プログラミング(2)コンフィ・コード
――さあ、さて。本題だ。いまでこそだれの気配もしないけれども時間がたっぷりあるというわけではない、もちろん。すみやかに。手短に。最短距離で、いくよNeco。
南美川さんもいい子にしてくれているようだ。起動のタイミングでそっと見下ろしてみたら、南美川さんは僕の縛りつけられている椅子に前足を両方ちょこんと乗せて、目を大きく見開いて、一生懸命に張り詰めた顔で僕を見上げていた。ぱたん、と大きく尻尾を振った、――音がふだんより大きく鳴らないところを見ると、やはり協力してくれているのだ、南美川さんは、やっぱり、……ほんとうにいい子だ。
僕のその気持ちがどことなく伝わったのか、南美川さんはもういちど反対がわに尻尾を振ってくれた。ニイッと笑ってる、もしかして、応援だろうか、……僕も一瞬だけ微笑んでみせた。がんばるよ、それはもう、ここからだ、ここからが勝負だ、――応援してくれてありがとう、南美川さん。
ふたたび白い天井を見上げた。せめて、プログラミング画面の無地に近づくように、あるいは大学時代にコードをひとつひとつ暗記するために、夜中までずっとなんどもなんども書きなぐっていた真っ白なチラシの裏を思い出して。チラシというのは電子ではなく、ペーパーだ。母さんはローテクノロジーを好むタイプのひとだった。でも紙にコードを書くこと自体は、大学の先生のすすめだった。というかその先生はテストをいまどきペーパーでおこなって、ペーパーの上にコードを再現させた。
腹が立ってた。すくなくとも、大学生のときには。こんなローテクなテスト方法で、いちおうはプログラミングが学習できることで売ってる大学なのにそれでいいのか、って。馬鹿らしい、っていう声がじっさい教室じゅうから聞こえてきていた。でも、僕にはそのときに馬鹿らしいよねって言い合う友だちもいなかったし、……僕は教室のおそらくほとんどが年下であろうひとたちと違って、引きこもりだったせいで社会評価ポイントにもすでに負債を負っているし、……やるしか、なかったのだ。
ひとりで。たったひとりで。夜中まで、ただただローテクなペーパーにこれまたローテクな鉛筆を走らせる。家にいるときの僕は食事どき以外はずっと部屋でペーパーに向かっていた。家族の、柔らかい笑みに隠された不審と僕へのいまさらの失望。二年間引きこもりだった僕に対して、家族はもうなにも言わない、ただ腫物に扱うかのようにしていっそ媚びたような笑みとあいさつを向けてくるだけ。
対AIプログラミングなんかやるとか言い出して、しかも大学に入ったら入ったでパソコンもタブレットデバイスもさわらずひたすら紙に一見らくがきのようなことをしている、文句を言われたことなどなかった、――でも両親は彼らになにかがあった場合に僕の存在をどう処理していくかって、そんなことを週末なんかぽつりぽつりとリビングで話し合っていることなんか、僕は、知ってた。
ヘンなことをしてると思われていると知っていた。しょうがない。僕は高校卒業から、二年間……ほんとに、人間ではなかった。姉にも妹にも、……迷惑をかけたとは、思う。彼女たちは、僕が家の負債になってしまうぶん、よりがんばらねばと無理をしたはずだ。それは、……僕なんかよりもずっと優秀な彼女たちのいまの状況を見ていれば、わかる。いちおうは僕とも血のつながってる姉妹とあって、なんというか姉も妹もそんなに頭のできがよかったりとか、特技があったわけでもないはずなのだ。……それであっても、いまとなっては、ふたりともつまり――ある程度の成功をしているのだし、それはきっと、……かなりの度合いで僕のせいのはず、なんだ。姉と妹には、ほんとうに申しわけがなかったとしか僕は言えない。姉はみんなでいると穏やかで、僕になにか直接文句を言ってくることはなかったが、すれ違うときに露骨に舌打ちをされたことはなんどかある。妹は機嫌がいいときにはお兄ちゃんおはようとかお兄ちゃんおやすみくらいは声をかけてきたが、いちどだけ、たったいちどだけ、引きこもり真っ最中の僕の部屋に来て大泣きしながら暴れたことがある、――お兄ちゃんのせいで私の人生サイアクだよ、って。
父も、母も、姉も、妹も。僕のせいで。……僕のせいで。
そんなものを毎日毎夜全身で感じながら、僕はそれでも机にかじりついて必死でプログラミングを覚えた。学習した。勉強した。テストでひどい成績をとるたび、頭をぐしゃぐしゃに掻いて猫背になって机にかじりついた。
悔しいとかではない。向上心とかではない。そんなものを持っていたなら僕は最初からそんな情けないことにならなかっただろう。違う。違うんだ。――プログラミングは僕が人間になれる最後のチャンスで、手段だった。いまはいい。でも、いずれきっと、家族は僕を、見捨てる。僕には、そのことがわかった。それは家族が悪いのではない。もちろん。人間として育ててもらったのに、人間になれなかった――僕が、悪いのだ。
実家の僕の部屋の天井も、白かった。僕がプログラミングを書きなぐっていたチラシの裏も、まあたまには緑やピンクやそういった着色されたものもあったけど、僕はそういうのは演習にとっておいて、ふだんは真っ白でツルツルしたチラシの裏を使った。
僕はたびたび息をついて天井を見上げた。
僕の部屋の天井も、白かった。……僕はもう数えきれないほどなんどもなんども繰り返し、その天井にコードをえがくイメージを、いだいた。真っ白なだけの天井がプログラミング画面になってくれるくらいまでには、僕はひたすらコードの暗記を繰り返した。
だから、僕はいまも白い天井を見上げた。……この部屋の天井が白くて、よかったなって……思いながら。
「...
……ピコン。
「Ok,I aware...It's no no not YES Nyan?」
――よし。通った。
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