ずっと手本にしてきたひとの本棚

 僕たち三人きょうだいと、そして南美川さんは、とても奇妙なことに僕の部屋のテーブルを囲み、みんなでお菓子を食べていた。

 そう、とてもマジで大変奇妙なことに。



 海の持ってきたお菓子の詰め合わせは、創作洋菓子がたっぷり詰まった豪華な箱で、おそらくいいものなんだろうなと僕でもひと目で思うほどのものだった。

 きっと、仕事も、うまくいっているのだ。そういうものをすらっと仕事帰りに買える程度には。


 ……最初は、ケーキかなって思ったんだけど、海がマドレーヌとかフィナンシェとか訊いてもいないのに説明をはじめたから、僕はなかば慌てた気持ちでうつむいた。ああ、よかった――ケーキありがとう、なんて言わないで。

 違うよマドレーヌにフィナンシェになんたらに、ってきっと言葉の応酬がすごかったはずだ。



 僕はちまちまぼそぼそと、フィナンシェとやらと食べている。

 姉ちゃんはクッキーばかり食べている。先ほどから、空の袋がテーブルの上に溜まる溜まる。……次のゴミの日、忘れないようにしないとな。

 そして、海は南美川さんのことが気に入ったのか、お菓子を手渡しで食べさせていた。

 南美川さんもまんざらではないのか、ちょっと嬉しそうな顔さえして海の差し出す洋菓子をぱくついている。……意外だ。もっと、嫌がるかと思ったのに。僕以外の人間から手渡しでものを食べるだなんて――。



 ……でも、まあ、なんか、南美川さんこっちおいで、とも言いづらくて、僕はそのままもそもそと洋菓子を食べ続ける。



 南美川さんの顔を覗き込んで、「クッキーも食べる? いる? いらない? わー、いるかー。じゃあどれがいい? チョコチップ? シナモン?」とか問いかけ、引き続きお菓子を食べさせながら、海は部屋全体をぐるりと見渡した。



「いっかい、お兄ちゃんの家、来てみたかったんだよねー」



 ……それは、笑いに来たかったってことか?

 この実家に比べてたいして立派でもなく手狭で設備も整ってなくて古くて、しかも散らかっている僕の部屋に来て――。



「へーえ、すごいじゃん」



 なにがだろう。……劣等性が、すごいってことか?




 海は、僕の本棚を見上げていた。




「ちょっとさ、本棚見てもいい?」

「え、いいけど……」

「ごめんねー、ちょっとお膝からどけるねー、ごめんね」


 猫なで声は、もちろん南美川さんに対してだ。

 南美川さんはしゅっと素直にどいて、その場に伏せて尻尾をぱたぱたさせている。

 その見た目も振る舞いも、犬そのものだけど――ちょっと口角を上げてこちらを見上げてくる顔はあきらかに人間の表情だってわかるから、僕も人間どうしの対等なコミュニケーションとして、苦笑を返した。




 海は立ち上がると、背中に両腕を回して、ふんふんと鼻歌を歌いゆらゆらと揺れながらアナログ書籍の背表紙を眺めはじめる。……仕事の本だけしかないはずなんだけど、なにがおもしろいのだろうか。


 情報というのはデジタル媒体でやりとりするのが当たり前の現代、日常生活の情報や娯楽だったらこんな分厚い紙でわざわざスペース的リソースを取ったりはしない。


 だが、このあいだネネさんの、……生物学研究者、高柱寧寧々の研究室に行ったときも、そうだったけど――ゆえに、専門性が高ければ高いほどその情報の価値は高まるので、あえてアナログ書籍で所有するという風潮も、また当たり前になったのだ。いや、まあ、もちろん僕が超優秀者であるネネさんと自分を比較するだなんて――おこがましいにも程がある、とわかってはいるんだけど。


 僕もいちおう専門性というものをもっている。対Necoプログラミングだ。だから書棚には、それ関連の本ばかりがぎっしりずらりと並んでいる。

 ……なんのおもしろみもない本棚のはず。




 ……そういえば、Necoは、いまもここにいるはずだ。

 そう。Neco世界圏であれば、いつでもどこでも、あまねく場所に。




 いまも、すべてを見られているんだなあ――僕はぼんやりとそう思いながら、書棚を興味しんしんといった体で見つめる妹を、座りながら見上げている。




 海は、ふん、ふふん、と本棚を見続けている。

 姉ちゃんはというと、そんな海を気にしながらも、いつのまにか「ほーれ、ほれ」とか言って南美川さんにお菓子を与えはじめていた。……こっちはお互い人間だと知っての関係性なので、姉ちゃんの犬相手の猫なで声にも南美川さんの犬の振る舞いにも、どことなく演技感が拭えない。



「……ふうん、お兄ちゃんってこんな感じで勉強してるんだね」

「……つまらないだろ、……海の専門性とはちょっとずれるから……」



 海の専門としている分野と僕の専門の分野は、大きくカテゴライズするとおなじところに入るが細かく見ていくとけっこう違う。

 分野のカテゴライズを、マッピングしたとき――社会全体では同じグループの楕円のなかに入るのに、その楕円のなかでは右上と左端に位置するみたいな、すごく微妙に絶妙なずれかただ。



「んーん? つまんなくないよ。……ずっと手本にしてきたひとの本棚だもんさ。ずっと気になってはいたんだけど、実家にいるときには部屋に入れさせてくれるって雰囲気じゃなかったしねー」

「え……だれ? なんかこのなかに海の目標としているひとの書籍でもあったの――」




 海は、苦笑する。ひらひら、と左手を上下の方向に振る。




「違う、違う。……私、お兄ちゃんに影響されて、この仕事はじめたんだから」




 ――ん?

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