僕たちの父さんはアンドロイドを愛している
姉は脱力したように、へろり、と体勢を変えた。
その呆然とした視線は、しばしのあいだ脅えて丸まっている南美川さんに向けられていたが――やがては、僕のほうに向けられた。
「……春、あんた、どういうことなの……」
「だから、もういいんだ、たしかに僕はこのひとにむかし、おおむかしにいじめられていたけど、でも――」
……いや、おおむかし、とは言いすぎたかな。
いまも。南美川さんと表面上はおもしろおかしく仲よく楽しく暮らしているいまでさえも、ときには悪夢に見る時代のことなんだ。そんな、おおむかしだなんて。そんなわけはない。感覚的には、地続きだ。でも――。
「それもだけどさ、あんた、なによ……」
ははっ、と姉は笑った。――このひきつるような笑みは、やっぱり、僕と似ているところだと……思う。
「あんた、そんなこと、できたの」
「……だって、もう、おおむかしのことだよ。そりゃ、全部忘れるとかは、無理だけど……いまさら責める気にはなれなくて……」
「そうじゃなくて。……その、なにかな、あんた」
姉は気まずそうに、いちどだけ、手で頭を掻いた。
「あんた、ひとのこと、そんなにかばえるひとだったっけ。……だいじに思えるひとだったんだっけか」
「……シュンは、そういうひとなの……」
ぐすり、と鼻をすすって。
泣き疲れているはずの南美川さんが、その疲労をもはや隠そうもせず、それでも――やはり、言葉を発するのだ。さきほど、あんなに責められたというのに、それでも。
「わたしも、知らなかったの。……だからいじめちゃったの。でも、シュンは、ほんとにわたしに……優しいの……」
姉は、口をあんぐり開けて、南美川さんを見ていた。
そして気を取り直したように、ううん、と呻くような声を出す。
「……いや、それはさ。姉の口から言いづらいけど、その……もともと春は優しい人間ではないよ。……情に乏しいやつだと思うわ」
そんな、評価も――はじめて、聞いた。
「母さんなんかね、むかしから、春はもしかしたら人間相手よりも、社会そのものや人工知能とおはなししていたほうが楽しいのかもね、なんて言ってたけど……大学といい、職業といい、ホントその通りになったわ。
……まあね、ほら、ウチは、そもそも父さんがそんな感じだからさ。あたしと妹の海は母さんに似たけど、春は父さんに似たんだねって、あたしらいつもそうしゃべってるんだわ」
「……え、僕、そんなこと、なにも……知らなかった……」
「ああ、そうだね。アンタはなんにも知らないだろうねえ」
南美川さんが、どこかつぶらな瞳で僕を見上げてくる。
「シュンのお父さん、シュンに、似てるの……?」
「僕はそう思ったことはないけど……父さんのほうが、よっぽど立派な社会人で……」
「そりゃアンタそんなとこいま父さんと比べんなよ。だれがあたしらを社会人になるまで育てたと思ってるんだ」
ぴしゃり、と姉に言われた。
「うん、なんだその、南美川さん。あんたにしゃべるのも腹が立つけど、弟のこと誤解してるみたいだから教えてあげる。
……弟はね、春は、父さんに似てるよ。
うちの父さんも、けっして悪いひとじゃない。むしろ家族に対して義務を果たすさまは、社会から表彰されたっていいくらいだ。
あたしだってずいぶん世話になった。進路の相談をしたときは、ずっとつきあって話を聴いてくれた。あたしが社会人になれるよう、いろんな提案をしてくれた――。
……でもさ。
それは、逆に言えば、あたしが父さんとろくにしゃべったことなんて、進路の相談とか、そういうイベントごとのときだけなわけ。
あのひと、家庭もつのに向いてないよ――でも、あのひと、……母さんのことは愛してるからね。たぶん、人間のなかで、母さんのことだけは……愛してるんだよ。……娘たちも、息子も、義務と義理は感じても、愛せなかったくせに。
……母さんを愛する以外は、父さんはずっと、あたしたち三人の子どもなんかじゃなくって――」
僕は、だいたい、察しがついた。
……だから、つらそうな姉の言葉を、引き取った。
「アンドロイドを、愛している。……だよね」
「ああ、その通りさ」
南美川さんは、またもこっちを振り向いた。
「アンドロイド……? シュンのお父さんって、……そうなの?」
「父さんは、……アンドロイド製造工場の、工場長なんだ」
そもそもは、父さんはとても若いころから、自分でオリジナルアンドロイドのパターンを制作していたのだという。どちらかというとアーティスティックな専門性の仕事だ。
だが、それをもっと広く、三人も子どもがいる家族ひとつぶんを充分に養える程度の社会的価値にしていくために、父さんはあるとき、パターンを広く利用することを思いついて――大量生産型のアンドロイド製造工場をつくったのだ、という。
……母さんから聞いた話で、僕はまだ生まれてもいなかったから、あのアンドロイドのことしか頭にないような無口すぎる父さんが若いころにそこまでのことを決心したということは――いまいち、実感がない。
「……それで、お父さんは、アンドロイドを愛しているの?」
「うん、その、……変な意味じゃ、ないとは思うんだけど」
僕にとってのNecoみたいなもので、と言おうとしたけど――やめた。……Necoのことを、愛しているなんて、例え話だとしても気味が悪い。僕とNecoとの関係性は、そういうもんじゃなくて――って、いまそんなことはどうでもいいのだけれど。
姉は、やけに神妙に言葉を続けた。……静かなのに、どこかとても……怖い。僕に対して、怒っている? いや。南美川さんに対してか、これは――?
「だから、南美川さん。よく覚えておいて。……春は優しい人間なんかじゃないよ。父さんに、とても、とてもよく似ている。……愛のリソースに乏しい人間なんだ。でも、それをあなたに向けているということは、だから――」
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