まるで宝石のような、

 ……泣き出すかなって、思ってたんだ。

 そんな寂しそうに。そんなふうに、なにかを諦めて。

 ……だから、簡単に泣き出すかなって思ったのに。


 泣き出さない――でも、うつろな横顔をしている。

 モニター越しに花嫁を直視しているのに、……ああ、どこも見ていない目をしているね。



 ……思えばいじめの最初の時期はともかく、僕もなんとなく変に慣れてきて、高校三年あたりにもなってくると、……よく南美川さんに言われたものだったよなあ。



『ぼんやりしてんじゃねーぞ、シュン!』



 そう言われて、そしてやられることといえば、蹴られたり、脱がされたり、笑われたり、従わされたり――。



 ……なんか、南美川さん。

 いまよりも言葉づかいはギャルっぽく悪かったけど、……楽しそうな笑い顔だけは、あのときもいまもいっしょなんだよなあ。ほんとうにこのひとは、……顔いっぱいを使って、笑う。


 それがなあ。なんだかなあ。――再会してからも、キツくって。

 いまも、このひとにはバレちゃいけないけど、……それは、やっぱり、けっこう、僕の心に――。



 ……ああ。

 南美川さんのほうに、意識を戻さなきゃって。……過去はともかく、いまつらいのはこのひとなんだから、って……。



「……南美川さんは、こういうのが、着たかったの?」



 言ってみて、すぐに気づいた。……失言だった、と。


 だが、言ってしまった言葉は戻らない。そのことは、僕だって……知っているんだ。よく、知っている。

 それこそ、いちばん知っている部類の人間だという自負さえある。



 だって、ほかでもない僕自身が――高校時代に言われ続けた言葉に、とくに南美川さんに言われ続けた言葉に、……このひととともに暮らすことになったいまでも、このひとにはコソコソとどうにか隠しながら、いまでも、いまでも毎日……傷つけられて、囚われて、縛られ続けているのだから。



 ……だから。

 言った言葉は、戻らない。



 たとえそれがけっして悪意によるものではなく、それどころか慰めや励ましの真似事がしたくて、気にかけていて、ひとりだけの世界に入ってただただ窓越しの幸福を見つめ続けるそのすがたが、見ていてつらくて、もどかしくて、……それゆえの発言だったとしても、だ。


 いや、そもそもね。

 わかっているよ。いるんだよ、――僕なんかはきっといちばんそんなことは咎められないんだってことも、わかってる、……わかってるんだ、僕だって――南美川さんにバレないように細心の注意を払いながら、そうしてこのひととの過去に、……いまでも、苦しみ続けているのだから。

 そんな、僕が……ひとに対しては、ひとりで苦しんでいるようなすがたを見ていたくないだなんて、そんな偽善、……言えるわけがない。



 ああ。だから。――僕の言葉はいま、南美川さんを、どんな暗がりに追い込んだのだろうかと。

 ハッとしてこのひとの横顔を見たときにはもう遅くて、……だって、このひとはもうすでにきれいに、笑ってしまっていて。

 きれいに……。



「……うん。すてきなドレスだなって、思うわ」



 にこり、としながら、ぱたん、と下ろされる、尻尾。



「このひとには、とてもよく似合ってる……」

「――そんなことない、」


 いや、なにを言っているんだ僕は、――モニター越しの花嫁のこのひとにはなにも罪はないのに、いや、――いや違う、そんな言葉じゃないだろう、いま僕が言うべきは、そして、……南美川さんがかけられるべきはこんな言葉じゃない、

 そうじゃないんだ、……そうじゃなくって……。




「南美川さんにも、似合うと思うけどな、こういうの」

 そこまで言って不自然に言葉を終えた。




 ――だから、ああもう、僕は!




 ……髪をかきむしりたくなったけど、かろうじてそうしなくて済んだのは。

 南美川さんは、こっちを振り向いた。急にじゃなくて、……なんか、妙にゆっくりと。ぎこちなく。



「……えっ……?」



 驚きは、じわりじわりとこのひとの表情を満たしていった。

 そんなに驚かれると、……むしろこっちも驚くんだけどな。



「……なに、ゆってるの……?」



 目が、見開かれる。……高校のときと変わらない、大きな目。顔の造形が変わらないってことじたいは、当たり前だけど……・

 あまりに真剣な表情で南美川さんは僕を見ていた、大きな目、……ああ、ほんとうに大きい目をしている、光を受けて、きらきらとして……。



「似合うわけ、ないわよ……わたし、人犬なのよ?」

「いや、でも、――南美川さんのほうが、きれいだし」



 僕はこんどは髪をかきむしるどころか、頭を壁にいますぐ打ちつけたくなった。……こういう愚かさは、どう矯正すれば直るのだろうか。たとえばそうだな、人権でも放棄して調教でもしてもらえば、僕も多少はまともになるのだろうか……なんて。



「……きれい……? わたし、きれいなの?」



 そりゃまあ、とうなずきそうになったのを咄嗟に抑えた。……僕は僕という人間がいよいよ信用ならない。



「かわいい、の言い間違いでしょ?」

「や、まあその、……かわいい、と言えなくもないような、そんな気がしなくもないような気も……しなくもないけど……」

「……わたし、きれい?」



 うん、とうなずいてしまったのは――どうしてだろうか。

 僕は、僕自身が信用ならないはずなのに。ついいましがた、そうあらためて強く思ったばかりなのに。


 ……僕では、なく。

 僕なんかの問題などでは、なく。

 このひとが、あまりにも、……その答えを求めてるような気がしたから、だろうか。




「……うそだもん」




 ああ、ごめんなさい南美川さん――そう言おうとした瞬間、その大きな瞳から、ぼろりと負けないくらいに大粒の涙が溢れ出した。

 状況を理解するのにさえ先立って僕が感じていたのは、……ああ、やはり宝石みたいな涙を流すんだねって、そんな、……馬鹿げたことだった。僕にそんなこと思われたってさ、そうだよ、……気持ちが悪い、だけなのに。

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