに舌を伸ばして僕を慰めてくれただけで。

 いまの南美川さんにとっては、まったくの、いつも通りを……実行してくれた、人間的な思いやりで、ただ、……ただ、それだけのことで。



 爆笑が、生まれる。――このひとの、南美川さんの、だいじななにかに対して襲いかかって破壊していく、そんな笑い声が……静かなはずの、雑木林を、つんざく。

 あはははは――と。南美川さんは身をすくめて、その場に、伏せてしまうけど――ああ、その滑らかな背中は、素肌は、……何度でも思うよ、人間のときのまんまなんだからね、南美川さんは――。



 葉隠雪乃は上品な雰囲気にも似つかわしくなく、腰を大きく折り曲げてお腹を抱えている。黒鋼里子の笑い声は大きく、頭上に向かって笑い声を吐き出し続ける。守那美鈴は、口もとに握りこぶしを当てて、必死に笑いを堪えているというていだったが――やがては堪え切れないかのように思い切り、噴き出した。



「あはっ、あははっ、あはははははっ、南美川さん、それ、なんなん? 犬みたいやん、そんなん!」

「もー、くっ、……くふふふっ、雪乃ー、変なこと言わないでよー、犬みたい、じゃないでしょー、犬なんだから当たり前でしょ、南美川さんは!」

「ああー、そうやったそうやったー、私、楽しすぎてなあちょっと思考回路働いてへんのー!」

「里子の言う通りだよ、雪乃、変なこと言うね! 犬なんだから犬として振る舞ってるに過ぎないわけ、南美川さんは」

「犬やと人の足、ぺろぺろぺろぺろ舐めないけませんのやあ。ふわあ、犬って大変!」

「大変じゃないでしょー、だって、それが犬ってもんなんだからさー」

「ふふっ、南美川さん、――それどこで覚えたの?」



 守那美鈴はしゃがみ込むと、南美川さんの頭を唐突に掴んだ。がしっ、と勢いよく――止める間もなかった。髪の毛の、赤いりぼんを欠かさず結んであげている、……人間のときのそのまんまの髪を、ひとふさ、大胆に強い力で掴んで、掴み上げて、南美川さんの顔さえも――上げさせていた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔。それを拭うこともできない四つ足。白い素肌に赤い首輪。剥き出しにならざるをえない胸部――。




「ねーえ、南美川さんは犬なんだよねえ? 私たちの手も舐めてみな? わんっ、て鳴いてみなよ。――涙をこぼす暇があったらさっさと私たちに服従すれば?」




 ……えっく、と南美川さんが喉の奥から声を漏らした。




 それは――心の奥底からの声でもあると、僕にはわかったから、僕は、……怖くっても、煩わしくっても、なんでも、やはり言えずにはいられなかった。――しゃがみ込んで、子どもがまるで宝物を独り占めするみたいな幼稚な動作で、しかし、しっかと……南美川さんを、こちらに抱き寄せて。




「……やめて、あげて、ください……やめて……」




 それは本来は、――南美川さんが言うべき言葉だけれど。でも、たぶんいまなにを言っても、このひとたちには通じない……南美川さんの口から発する言葉なんて、おそらく、……犬としての鳴き声くらいしか、このひとたちには、通じない。




 ざくり、と地面の砂を踏んで、葉隠雪乃が一歩こちらに進み出てきた。




「あらあ。来栖くん、会ったときから思っとったけど、またずいぶん南美川さんのことかばいはるよね。――なんで?」




 僕は返事をせず、黙ったまま、葉隠雪乃を見上げた。なるべく卑屈にならないように、この人間の目にそう映らないように、人間も、このひとたちも、怖いし煩わしいけれど、けっして――そのことで、南美川さんを手放してしまったり、……いまはあくまで社会制度上、法律上はモノに過ぎない南美川さんを、手渡してしまうことがないように。




「ねえ、ねえ……なんでなん? 南美川さんなんて、――さっさと殺せばいいんになあ? なあ?」



 葉隠雪乃は黒髪を翻してくるりとほかの二人にも同意を求め、……そして、二人も、うんうんと同意して明るくうなずくのだった。




 僕は、南美川さんを抱きしめた。そっと。……力が入りすぎることの、けっして、けっしてないように。




「……舐めた、くらいのことで、笑わないであげて、ください……南美川さんは、僕を慰めてくれたんです――」

「ああー、私、知ってるよ。来栖くんのそういうの……うっわ、やっぱ来栖くんって意外とお盛ん」



 黒鋼里子が、ざっくばらんな態度に下卑た笑みを浮かべた。

 葉隠雪乃はあくまで上品に、守那美鈴はあくまでおっとりと――そのなかにおのおの、下卑た感情を、かすかに、しかしまるでいまにも臭ってきそうなほど確実に――そこに、滲ませていたのだ。



「やっぱし私らの予想した通りだったなあ。うんうん、わかるえ、南美川さんこうやって無抵抗になれば単に可愛い女の子……いやいや違った。牝犬やもんなあ!」

「来栖くんってー、あんまりそういうのに興味なさそうな感じだったけどー、やっぱりー、男の子なんだね?」





 僕は、再び、三人組を睨み上げた。――ペットショップで南美川さんを買ったときにもあの店長に言われたときの、どうにもやるせなく、絶妙に違っていて、しかし反論もできない、怖くて煩わしかったから、……雨のあの日を思い返しながら、この湿った雑木林で僕はただ、ただただ南美川さんをかばっていた。――欲望を、感じたことがいちどもないなんて言ったら当然嘘になる。でも、ただのいちども――そういう目的でふれたことはない。殺しもしないし、犯しもしないとあの日誓った、そんなことを、ぐちゃぐちゃと、思考ともつかず感情として渦巻かせながら、――ただ、ただ、このひとを守るには、どうすればいいかともう何度目かということを、肉体の疲労と極度の嫌悪となにもかもをもう投げ出してしまいたい気持ちのなかで、想っていた。

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