なでなで(1)おかえり

 わたしはもはやもうなにも言えず、ただシュンの胸にしがみついて、がくがくしていた。

 シュンも、わたしのこと、かばおうとしてくれているみたいだけど、十七歳の心なのになぜか――かばおうとしてくれて、いるけれど……。



「ふふ。……姉さんはおムコさんのことがほんとうに好きなんだ、なあ……。

 さみしいなあ。ぼく。……姉さんをね、とられちゃった、って感じるよ」



 そう言うと化ちゃんは前ぶれもなく唐突に動いた、――驚くほどの速度でシュンの両手を鷲掴んでねじり伏せて、

 その手首を軽い感じでひねった――軽い感じに見えたのにシュンが大きくうめいたから、きっと、強い力なの、化ちゃんあなたちっちゃなころはずっと細くて小さくてみんなに心配されてたのに、いつからそんな腕力を、もったの――



 そして化ちゃんはゴミでもゴミ箱にポイッてするみたいにシュンを、部屋の隅の、――つながれている杭の近くに、投げるようにして押し寄せた。ドン、とシュンが背中を向こうの壁にぶつけた。うそ、でしょ、……シュンの身体こんなにおっきいのに、わたしを、すっぽり包んで守ってくれるほど、――おおきいのに!


 シュンはなにか小声でうめいてるけど聞き取れない、だって、だってそうよこのひと、体調すごく、悪くて、しかも……心は、十七歳なの……。



 わたしは駆け寄ろうとしたけど、駄目だった。

 化ちゃんが――わたしの首すじを、スッ、と冷たい両手で、掴んだ。人間のときのままの素肌の首、――シュンにつけてもらったこの赤い首輪ごと。

 きっといま力を込められたらわたしはこのまま窒息するの、


「……化、ちゃん……」


 化ちゃんはまるでなにかに納得したかのように、うん、と小さくうなずくと、

 そして――旧時代のずうっとむかし、お江戸とかいう時代にもあったとかいう旧式のからくり人形みたいな、カックンカックンした妙な首の動きで、わたしを見下ろすと、ニコ、とこんどは目までも細めて嬉しそうに笑った、――慣れていたはずなのにぜんぜん意味のわかってなかった弟の笑顔。



「……姉さん。ああ。ぼくの、――ぼくたちの姉さん!

 おかえり……おかえり……ぼくは。ほんとうに、嬉しかったよ。……ふふ。ね。ねーえさん、……ねーえさん」

「……う、ううう、やだ、こな、こないでこっち来ないでえ、なん、なんでくるのっ、やあってゆってるじゃない、や、やあっ、」

「ふふ。……照れなくたっていいんだよ。……姉さん、いま、犬でしょ?

 犬の姉さんは……かわいいから……ぼくが、なでなで、してあげるから」

「……や、やっ、嫌よ、なでなで、なんて、――シュンで足りてるもん!」

「……へえ」



 化ちゃんはまたしても前ぶれなく唐突に動いた、

 こっちに胸ごと倒れてくる――と思ったら、

 よける間もなかった――わたしは化ちゃんの全身でのしかかられた。




 わたしは、悲鳴をあげる。長い長い、悲鳴になる。

 化ちゃんは、わたしの素肌の背中に、……頬をすりすりしてるみたい。……なんで……?


 わたし、あなたの、お姉ちゃん……なのよ?




「……や、やめて、なんでそうやって、す、すりすりするの、そ、そういうのは、お姉ちゃんにやらないでしょ、……好きなひととやるのよ……」

 ああ、おかしい、おかしいな、言葉だけ見れば――まるでほんとうに弟に好意を寄せられた、弟思いのお姉ちゃんみたいなセリフ、なのに。

 わたしは、犬で……人犬で……そしてわたしの弟は、――姉を犬にしといてよかっただとか、いまさら姉さんが好きだとか、そんな、そんなこと、――あなたずっとわたしに興味ないみたいだった、わたしには、そう見えていたのに!





「好きだよ。姉さん」





 化ちゃんの声が背中から這ってくるようにして響いていてぞうっとする。





「ぼくは、姉さんが、大好きだよ。

 ううん、ぼくだけじゃ、ない。……真ちゃんだって姉さんのことが大好きだよ……それに、お父さんと、お母さんだって」

「うそ、うそよ、そんなわけない、だったらなんで、なんでわたしをいぬにしたのよ――!」

「姉さん。かわいそう、に。……興奮をしているんだ。ね」


 化ちゃんはそう言うと――身体からは離れてくれた、

 だからすぐにシュンのもとに駆け寄ろうとしたら――



 背中にぺったりと手のひらが押しつけられた。

 見上げれば、すぐそこには、――しゃがみ込んだ化ちゃんがいる。



「だーめ。……でしょ? そっち、いかないで。よ。……ぼく、さみしくなっちゃう。でしょ?」



 ぎゅっ、と。

 力が、こもる。……動こうとするけど、力が、すごいの、



「ふふ。ねーえさん。……姉さん」



 弟に背中を押さえつけられてわたしは動けなくなってるの。





「ぼくが、なでなで、してあげるね」




 やだ――いよいよ、そんな言葉さえ、……口から出てこなくなってしまった、だって、このひと――さっきから、なにを言ってるの、

 わたしの弟の、化ちゃん、南美川化、家族だったころにはわたしに対してほとんど直接しゃべることさえなかったのに、いまになって、いまになってさ、――あなたはなにを考えてるの?

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