ウェキャップ、ネコ

 飲み会は、――南美川真が宴だとかいうこの酔狂な飲み会は、続いていく。

 峰岸くんは淡々と僕に酒を浴びせる手を止めないし、南美川真は僕にも峰岸くんにも舐めろ舐めろと言ってはしゃぎまくっているし――南美川さんは高校時代、いろんなパターンで僕を苦しめてきたもんだけど、南美川真はただ単純に舐めさせるということが好きなだけなのかもしれない。そう思う、ほどだった。


 もちろん僕はなんどでも南美川さんを譲ることを断固拒否した、……当たり前、当たり前だ。

 南美川さんはどこにいる。そう尋ね続けたけれど、そのたび真はふふふと意味ありげに笑うだけだった、ああ、――南美川さん、南美川さん。だいじょうぶかな、無事かな、そんなわけないだいじょうぶなわけも無事なわけもないんだ、けどせめて――

 死なないでいて。心だけは、人間のままでいて。……いまここにこのふたりがいるということは、化のほうといるのかな、それはいちばん得体が知れず――ざわざわとした。あんなにも腰が低く、そして結果的にすんなりと僕を騙したのは――化だった。


 僕はいつでもなんどでも、タイミングをうかがっている。

 気になる、南美川さんと早く合流しなきゃ、

 けどそれよりなにより、目的を見誤ってはいけない。


 南美川さんの遺伝子ファイルと社会評価ポイント履歴書を手に入れる。

 そのために、来たのだから。


 この家の家族全員に人間未満の烙印を押された南美川さんの、その烙印を、……僕は無茶でも無謀でもなんでも、剥がす。剥がしたいのだ。

 あなたを、人間に、……戻すよ。



 しかしまずいなと思ったのは――やっぱり、酒がとんでもなく回ってきている。もともと僕は酒には縁のない生活をしているんだ……あくまでも人間的に人道的な状況で、冬樹さんと酒を酌み交わしたときでさえも、あんなにもがんばったというのに。

 高校時代にバシャバシャとアルコールでいじめられた経験はなんどもあるので、そういう意味で僕には多少耐性はあるのだろう。気絶しそうになると殴られて起こされて、南美川さんがいつもさりげなくきちんと測っていた中毒まぎわの数値になるまでは、……比喩ではなく酒を浴びせられ続けたのだし。



 ……どうにか、どうにかだ。

 意識を保って――チャンスを、待つ。ふとした、ときの。

 せめてこのふたりが部屋から離れてくれて、五分、いや三分でもいい、時間ができたなら――



 僕はすでにもうなんども保険を確保してある。――賭け、ともあるいは言えるけれども。




「あははーあ、酔っちゃったあー」


 真がカーペットのうえでくるくる、とダンスでもしているかのようにふらつくと、そのままポスンとカーペットに座り込んだ。

 カーペットとおなじ黄色がかったベージュのクッションを、ぎゅっ、と握りしめる。……ただそうやって黙っていれば、ふつうにふつうの可憐な女の子に見えるのに。


「……あんた、意外と、口堅いねえ。あははっ――そんなにあのわんこがだいじ?」

 わんこ、わんこっていうけれど――そうなったのは、実の姉なのに。

 けれども僕だって姉にも妹もそこまでの思い入れはない、どころかほんのり恨んでいるところもあるから――つまりひとさまの家の事情に、簡単に口出しをしてはいけないことくらいは、わかる。……たとえば姉や妹がヒューマン・アニマルになると聞いたところで、僕は――積極的にかばえるだろうか?


「でねえええ、いままではあ、あんたにい、お酒え、飲ませるだけでえ、済んだんですけどお」


 真は、ゆーら、ゆらゆら、と身体を右に左に揺らす。……似てる、なんども思うがやっぱりふとしたところがとんでもなく似ている。服装も雰囲気も違うのに、ほんとうに南美川さんの妹なんだな、ってわかってしまうほどには。


「でもお、それだとお、埒開かないしい……?

 じゃっ、じゃーん! これえ! 見まああす!」

 真は手に高く、小さな円盤状のものを掲げた。銀色がキランと光る。……またずいぶん旧式な、というか遺跡物みたいな記録デバイスが出てきたな……。僕にはわかったけど、いまどきのひとは、ほとんどわからないんじゃないだろうか。……旧時代の遺物だ。


「……なんですか、そのCD-ROM」

「あれれん? 知ってるのう?」

「あ、――まあ。すこしだけ、……ネットの記事とかで聞きかじったことがあって」


 ふふん、と真はふたたび得意げに鼻をひくつかせた。



「お客さんを脅す貴重な映像でえええす。ねっ? ――狩理くん?」



 峰岸くんを見ると、彼は椅子に座ったまま――自身もあんなに飲んだはずなのに、顔面蒼白だった。

 ははっ、と引きつったように笑う――その笑みは皮肉でも自嘲でもない、懇願でさえない、なにかを完全に諦めたうえでのため息に見えた。僕だって、僕こそ、……どうしようもなくてため息の代わりに笑ってしまったことはなんどもある。そのせいで、なに笑ってんだよ、と殴られ蹴られ、さらに辱められても。

 諦め、そう、――諦め。


「……やっぱり、見せるんだな。それ」

「うんー。だってそっちのほうが話が早いでしょっ?

 ね、解説してあげるう、あたしがねえ、丁寧に解説してあげるからあ。――Wake upウェキャップ,Neco《ネコ》!」



 ピコン、と音がした。家庭用Necoシステムの、起動音だ。


『猫ですっ。どしたのー?』

「映像見るからスクリーンモニター出してえー」

『おけおけですよう!』


 スクリーンが、ガーッ、と音を立てて降りてきた。


「あ、あとお、旧式デバイス使うからそっちの読み取りもー」

『おけおけですよう!』


 デバイスの円盤に、赤い光が当たった。部屋の上方から当てているのだろう。

 赤は読み取りの色。僕も大学でそう教わった。

 デバイスがあまりにも旧式のせいか、読み取り終了までに十秒くらいかかるとスクリーンモニターに案内が出る。


「……この部屋さあ、なんのための部屋かさあ、わかるう?

 ――狩理くんちゃあんと調教……教育ねっ、するためにねっ、おとーさんとおかーさんがわざわざ用意してあげたのねっ」


 峰岸狩理はゆっくりと煙草をに火をつけた。


 ……そして、映像の読み込みは終わったらしい。


『再生しますかーっ?』

「おけー! いっちゃってえ!」



 南美川真はそう言うと、もはや空でカーペットに転がっていた瓶を、……勝利のごとく高らかに持ち上げた。

 峰岸狩理はただただ煙草を吸っていた。

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