モニターのなかの花嫁
南美川さんは、か細い声で言った。
「……結婚の……」
僕は驚いて南美川さんを見る。――が、伏せたままだから表情が見えない。
「ウェディングの」
念押しするみたいに言われた。
なぜ、言い直したのだろう。べつに、聞きとれなかったわけではない。でもまあ、言い直したからには言い直したのだろう……と、トートロジーと言ってはNeco論理にさえ怒られそうなことを思って、僕はカタタと外付け片手入力デバイスでそのワードを入力した。
一瞬でアクセスできる動画のデータベース。
まずはオープンネットでそのワード単体でサーチアンドソートをしたから……うん、これぞウェディングみたいな動画ばっかり表示されている。明るくて、華やかで、幸福そうなものばかり……。
「……どうする? どうやって、絞り込む?」
なにせ結果は膨大だし、……どうしても単体ワードだけだとトップスに出てくる結果はこうやって雑多に、そして当たり障りなく無難になってしまう。
つまり、マジョリティのマジョリティによるマジョリティのための検索結果ばかりになるのだ。……式場っぽいところで、ウェディングドレスやタキシードっぽいものを着て、式っぽいことをして、祝福されているっぽい感じの。そんな動画のダイジェスト・ピクチャーばかりが出てくる。さすがにこの時代だ、異性どうしの若者ばかりというわけではないけど――でも八割がたは、異性愛による若者どうしの結婚式、そんなものばかりがずらっと並んでいる。
でもまあ、もちろん。キーワードを絞れば、いくらオープンネットとはいえそんなこともなくなる。
性的指向や、年代。雰囲気や、場所。……あとは、社会評価ポイント的な立ち位置、とか。
あるいは、……あるいはそうだな、正式に法的な結婚ではなくても、愛するペットとの結婚式、とか――。
……ああ、そうか。
そう考えれば、南美川さんみたいな立場で結婚式というものを経験したひと、いや、……いちおうは厳密にヒューマン・アニマルと呼ぼうか、そういった存在だって、いるのではないか――。
……だったら、それを検索してあげればいいのかなとか思ったけれど。
南美川さんのゆらりとした尻尾の動きとともに示された答えのほうが、わずか一瞬、早かった。
「……そのままで、いい……」
「え、そのままって……そのままだと、なんかこういう、……社会的に強そうな動画ばっかだと思うんだけど」
それでいいの、と上半身を起こして南美川さんは言う。そのときに吐き出した息が、パソコンを膝に乗せる僕の片手にかかって、……生暖かった。
「ふつうの、ふつうのね、……お式の動画が、見たい……」
だからウェディングって言い直したのよ、とも。……南美川さんは、尻尾の動きとおなじように、口も動かした。
「……え。結婚とウェディングって、なんか違ったりする?」
「……おばかさんね……」
南美川さんは、すっかり疲れた顔で笑った。――まるであと十歳は上の、家庭生活にくたびれた女性のように。
「結婚は、生活で、現実で、……続いてくものだけど」
でもね、と南美川さんは言いながら、よいしょと僕の膝によじのぼる。僕の胸に後頭部をつけてちょこんとおすわりすれば、……いつもの通り、いっしょにモニターを見る準備は万端だ。
「ウェディングは、……人生たったいちどの晴れ姿で……」
誓うの、と彼女が言ったから。
なにに? と、僕は問い返した。
「生活も、現実も、続いてくものも、誓うのよ」
……誓うの。
そう、繰り返した。――このひとは。
「それを、みんなに見てもらって。見守ってもらって。……晴れ姿で」
南美川さんの後頭部がとても近い。
金髪に、りぼん。
……高校時代にはこんな目線ではけっして見ることが許されなかった。
もちろん背丈はあのころでさえも男の僕のほうが高かったけど、……彼女を上から見るなんて、とても許されたことではなかった。
「……祝福されて……わたしと、愛するひとだけが、――そのときだけはいちばんの主人公でね」
作業耐熱ボードに肉球を載せているから、……キュッ、と真ん中のピンクのあたりが寂しそうにすぼまったのが、わかった。
なにか、なにかを……深く、感じたのだ。感じとってしまっているのだ、いま……。
……開きっぱなしになっている検索結果のトップページのダイジェストには、白いブーケを天高く放り投げる花嫁。
歳のころは、僕や南美川さんともしかしたらおなじくらい……だろうか。
ぴっかり晴れた青空と、それ以上に晴れた笑顔。
きっと、この女性と、後方でにこにこしてるおなじく同年代と思われる男性は、社会評価ポイントを堅実に所持しているのだろう。
その若さで式を許されて、……しっかりとした格好のさまざまな年代の人間たちが笑顔で彼らを見守っている。
自分たちだけで自立してやっていける――社会的人間として。
……そして、社会の人間となって、優秀者のお手本として――暮らすのだ。たぶん、きっと。
……そういうのを約束されているんだなとひと目で想像がつく。
そう。僕は、こういうことなら多少はわかる。なぜなら――自分自身が、結婚なんて許されようもない、劣等者だから。
その結果僕はなにを言っていいかわからず、……とりあえず、ぼんやりとその純白の、天使の羽みたいなふわふわのウェディングドレスを、眺めた。うーん。まあ。……白くて軽そう、ってくらいしか、僕には感想が浮かばないのだけど、あえてこうなにか、なにかをコメントするのであれば……うーん。
「……まあ、でも、このフリル? みたいなの。こういうのってその、そうだよなたぶん、かわいい、よね。よくできてるね。それに、こういうところで歩いても丈夫で機能性が落ちたりしないんだろうなあ。そのわりにまあ、うん、そうだな、デザイン的にもかわいいし……」
「あのね。……かわいい、じゃだめなのよ。かわいい、じゃだめ」
「じゃあ、なんて……」
「……きれいだね、美しいね、って、……言ってもらうの」
そう、美しいのよ、――そうつぶやいた南美川さんは、いつのまにか視線を上げてモニターのなかの花嫁を、直視していた。
「かわいいって言葉なら、……この身体になってからずっと言われ続けてきた。
人間のときよりも、ずっと、ずっとよ。おかしいでしょう? ……わたし、かわいいワンちゃんに、なれたんだから……。
でも、きれいだとか美しいとかは、……言われなかった。
言われないのよ。犬はね。言われないの。――かわいくても、きれいとか美しいとかとは、違うの」
……あのペットショップの店長は、南美川さんのことを美人さんと形容していたけれど、まあ、なんというかそういう言葉上の問題ではないことは……さすがに、わかる。
「……わたしも、こうやってきれいで美しい花嫁さんになりたかった」
なりたかったなあ、と南美川さんはもういちど言う。
たったいちどだけ、そう繰り返して。――あとは唇を固く引き結んで、まるで戦地のレポート動画でも見るかのような顔で、歯を食いしばって、花嫁がブーケを散らし続けるそのふるまいを、見続ける。
……僕は、なにも言えない。
なにも、言ってあげられない。
なにも、言う資格がない。……なにも。
……あるいはね。
それこそ、峰岸くんみたいな。
まともな人間なら、……まともな男なら、この年齢になればもう結婚とかを真正面から考えられるんだろうけど。
……そもそも、結婚をするなんて資格のない僕に、いま、コメントできることはなにもない――。
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