なでなで(5)なめなめ

 ……あんまり、化が、わたしのそんなところにすりよってきて、

 すりすりって、おでこやほっぺた押し当ててきたり、すはすはって、そんなとこのにおい、……かいだりするから、

 わたし、わたし……お姉ちゃんなのに、このひとのお姉ちゃんのはず、なのに、もうほんとうにやりきれなくなっちゃって、もっと子どもみたいに、泣いちゃうの、いやなの、でも、自分じゃもうそんなことさえも止められなくて、



「……ふ、ふえぇ、や、やあよお……や、やめてって、ゆってる、ゆってるじゃないっ、……なんでやめてくれないのよお……。やめ、やめてよお、もう、いいでしょ、なん、なんれえ、なんでこんなことするの、そんなに、わたしのこと、嫌いだったの、

 真、ちゃん、だって、こんなかっこにしたのよ、わたしのこと、こんなかっこにして、……ひどいことしたのよ、

 狩理くんだってそんなの見て笑ってたの、

 ……やだよお、やだよお、謝るよお、あやまる、から、……ふ、ふえええぇ、……ごめんなさいぃ、……え、えっく、」



「……勘違いしないでよ姉さん」



 化は、やっと、すりすりもすはすはもやめてくれた――でもわたしのことは下ろしてくれない、

 勘違いしないでよだなんて化にわたしははじめて言われた気がする、ほんとうにこの子はわたしにはなにひとつとして本音を語らない弟だった、そんな化がなんだか拗ねたみたいにさ、

 ちっとも怒ってる感じじゃないの、むしろ爽やかに嬉しそうに――満面の笑み、なの。



「ぼくだって。真ちゃんだって。狩理くんも。だよ?

 ちっとも、姉さんのこと、嫌いじゃ、ないよ。

 ぼくも、真ちゃんも、狩理くんだって。ね。……姉さんのことが、大好きでたまらないんだよ」

「な、なにを、……言ってるの、」

「……ね。姉さん。よーく、聴いてね」



 化ちゃんはそう言うとはにかんだみたいに笑って、そのまま――



 わたしのケモノのふさふさの毛皮の、後ろ足を、口に含みはじめた。



 わたしはもちろんビクンとする、

「……な、にしてる、の、そんな、とこ、……な、なんで舐めてるのっ、そんなとこ、ばっちい、から、やめ、やめて、あ、ああうう、なんで、なんでそっちまで舐め、舐めるのお、やめ、やめてそこ、あっ、尻尾だからっ、う、ううう、――尻尾やめて、尻尾、噛まないでっ、な、なんでどうしてそんなことするの――!」



「……はあ。姉さん……」

 化の息はもっと熱くなってきている、

「それは、ね。姉さんのことが、いとおしくて、たまらないからだ。よ?」

「……なに、言ってるのっ、あな、あなたたちの言うことぜんぜんわからないわよ――!

「……ふふ。だいじょぶ。わかるよ」



 そう言うと巨大な怪獣みたいなこのひとはわたしの尻尾を噛むのをやめて、

 床に下ろしてくれた、あっ、ってほんの一瞬だけ期待しちゃったのもつかのま――



「――ううう!」



 化、は、……こんどはわたしの頭上から飛び出ている耳を口に含みはじめた。

 ていねいに……舐めてくの……でも、でも、そこ耳だから、息、へんなとこかかってるから、

 やだ、……やだ、なんで、なんでそんなことするの、



 化はわたしの柴犬モデルのふさふさの耳を、化の唾液でぐんにゃりするくらいに食みながら、その合間合間で、語るの……。



「……姉さんはね。犬になったほうがね。よかったんだよ。……わかる?」

「わか、らないわ、わかるわけないでしょう、わたし、わたしあんな目に遭ったのよ、い、ぬ、犬になってから、ずっと寒くてつらくてずっと殴られて、犬として、……犬になれって、ひどい目に遭った、のよ、……もうすぐ死ぬとこだったのよ」


 死にたかったのよ――ほんとうに、いますぐ、……死にたかったんだから。

 そのつもり、だったんだから、



 ……そこで心の時間を戻されてなぜかひどく発熱している、そのひと、に、

 ……わたしのいじめたわたしのせいで人生が台無しになりかけたそんな、そのひと、に、

 いまはただ座り込んでぼんやりとなにも理解していないかのように、でも、きっとそれはお熱のせいなの、

 ほんとのほんとは、もっと、もっと、もっとほんとうは違うひとなの、そんな、ひと、……シュンに、

 助けられるまでは……。



 化は、……わたしの耳を堪能したみたいだった。口を離すと、わたしの顔をじっと上目遣いで見て、舌なめずりをする。

 そして――こんどは、わたしの右の前足に、かぶりついてきた。

 やけに、強く、……噛まれるのだ、なにか情感がこもっていて、

 こわ、い、

 ……こわいよ、



「や、やああ、――食べないで……!」

「……食べないよ。姉さん。舐めている。だけだ」



 すぽっと右の前足から口を離すと即座に左の前足をおいしそうに舐めはじめる、



「……食べてもね。姉さんは。おいしいかもしれない、けど」

 ……なに、を、言ってるの、こんどは、なにを、




「けど――ぼくは、ね。ううん。……ぼくたち、家族は。

 姉さんを、ずっと、長く、できれば一生、……楽しんで、味わいたいから……ああ。姉さん。好きだよ……」




 ……わたしの犬の部分にむしゃぶりついてくる異様な弟を、わたしは、止めることさえできない。もう。こんな身体。そしてこんな立場、では。

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