ネネさんの説明(2)彼らは不可逆性をもつ

「まず。ヒューマン・アニマルの身体からヒトの身体に戻す薬を、私は開発中だ。

 より正確には、私たち、と言うべきかな。共同開発者がいるんだ――いやむしろ、私はソイツに協力しているがわだと言ってもいい。そんな、……酔狂な薬を開発しようとしたのは、私ではなくてソイツなんだ――お、春、なんか言いたそうだな。なんだよ、なんでも言えよ、……質問もなんでも、いまのうちだから」

「……酔狂、っていま、言いましたけど。なんでですか? だって、ヒューマン・アニマルから人間に戻すことを望むのは、……僕たちだけではないんですよね……」

「ああ、春たちだけではないよ。けども、……そんなに多くも、いないんだよ。

 ヒューマン・アニマルから人間に戻すという案件はたしかに、……皆無というわけではない、


 けど――前提として、ヒューマン・アニマル加工というのは厳しい倫理監査と判断基準のもとに、おこなわれるだろう。

 なにせ周囲の人間の署名や近親者の嘆願があれば、ヒューマン・アニマルにはされない。……すくなくとも、前提としてはな」



 そうだ、……ほんとにそれは、あくまでも前提として、だよ。

 だって南美川さんだって、冬樹さんの家のあの人犬だって――




 ……そこまで思って、あ、でも、と僕は気がついてしまった。

 周囲にもはや、人間としては不要と認定された、ということ。……とくに、家族と言われるひとびとが引き止めなかった、どころかそれを望みさえしたという、事実。




「……ヒューマン・アニマルから人間に戻すという案件は、当たり前だが、ヒューマン・アニマルとなった元人間の意思だけでは、おこなうことができない。彼らは不可逆性をもっている。つまり、……もうにどと人間にはなれないという」




 どくん、と心のどこか奥深いところが大きくうずいた――うちに来たときにはあんなにも、……あんなにも犬として振る舞おうとしていた南美川さん。

 自分が人間に戻れる可能性を、ずっと否定していた。

 僕が、なんどあなたを人間に戻してあげると言っても。ずっと、ずっと。

 否定どころかあれはたぶん、……ハナから信じてなどいなかった。信じようとも、していなかった。




 ……わたし、犬だから。




 心の奥底にこびりついたどす黒いタールみたいな、諦め。

 南美川さんがおずおずとそう言うたびに、僕はそれを感じた――南美川さんはもう、……自分は犬だと思い込んでた。





 ……でも、考えてみれば当たり前だよな……。そうだ、そうだよ、ヒューマン・アニマルは不可逆性をもっている、つまり、――いちどその身に堕ちてしまえば、にどと人間に戻ることはできない。

 そう、にどと。





「つまりしてヒューマン・アニマルから人間に戻すという案件が発生する場合には、かならずそこに、……もうひとりだれか、人間、の存在がいるのだな。

 しかも、ヒューマン・アニマル加工のときにはその案件にタッチできなかった関係性、というわけだから――必然的にもっとも多くなるケースは、……家族未満、なにか以上の関係性のひとびとだ。

 具体的に、よりありていに言うなら、もっとも多いのは、……腐れ縁とかむかし馴染みとか、もっと言ってしまえば、……元カレ元カノとか、そういう関係性のひとびとも、多いのだよ。……なにかの手違いで再会してしまった。おそらくだが――アンタらみたいにな、春、そして幸奈」




 ネネさんは頬杖をついたまま、ちょっとうかがい見るみたいに上目づかいで僕を見てきた。




「仲、よさそうだったしさ。……ああたぶんまたそのたぐいかな、って思ったんだ。

 ……まあ、そのホントのとこは、私はそれ以上探ったりしないよ。お惚気られても、無性愛者の私にはメーワクなだけだからね」




 ネネさんは呆れたように苦笑して、肩をすくめた。ネネさんなりになんだか緊迫してきた場をほぐそうとしてくれたのかもしれないけれど、……僕は、ほぐれることなんかできない。


 ……そもそも、南美川さんと僕は、恋愛関係でもなんでもない。いまも、かつても。

 どころか僕はあそこまでめちゃくちゃにいじめられていて――





 ……そこまで考えて、僕はやっと気がついた。

 おそらく、だけど。妥当な、推論として。




 全責任クローズドネット開示要求を、したけれども、

 ……僕のいじめの時代の動画は、おそらくグローバルなオープンネットには流出して、いないし、

 なんならネネさんのところにさえも、届いていない――。





 それは、ちょっと、意外だったけど。

 ……だったら、と僕はすぐに思った。







 ……南美川さんが、僕をいじめていたことは、秘密にしよう。

 とくに言うことでもないだろうし、






 ……そんな過去のことで、南美川さんにはやっぱり人間であることがふさわしくないんじゃないかなんて判断されたら、堪ったもんじゃないから、さ。

 ごめんなさい、と心のなかだけでいま同席してくれているネネさんと橘さんに、謝る、……こんな僕のために、こんなにもよくしてくれているのに――。


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