その映像(1)ミソギ
家庭用としては比較的大きめなスクリーンに、映像が、映った。南美川真はNecoに指示して、部屋の電気を消した。
電気を消すと部屋は真っ暗だ。映像は映画のように明るく映える。
ホームビデオのようだった。画質の粗さ的に……おそらくは、二十年程度前の録画デバイスによるものだろう。
音声はクリアに拾っている。いわゆる取り込みデバイスにおいては、録音技術のほうが相対的に速く進化してきたというから、つまり画質は多少粗くとも音をこんなにもちゃんと拾っているということだ。――まるでそこでいま実際に喋っているがごとくに。
この国の伝統的な部屋のスタイル、和室。畳が一面に映っている。音はざわざわ、ざわざわと、……中年や年配の男性が多そうな賑やかさだ。
カメラは手で持っているのか、少しぶれている。
『んー……』
音を、拾った。……困ったような、それでいてお茶目なような、女性の高い声だった。
南美川さんの声ではない。南美川さんの声よりもっと、あどけない。かといって南美川真の声でもなさそうだった。
と、南美川真が解説を入れてくる。パリパリ、スナック菓子をおつまみにして頬張りながら。
「おかーさんだよ。いまより若いけど。でもいまでもめっちゃ若々しいけどお」
……まじか。
『ねえねえ、お父さん。これで、撮れてるかしら?』
『おお、お母さん。どれどれ。見せてみな』
カメラが動く。指輪のいくつもはまった小さな手から、指輪はシンプルなゴールドのものしかない、大きな手のひらへ。
「おとーさんだよ」
さすがに、それは、察しはつくけど……。
『うん、うん、うんうん。撮れてる撮れてる。あの子をちゃあんと撮っといてくれよ……っと』
カメラはぎゅいん、と上方を向いて、
そこには――残酷で悲惨な光景が映し出された。
とても広い和室。宴会場かなにかだろう。
スーツ姿のおとなたち。八割がたは男性で、女性はいても男性の隣に控えてにこにこと笑っているか、ビールを注いで回っているだけだ。
長い机には、豪華な食事がいくつも並べられている。お重のなかには、……うなぎがあった。
だが、机の中心部分に乗っているのは、食事ではなかった。そこだけ食事が雑なやりかたでよけられていた。
乗っているのは――幼い男の子だった。まだ、四歳とか、五歳とか、……そのくらいだろう。
机のうえに、……小さな身体で、手足を突っ張る格好で四つん這いにさせられていた。
しかも、裸で。
泣きそうで、恥ずかしそうで、……それなのにだれひとり止めようとしないどころか、いいおとなたちが、よってたかってやんややんやとその男の子になにかを喚き立てている。
犯罪者……性犯罪……痴漢……施設……残された子の加工……なんてことをしてくれたんだ、なんてことをしてくれたんだと、……そんな言葉がぶつけられるたびに男の子はびくんと肩を持ち上げる。それでも必死に、机の上で全裸で四つん這いの体勢を保とうとしているのだ、そんなときだけ唇を噛んで、上を見上げて、――キッとやる気を見せるかのように、胸と背中とお尻を反らせる。そんな、そんな、……そんな辱めでしかないことを。そんな……子どもの、立場で。
その男の子を見て僕は、……南美川さんを買ったペットショップで売られていた、人犬と人猫の兄弟を思い出した。たぶん、あのくらいの年代。眩しいほど粉っぽい幼児の肌……。
でもあの子たちを見たときよりも、僕の呼吸を苦しくさせたのは――この映像の男の子は、たしかに羞恥と屈辱を理解しているという事実だった、……だってそういう表情をしているから。
思わず、見入ってしまったけど、
……この映像がなにかいまのこの僕の、両手を拘束されて酒を浴びせられまくってることと、そしてなにより南美川さんと――なにか、関係があるのだろうか?
僕のそんな気持ちを見透かしたかのように南美川真は言うのだった、
「これ、狩理くんねええ」
――え?
驚いて、その子どもの顔をまじまじと見れば……たしかになるほど、峰岸くんと似ていなくもない。表情の弱々しさやある意味での表情の豊かさはともかくとして、その造形だけを見れば。
……映像のなかでついにその子は泣き出した。だれひとりとして、フォローをしない。どころか、罵声を浴びせたり、食物を投げつけたり、お尻を叩いたり、もうやりたい放題だ。
「……この男の子が? ……峰岸くん、なんです、か?」
僕はいじめられっ子のときのテンションのまま、峰岸くんにそう尋ねてしまった。
峰岸くんはいつのまにか窓ぎわに立っていて、赤い炎をゆらゆらさせながらゆっくりと煙草を吸っている。
吐いては、吸い、吐いて……煙がもわあと映像の光に照らされて、くっきりとカタチとして見える。
「ああ。そうだよ。そのどうっしようもねえ惨めなガキは、俺だよ。
……もっとも俺にはこのときの記憶はないけど。でもまあ顔と状況で自分だってことくらいわかるし、……いままでこの映像はもうなんども見せられてるからなあ。いまさら否認する気もないよ」
「あのね、あのねええ。
狩理くんの生物学上の産みのオスはね、女の子をさらって、くらーくてせまーいところにながーいこと閉じ込めて、たっくさんレイプして、来る日も来る日も、レイプしてレイプしてレイプして、せーえきまみれにしたあとねえ、最期もすぽっとむしゃぶりつくようにしてねえ、レイプしながら、包丁でぐいぐいあっちもこっちもアソコもえぐって殺してねえ、ちょー気持ちいいまま、液も汁もドロドロのまま最後にスマホで殺したその子に挿入しながらぴーす、してるとこ自撮りしてねえ、その画像をネットワークにアップロードしてねえ、いいねが一個もつくまえに、せーえき混ぜた灯油をねえ、いっしょにねえ、かぶってねえ、ちょー気持ちよく死んでったのお。
狩理くんはねえ、お母さんのこと知らないらしいんだけどお、もしかしたらその
……ねっ。すごいね? このひと、そんな存在のせーえきから発生してんだよ? やばいよねー。それはこんなことになりますわあー。……ウチだって遠縁だったってだけでヤバかったのにい」
……うん。それは……やばい、としか言いようがない。
映像のなかでは男の子が――幼い峰岸狩理が、集中的にいじめられている。
なにも知らなければ、子どもにこんなことをするなんてひどいと言えるけども、
性犯罪と殺人犯罪の子ども――それだったら、……こうなってしまうのは、すくなくとも、理解はできる。
しかも犯罪をした本人は、勝手に死んでいったのだ。あの世で地獄に堕とされるとしても、……この世で地獄に堕とされる前に。
僕の両親はのんびりとしたひとたちだけど、それでも家族や親戚でそんな犯罪者が出て、ましてや本人がいないなら、……その子どもに一発平手打ちくらいは食らわさなければ、気が済まなかったかもしれない。
そんなにそこまでのレベルで重度の犯罪者が家族だったらそれだけで人権に制限がかかるし、たとえ遠縁でも親戚であれば、社会評価ポイントの重負債になって、就職とか結婚とかに悪影響が出てくる。それは、充分、そうなる要素なのだ。
……多くの関係者の、生活を、人生を、人間として生きることを、台無しにする行為なのだから。
たくさんの声がクリアに録音されている。
『あの下等生物のガキめ!』
『どうしてくれようか? いっそ引き取って焼いてミソギとして食うか? 意外と効果あるらしいぞ』
『いいえ。ふつうに処分しましょ、ふつうに。こんな悪夢、早く終わらせてちょうだい……』
『動物と物体はどっちになるのがつらいかな』
『ほれ、どっちがつらいんだよどっちが。ああん? 泣いてたらわかんねえだろ!』
大の大人が立ち上がって机の上から峰岸狩理の背中にダイレクトに蹴りを落とし込む。
幼い峰岸狩理はそのおとなをまだつぶらな目で懇願するように見上げた。
『……ひっ、ひっく……おとーさんが、おとーさんが、ぼくのおとーさんがごめんなさい……! ぼくのおとーさんのせいです、ぼくのおとーさんのせいです、ぼくのおとーさんの……』
と、言ったところで、ゆるされるわけもなく――。
そりゃ、子どもに当たったところでなんにもならない――そのことは、わかるけれども。
……でも感情としては理解はできてしまうのだ――そんなレベルの犯罪されて、子どもひとりが残ったら、……きっと現代社会の多くのひとたちは、こうでもしないと気が済まないだろう。ミソギ――劣等者の悪影響をなるべく排除していくことを、流行りの言葉で、そう言ったりはするけれども……。
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